第19話「夕暮れの帰り道で③」
【side隼人】
一通りファッションフロアを見終えた俺たちは、ひとまずカフェで昼食を取ることにした。
「ダークモカチップフラペチーノのトール。ホイップ増量、チョコレートソース追加で」
冬華……?
なんて言った……?
え、何、呪文?
こいつ魔法使いかなんかだったのか?
「ほら、隼人は?」
冬華は隣に立つ俺にもオーダーを促してくる。
「あ……えっと、コーヒーで……」
「豆の種類はいかがいたしましょうか?」
「あ……えっと、普通で……」
やばい、これはカッコ悪すぎる。
俺はがっくりと肩を落とした。
「まあ、私は緑ちゃんとたまに来るからね、こういうお店」
「そうなのか……」
翔と一緒に行くのはファーストフード店が精々でこんな店に入った経験はない。まあ、大学生ならともかく、男二人でこういう洒落たカフェに入る奴の方が少ないだろう。
俺は席についてから改めて周囲を見渡してみる。壁はシックな灰色で統一されていて、何枚かお洒落な絵画のようなものがかかっていた。柔らかな暖色の照明が店内を優しく照らし出し、全体を落ち着いた大人な雰囲気にまとめあげていた。
「これは練習しといてよかったね。彼女と来たときにさっきみたいな調子じゃかっこつかないからさ」
そう言うと冬華はにたりと口の端を歪めた。
くっ……悔しいがこれに関しては冬華の言うとおりだ。まあ、他の女の子と来る予定などまったくないから、本当は別に気にしなくていいのだが。
「じゃあ、ここに関しては少なくとも私が先生だね。私の指示をきちんと聞くように」
「……よろしくお願いします、先生」
俺はそう言って頭を下げた。
そして、問う。
「では、まず、こういう店で注文するときはどうすればいいのでしょうか?」
「そうだね……とりあえず、サイズの種類は解る?」
「ええと……SMLじゃないんだよな……」
さすがにそれくらいの知識はもっている。
「そうそう。『グランデ』、『トール』、『ショート』ね」
「ややこしいな……なんでSMLじゃないんだよ」
「さあ、かっこつけてるんじゃない?」
そんなかっこつけに付き合わされるこちらの立場にもなってほしい。まあ、嫌なら来るなという話なのだが……。
「あとはオプションだね」
「そうだよ。さっきなんかややこしいこと言ってたよな?」
商品名の横文字が長ったらしいのは、まあいい。メニューを見たらいいだけだからだ。だが、冬華が言っていた後半の呪文の意味が解らない。
「オプションである程度自分の好きなようにメニューをカスタムできるの。例えば、この生クリームを多めにしてとか、チョコレートソースを追加して、とか」
「値段があがるんじゃないのか?」
「カスタムの内容によっては100円くらい変わることもあるけど、生クリーム増量とチョコレートソース追加は無料よ」
「マジかよ」
それは覚えておかねば損だな。
「まあ、全部メニューの端に書いてあるから、いざとなれば、それを見ればいいわ」
「なるほどな」
言われてみれば当たり前のことである。だが、俺はいざメニューを前にすると雰囲気に呑まれて焦ってしまいそうになる自分が容易に想像がついた。ここはこういう店に慣れるためにも、もう少し冬華から話を聞いておくべきだろう。
「あとは覚えておいた方がいいことはあるか?」
「覚えておいた方がいいことか……何かあるかしら」
「ほら、俺が知らなそうなマナーとか、作法とか」
はっきり言ってこの店は俺にとって未知の領域。何か知らない決まりがあったとしてもおかしくはない。
「そうね……」
冬華は眉に力を込めながら、何かを考えている。
そして、何かを思い付いたというようにぱっと目を見開いた。
「何かあったのか?」
「え……? あ、いや……」
なぜか急に顔を赤らめ、キョロキョロと視線をさ迷わせ始めた冬華。何かぶつぶつと呟いているが、何を言っているかは解らない。
「……いけるわよね?」
「冬華?」
俺の呼び掛けに冬華は顔を上げ、なぜか意を決した表情でこちらを見た。
「ひ、ひとつだけあったわ……」
冬華は、自分が頼んだフラペチーノをスプーンですくい、こちらに向かって差し出した。
「あ、あーん」
こ、これは?!
さすがの俺もこれはわかる! ラブコメで腐るほど見た!
恋人同士でやるという伝説の儀式、「あーん」。
自分のスプーンで恋人に対して自分の飲食物を分け与える行為。「間接キス」を自ら相手に押し付ける行動だ。こんなもの恋人同士でしかできるはずがない!
「と、冬華? 急にどうした?」
俺は突然の冬華の行動に動揺を隠しきれない。
「こ、これもマナーなのよ」
「マナー?」
「こ、こういう店に恋人同士で来たら、『あーん』ってするのが決まりなのよ」
絶対、嘘だ。
いや、こんな嘘に騙される人間が現実に居るわけない。確かに、俺はこの店のことは何も知らないが、そんなマナーがあるわけないだろうが。こんな嘘に騙されるのはマンガの主人公だけである。
しかし、だ。
冬華の考えていることも解る。
(おそらく、冬華は『あーん』の練習をしたいんだろう)
確かに『あーん』には、ある程度のテクニックが必要になる。適切な量をスプーンに乗せる必要があるし、こぼさないようにうまく相手の口元に運ぶ技量も必要だ。
もし、ここで「『あーん』の練習をさせて」と冬華が言った場合、俺が断る可能性があると彼女は考えたのだろう。
(だって、本当の恋人同士でもないのに『あーん』なんてはしたない真似できないもん……)
そんな「間接キス」するとか恥ずかしすぎる。頭が沸騰してしまいそうだ。
だが、それが「マナー」なのだというなら話は別だ。例えば、欧米に行ってハグを拒否すれば少なからず失礼にあたるように、マナーだと言われれば俺は従わざるを得なくなる。
(俺のカフェに対する知識の少なさにつけこんだな……!)
ならば、どうする。
ここで冬華の嘘を指摘すれば、おそらく冬華は引き下がる。勝てない勝負をするほど、彼女は愚かではない。
だが――
「は、早くしてよ」
顔を真っ赤にして、手を震わせている女に恥を書かせるほど、俺も男が腐ってはいない。
(ええい、何も考えるな! 俺は無だ!)
俺は冬華の差し出したスプーンを咥えた。
甘い生クリームの味が、口の中に広がった。
瞬間、冬華と目線が交わる。
俺は今、冬華と間接キスを――
何も間接キスくらい初めてではない。だが、「あーん」というのは、単なる間接キス以上の破壊力を秘めていた。俺の頭は一瞬でショートした。
「あ……」
「う……」
俺たちは何も言えなくなってしまい、ただただ黙って俯くのだった。
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