ガウスライフル

「あぁ、もう、なんでもいいから、ロックを、外せ、ロンロン! 息が、続かない……っ‼」


『ガウスライフルはビヨンド号とは独立した人工知能が管理している。登録者の周囲とバイタルを確認しているようだ。私は干渉できない』


「人工知能同士、説得、しろっ‼」


『無理だ。ガウスライフルの人工知能は汎用知能ではない。ほとんど機械だと思ってくれ。論理的に説明しても、情に訴えてもロックは外れない。強引に干渉すれば自己破壊シーケンスを開始する。ガウスライフルを撃つには条件を満たす、すなわち、カオルが先に撃たれる他ない。それに――』


 二階堂の息は切れていた。徐々に足がもつれ始め、ももが上がらなくなってきている。すると先ほどまでは何ともなかった地上の枯れ草や木の根が、たちまち意地の悪いトラップに見えてくる。


 ロンロンが続ける。


『ガウスライフルは反動が激しい。走りながらではとても撃てない』


「そんなのフレキが……ああっ! そういえば、俺、〈フレキスケルトン〉、つけてないじゃん‼」


『その通りだ。その状態で撃てば肩が外れるし、鎖骨は間違いなく折れる。下手をすれば指が千切れてライフルがあらぬ方向にすっ飛んでいってしまう』


「なんて、こった……」


 二階堂は愕然と言った。喉からはヒューヒューと音が漏れていた。


『ガウスライフルを撃つときは、銃床じゅうしょうを地面につけて上に向けて撃て。衝撃を地面に逃がすんだ。つまり結局のところ、あの斧をカオルの身体に掠らせてから、あるいは掠らせつつ、ミノタウロスのふところに飛び込む必要がある。しかもそれは残機無しのワンチャンだ』


「どんどん難易度が上がっていく……」


 口の中はすでに鉄の味でいっぱいだった。乾ききった喉で激しく喘ぎ続け、あまつさえロンロンに向かって何度も叫んだせいで、喉粘膜がひび割れて出血していたのだ。二階堂の口から垂れた血液が一滴、チョーカーにポタリと落ちた。


『――やむを得ない。カオル、ビヨンド号に駆け込め。君を回収したらビヨンド号を空に飛ばす。そのかわり、船体が殴られたら終わりだ。覚悟して来い。死ぬ気で走ってリードを作るんだ』


 ――死ぬ気で、ね。


 そして二階堂は進路をビヨンド号に向けた。ロンロンのガイドは必要なかった。ビヨンド号の隣にはとても大きな大樹があったことを覚えていたからだ。今も森の切れ目の上に巨大な木のシルエットが見えている。


 二階堂はそれを仰ぎ見て、大樹を目指してまっすぐに森を走り抜けた。


 やがて木々が途切れ、視界が開けた。そこには大樹と、赤く染まったビヨンド号が見えた。歯を食いしばってラストスパートをかける二階堂。


 しかし不意に視界が流れ、直後に顔面に強い衝撃を感じた。


 二階堂は大樹のたもと、ビヨンド号の手前で転倒した。ビヨンド号の周囲に広く散った赤い液体で足が滑ったのだ。酸欠寸前で目がかすんでいた二階堂には、その赤い液体の悪意を見抜くことができなかった。


 疲弊し切った肉体は、一度動きを止めてしまえば再び動かすために膨大なエネルギーを必要とした。そしてそのエネルギーは、二階堂のアラフォーの身体には残されてはいなかった。


 脳からさぁっと血の気が引いたのが分かった。それでも両手を突いて身体を起こした二階堂の耳は、ロンロンの、珍しく乱れた音声を聞いたような気がしたのだが、それは続く爆音にかき消されて聞き取れなかった。


