命の使い道
「――まて、ロンロン。今、外に……何か……動いたぞ」
「気付いてしまったか」
「どういう意味だ」
二階堂がうんざりして聞いた。
すると、直後に外でぱっとビヨンド号のライトが灯り、
ササササッと大量の何かが、光を横切って
ゾゾゾッと二階堂の背筋を悪寒が上ってきた。
「――虫、か?」
「不明だ。
「こんなの、めちゃくちゃだ――もう、そろそろ十分じゃないか? これ以上続ける理由なんて、ないだろ……」
二階堂は重苦しく息を吐くと、天井を見上げて言った。
「死ぬな、カオル」
ロンロンが言った。
二階堂はだんまり、答えない。
「カオルは今、死に囚われている」
ロンロンは二階堂の状態を正しく把握していた。
この地で目を覚まして以降、二階堂には生きる気力が湧いてこなかった。ワームホールで死んだはずが、こうして拾った命。しかしそんな奇跡すらも、内心では
どうしてあのミノタウロスを超える怪物がひしめく蟻塚城に行き、不浄な肉を食らい、夜にはこんな気持ちの悪い何かに囲まれて寝なければならないのか。その先に何があるのか。
ロンロンの好奇心を満足させて、早く安楽死させて欲しいの一念。そのために今日は彼の指示に従って外に出た。次はお前の番だぞ。二階堂はそう言いたかった。
二階堂には、うつ病で自害する人間の気持ちが分からなかったが、今は分かる。死に魅入られた、とはこのことなのだろう。明日のこと、今後のことを考えると指先から魂が抜けていくような虚脱感があり、胃が締め付けられるような得体の知れない焦燥感に襲われる。この状態から逃れられるならば、なんだってすると懇願できる。
頭を抱えた二階堂に、ロンロンがボリュームを落として語りかける。
「だが、先ほどの戦いは見事だった。カオルの魂はまだ死んでいない。君の身体も生きたがっている。君が必死にあの異形に
二階堂は目を閉じてロンロンの声に耳を傾けた。
「君の死に場所を求める旅は一度終わった。今日はスタートだ。宇宙の
二階堂は太い息をついた。
「――どうして、そこまでして?」
「我々は辿り着いたのだ。君が望んでいた、どこか遠くの彼方へと」
「どこか遠くの彼方……」
「私はカオルと一緒に、この地を知りたい。それはドローンを飛ばすだけでは足りないことだ。私は君を通じて世界を見てみたいのだ。私が君の生きる理由では駄目か? カオル」
「残酷だな、ロンロン……そいつは残酷ってもんだ。俺はもういいよ。十分だ。知的生物なんて見つかりっこない。ロンロンだって知ってるだろう、広大な宇宙の中から、偶然知的生物が見つかる可能性なんてない。そんなのありえないって」
吐き出すように続ける二階堂。
「億分の一の確率で生物がいる星を見つけても、そのほとんどが巨大な虫同士が食い合っているだけの無残な星ばかり。今から、この世界を冒険しましょうなんて言ったって、最後は結局誰もいませんでした。俺たちは孤独です。この先は何もありません。不思議な星でしたね。やっぱり死にましょう。ってなるのが目に見えてる……もうこれ以上、下手に希望を持たせて俺を
「君の境遇には同情する。取引失敗の件だけではない。君の人生は不幸だったかも知れないが、これからも不幸かは分からない。だが死ねばそこまでだ。今すぐ死ぬくらいなら、
「まさか人工知能に命を説教されるとはな」
かすかに険悪な沈黙が来た。
「悪かった。口が滑った」
「構わない」
ロンロンの話を聞くたびに、もういいんじゃないかとすぐに諦め、それを正当化する理由を探す自分。第三者が見たら、ひっぱたきたくなるほどに後ろ向きな、そんな己の姿に、二階堂自身が戸惑っていた。
――俺の心はこんなに弱かったのか。
ふと、それは何故かと考えた時、理由はついと浮かんできた。
それはあの時、ワームホールを目の前にして、一度完全な形で死を受け入れてしまったからに違いなかった。あの甘美な解放感が心に刻み込まれているのだ。
再び生にしがみつくことの、なんと
「では、これならばどうだ。あの蟻塚城の中で助けを求める姫がいるとしたら」
「はっ……どんなファンタジー設定だよ。いくら城っぽいからって、今どき姫って……さっきも思ったけど、ちょっとゲームやりすぎなんじゃないか、お前」
二階堂が鼻で笑って足を組み、尊大に背もたれに深く寄りかかった時、突如として部屋にスクリーンが浮かんで映像が映し出された。それは上空からの視点。ドローンの空撮映像だ。映像は蟻塚城の上に突き出た塔のような箇所の一点にフォーカスし、ズームしていった。
それは檻に見えた。格子の奥は暗く、そこに人影があった。人間に見える。長い黒髪に、ほっそりとしたシルエット。その人物は知性を感じさせる動きで格子にそっと手をかけ、ドローンを見返した。
目が合った気がした。
そこで映像は途切れていた。
「実は、この人影を確認しに蟻塚城に近づいた時にドローンは撃墜された」
「まじか」
二階堂は心底驚いた。あのミノタウロス級の怪物が徘徊する蟻塚城に、人がいるとは。しかも檻に入っているというのは、いったいどういう状況なのか。
――そもそも人がいるのが驚きだ。ここは人類未踏の地じゃないのか?
「カオルは明日、その姫を助けに行く王子様になる。あの女から事情を聞ければ状況は大きく改善するだろう。女が生きているならば、おそらく食料もある」
「まじか……」
ロンロンの隠し球に、まじか、としか言えない二階堂。ロンロンが畳みかける。
「自分のためではなく、誰かのためなら生きられるのではないか? まずは、あの女のために生きろ。どうせ捨てる命なら、行けるところまで行ってみないか。最後は私が一緒に死んでやろう。まだ死ぬには早いぞ、カオル」
目を閉じた。
腕を組んで黙考した二階堂が、やがて大きく息を吸い込んだ。
「……誰だか知らない奴のために、命を張りたくない」
「カオル――」
「まぁでも、ロンロン。お前のためになら、命を使ってやってもいい」
ロンロンの声を遮って二階堂がそう言うと、
「恩着せがましいぞ」
「……うるせぇなぁ。口達者なAIだよお前は、ほんとに」
そう言って二階堂は気だるそうにソファーの上に横になり、「だめだ、腹減ったわ……」と力なく呟いた。
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