黒髪のお姫様の元へ

死にゲー

「――よし」


 二階堂は額の汗を拭い、水を飲んだ。


 崖下に突き刺さった橋――蟻塚城から伸びている円柱状の柱――へのルートを作るため、簡易的なエレベータを設置し終えたところだ。地上の森は毒ガスが充満しているらしいので、蟻塚城に至るには、あの見るからに歩きにくそうな丸い橋を渡らなくてはならない。


 ビヨンド号は宇宙旅行用のサバイバル船だ。最低限の工具と物資は船内にあった。崖近くにウィンチを施設し、簡易的な滑車を地面に打ちつければ後は簡単だった。


 胃の入り口がぎゅうぎゅうと締め付けられて、二階堂は顔をしかめた。


 昨晩空腹で眠れなかった彼が、観念して仕留めたミノタウロスの肉を処理しようと外に出たのは空が明るくなり始めた早朝のこと。だが、昨日まで大樹の脇で倒れていたはずの肉々しい死骸は、既に骨だけに変わり果てていた。それは炭のように黒い骨だった。


「燃えた?」と二階堂が呟くと、そこに「骨は燃やしても黒くはならない」というロンロンの突っ込みが入った。夜、闇黒くらやみうごめいていた正体不明の異形どもに食われたということか。


 とにかく、こうして二階堂は食料を失った。


 大樹の樹液には不純物が多く、そこから作り出せた水の量は多くなかった。今、二階堂が腰にぶら下げている水筒が、残り二本分しかない。


 ――今日、何が何でも一匹、仕留めてこい。


 とはロンロンの言い付けだ。その声に急かされて、二階堂はこうして急遽きゅうきょエレベータをこさえていたというわけだ。


 断崖の上から眺める景色は空想的で美しかったが、目の前に鎮座するかや色の蟻塚城も負けじとせわしなくキラキラ光っていて綺麗だった。しかしあの城の内情を知る二階堂の目には、それは華美かびな装飾で愚か者をおびき寄せる万魔殿パンデモニウムさながらに白々しく映っていた。


 二階堂が腰を伸ばしながら深呼吸をしていると、ロンロンがぼそりと言った。


『死にゲーのインフェルノモードだな』


「どういう意味だ……?」


 二階堂は眉をひそめた。


『絶対に攻略できないという意味だ。攻略させる気がないとも言える』


 二階堂はがっくりと首垂うなだれた。


 昨日、貴重なドローンを一機犠牲にして入手した映像を解析したロンロンの結論は、この世界はまるで死にゲーのような危険度だということだった。


『死にゲーとはな、カオル、初見しょけん殺し満載のゲームのことだ。落とし穴、毒、部屋に入った途端に袋叩きなどは序の口。筆舌に尽くしがたい理不尽なシチュエーションの数々。特徴を知らなければどうやっても勝てない敵。ゲームの進め方によっては失われる貴重なアイテムの数々。場合によっては本当にそれでゲームが進まなくなることも。そんなクソみたいな世界を何度も死にながら、張り巡らされた悪意を全部記憶して徐々に進める距離を伸ばしていく。別名マゾゲーとも言われる、それはそれはやりがいのあるゲームだ』


「はぁ」


 ちょっと早口なロンロンに、生返事するほかない二階堂。


『カオルの状況はそれによく似ている。すなわち、足を滑らせれば即死間違いなしの高度。手すりのない橋。万が一、木に引っかかって生き残れても、下には神経ガスが充満。亜音速の矢がどこから飛来するか分からない中、やっとの事で向こうに辿り着いても、内部がどうなっているか不明の蟻塚城には、昨日のミノタウロス級の怪物がひしめいている。かたや、こちらには撃てない銃を担いだ、もうすぐ四十の男が一人』


「俺、やっぱ死にたい」と泣き言を漏らして二階堂が両手で顔を覆った。


『大丈夫だ、カオル。普通、こういった死にゲーというものは、時間をかけて数百回死ねばクリアできるようにデザインされているものだ。まぁ実際、あの蟻塚城はそんなバランス調整された優しい代物ではないだろうし、カオルは死んだらそこでゲームオーバーだから、死んではだめだぞ』


「言ってること、いきなり破綻してんぞ……」


 顔を引きつらせた二階堂。そうやって蟻塚城の威容いようを見つめる彼の背中に、ロンロンが続ける。


『君の身体は生きたがっている。それは昨日の戦いで明らかだ。なに、あの女を助けてしっぽり上手くいけば無事パートナーゲットだ。イッパツやってニャンニャンしていればその内、心も追いついてくるだろう。心配はいらない。女性というものは王子様に憧れるものらしいから、たとえカオルが無精髭を生やしたアラフォーでも、怪物ひしめく城の檻から助け出してやれば、助けてくれてありがとう王子様フィルターがかかって、彼女の目にはキラキラ憧れの存在に映るはずだ』


「言い方」


『子供でも作ってしまえば、もう死にたいなどと考えることもないだろう。そうすれば私の心労も減って万事オーライだ。良かったな、カオル。ビヨンド号はファミリー向けだから子供は二、三人オーケーだぞ。私が干渉できなくなるプライバシーモードも完備だ。思う存分ハッスルしてくれ』


 矢継ぎ早に繰り出される下世話な応援エールに、二階堂は大きく息を吸って嘆息をついた。しかし人工知能らしからぬ、酷すぎる話の中身がゆっくりと胸に染み込んでくると、その揺り返しで、腹の奥からふつふつと笑いがこみ上げてくる。


「ふ、ふふふ……」


 二階堂はついにこらえきれずに高らかに笑った。自分でも驚くほど大きな声だった。


 大声に乗って、心臓にまとわり付いていた晴れることの無いもやが、颯爽さっそうと吹き散らされていったのが分かった。


「はぁ~あ……笑った笑った! ……よし、準備するかロンロン!」


 二階堂はきびすを返し、手にしたレンチを機嫌良さそうにクルクル回しながらビヨンド号へと戻っていった。

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