 二階堂は身体を強張らせて自らの死を待った。ところが身体を揺さぶる振動の後、続いてくるはずの痛みも、意識の消失も来なかった。


 彼が恐る恐る振り返ると、そこにはミノタウロスと、大樹。そしてその幹に突き刺さった赤く輝くウォーアックスがあった。


 大樹ごと二階堂を狙ったのであろうミノタウロスのひと振りは、大樹の幹に引っかかって止まっていた。そこに深く食い込んだ巨大な斧は、ミノタウロスがその膂力りょりょくに任せて押しても引いてもびくともしていなかった。まるで大地から伸びた巨人の手が、がっちりと斧を掴んで受け止めてくれているかのような、不思議な頼もしさがあった。


 大樹の傷口からは、白い樹液が痛々しく噴き出していた。


 二階堂は酸欠に喘ぎながら、ふらふらと立ち上がった。


「――ロンロン、その怪我ってのは、自分から当たりに行っても無効なのか?」


『確認中……微妙なところだ。アンロックの条件はカオルが攻撃を受けて怪我をすることだ。それゆえに交戦状態で肉体的コンタクトを通じて怪我をすれば、敵の意図に関係なくそれは被弾と見なされる可能性はある。しかし完全にグレーゾーンになる。ガウスライフルのさじ加減次第だぞ』


 ミノタウロスは苦しみの声を上げて悶えているように見えた。それがなぜだか分からなかったが、二階堂には噴き出した白い樹液を浴びているからだと思えた。


 ――千載一遇せんざいいちぐうの好機。


 ビヨンド号で逃げるか、あの怪物を仕留めるか。


 すなわち、残り少ないロンロンの命を使って生き延びるのか、一度は捨てた自分の命を使って立ち向かうのか――。


「――ぅおおおおおおおおお‼」


 二階堂は駆けた。大樹から噴き出した白い樹液を頭から被りながら、ミノタウロスの足元に向かって。


 ガウスライフルを構えてミノタウロスの足に殺到し、身体をぶち当てにいった二階堂。直後、突如として壁が現れ、肺から空気が絞り出される感覚と、浮遊感が同時にあった。


 次に気が付いた時、二階堂はビヨンド号の近くで仰向けに倒れていた。寸刻すんこく、意識が飛んでいた。


 満足に呼吸ができない中、倒れたまま頭を上げると、ミノタウロスが腕を大きく広げた姿勢で止まっていた。斧から手を離して、足元に走り込んできた二階堂を裏拳で打ったのだ。


 全身が砕け散ってしまいそうな未知の痛みの中で、身動きひとつできずに悶絶する二階堂は、混濁する意識の奥に、心許した友の声を聞いた。


『――てる』


 飛びかけた意識が焦点を取り戻すのに伴って、その声は徐々に鮮明になってくる。


『う――るぞ、カ――! 撃て‼』


 二階堂の目がくわっと見開かれた。赤く染まった視界のど真ん中に、ミノタウロスが腕を伸ばしてくる姿が映った。


 右手にはガウスライフルの重みが、しかとおさまっていた。


 二階堂が歯を食いしばり、銃身を地面に立てるように引き上げる。


 ミノタウロスの胸に赤いドットが光った。


 引き金は、恐ろしく重かった。


 直後、ガウスライフルが何人なんびとたりともあらがえぬ凝縮された火焔かえんを噴いた。


 周囲一帯の空気が大きく震え、ミノタウロスの姿が衝撃波にゆがむ。


 瞬時に一直線の細い閃光が空に向かって斜めに走り、同時に貫かれたミノタウロスの胸から火の粉が散った。


 そしてその光線を追って赤銅しゃくどう色の爆煙ばくえんが尾を引くと、それは瞬く間に赫灼かくしゃくたる赤に急膨張して、目がくらむ閃光と、空を震わせる轟音をまき散らした。


 二階堂は瞬きひとつせず、その一刹那いちせつなの過程を全て見届けた。


 周囲に渦巻いた熱い旋風が収まると、ぐらりと目の前の巨影が傾き、胸に大穴を開けたミノタウロスは仰向けに倒れ、地面を重々しく揺らした。


「――運動エネルギー万歳……」


 やや間抜けな捨て台詞を吐き、二階堂もまた、ばったりと大の字になった。


 白い樹液と、赤い液体、そして自分自身の血液で、彼の顔はぐちゃぐちゃに汚れていた。

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