第7話「甘々な恋は嘘から始まる⑤」
「………………」
「………………」
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
俺は冬華と正面から睨みあったまま、立ち尽くしていた。
俺が見栄を張って「彼女が居る」と言った結果、冬華が「彼氏が居る」と言い出した。
その言葉が本当なら、もう俺には生きる希望はない。
俺にとって冬華は唯一無二の存在。他の誰かなんて考えられないからだ。
冬華の彼氏……いったいどんな奴なんだ……。
俺は震える唇を開く。
「そ、その……おまえの彼氏って、どんな奴なんだよ……」
「ど、どんなって……」
「そ、そいつのこと好きだから付き合ってるんだろ……好きな相手のことなら説明できるだろ……」
もしかしたら、冬華はその男に騙されているのかもしれない。それなら、俺が冬華を救い出してやらないと……。
俺は冬華の言葉を待つ。
冬華は何か気まずそうに逡巡していたが、しばらくしてようやく口を開いた。
「い、イケメンで……」
「イケメン……?」
「優しくて……」
「優しい……?」
「趣味が合う……」
「趣味が合う……?」
完璧じゃねえか!
つけ入る隙なんてどこにもありそうもない。
くそ……!
俺は血の涙を流した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そ、そっちこそ……」
私は卒倒しそうになる身体に鞭打ちながら、必死で言葉を紡ぐ。
「か、彼女って、どんな子なのよ……?」
「ど、どんなって……」
「その子の好きなところ、言ってみなさいよ……」
もしかしたら、隼人はその女に騙されているのかもしれない。それなら、私が隼人を救い出してあげないと……。
私は隼人の言葉を待つ。
隼人は眉をひそめて唸っていたが、しばらくしてようやく口を開いた。
「か、かわいくて」
「かわいい……?」
「優しくて……」
「優しい……?」
「趣味が合う……」
「趣味が合う……?」
完璧じゃない!
つけ入る隙なんてどこにもありそうもない。
そんな……!
私は血の涙を流した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
気が付けば、俺たち二人は机に突っ伏して倒れていた。俺が倒れたのは、冬華に彼氏が居たというショックからだったが、なぜ冬華まで倒れているのだろうか……意味が解らない。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。こんな風にしていては冬華が風邪をひいてしまう。
「冬華……」
「……何?」
「こんなところで油売ってていいのかよ……」
俺の言葉に冬華は首を傾げた。
「どういう意味?」
こんなことを言いたいわけではない。だが、俺は冬華のことが何よりも大切だ。つまり、冬華には本当に幸せになってほしい。
だから、俺は意を決して言う。
「彼氏居るんだったら、俺の部屋に入り浸っている場合じゃないだろ……」
彼氏という言葉を一度使うたびに、自分の中の気力がそがれていくのが解る。やはり、許せないが、冬華の気持ちも大切にしてやりたい。八方ふさがりとはこのことだろう。
俺の指摘に冬華はなぜか顔を真っ赤にして答えた。
「べ、別にいいでしょ……私の彼氏は隼人の部屋に居るくらいのことで怒らないわよ……」
く……なかなか器の大きい男のようだ……。
「それに……今は会えないっていうか……」
「会えない……?」
俺は冬華の言葉に反応する。
「彼氏なのに会えないのか?」
「え……まあ、そんな感じ」
冬華はどこか煮え切らない態度でそんな風に答えた。
彼女たちの間にも何かしら事情があるのかもしれない。だが、会えないというのは――
「そりゃあ、辛いな」
俺は冬華の気持ちを慮ってそう言った。
「え?」
冬華は顔を上げて、俺の方を見る。
「好きな人に会えないっていうのは辛いだろ」
「………………」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
こういうところだ。
隼人は優しい。私の気持ちに寄り添おうとしてくれる。そういうところも大好きだった。
意地を張って変な嘘をついてしまったことをより強く後悔した。今からでも真実を――
「実は俺もなんだ」
「……え?」
「俺も彼女に会えないんだよ」
隼人は辛そうな顔で俯いていた。
彼の言葉を聞いて思う。そうか、隼人も大好きな彼女に会えないんだ。
それは可哀そうだなと思う。もし、私が隼人と会えなくなったら、ずっと泣いてしまうだろうと思うから。
「そっか……寂しいね……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
冬華は俺の言葉を聞いて、悲しそうに眉を曲げた。
冬華は優しい。俺の気持ちを考えようとしてくれる。そういうところも、好きだった。
「じゃあ、デートとかもできないんだ」
冬華はそんなことを聞いてきた。
俺は正直に答える。
「ああ」
まあ、彼女の存在は嘘だからデートなんてできるはずがない。
ここまで来たらもう少しぶっちゃけてしまおう。
「実を言うと……」
「うん」
「デートは一回もしたことないんだ……」
デートをしたことがある、と言って、「じゃあ、どこに行ったの?」なんて聞かれたら答えられる気がしなかったのだ。俺は断腸の思いで素直になることにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
隼人、デートしたことなかったんだ……。
それを聞いて、私の方にもすこしだけ勇気が湧いてくる。隼人が本気でその彼女が好きなんだとしても、デートすらしていないなら、まだなんとかできるかもしれない。
私は深呼吸して、心を鎮め、ゆっくりと口を開いた。
「実は私も……」
「え?」
「デートしたことない……」
ここで見栄を張っても仕方がない。「どんなデートをしたんだ」なんて聞かれたら絶対に答えられない。実際には、デートなんてしたことないんだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ないのか……」
「うん……」
正直に言って、少しだけ安心した。
好きな相手とデートができないという冬華は可哀そうに思ったが、それでも安堵してしまった。我ながら性格が悪いと思う。
「そうか……」
また沈黙が満ちた。こんな気まずい沈黙が満ちたのはいつ以来だろうか。幼なじみとして、ずっと同じ時間を過ごしてきた。黙ってしまって気まずいなんて期間はとっくの昔に通り越して、お互いが同じ部屋で黙ってマンガを読んでいたって、息苦しさなど皆無。むしろ、背中を預け合うような一体感すら感じていた。
そんな俺たちに満ちる気まずい空気。それだけ「恋人」という存在が大きいということだろう。
こんな静寂の時間を先に破ったのは冬華の方だった。
「じゃあ練習しとく……?」
俺は冬華の言葉の意味が解らず、黙り込んでしまう。
そんな俺に向かって冬華はもう一度、口を開いた。
「恋人との本番のために、『デートの練習』しとこうよ」
それは青天の霹靂だった。
「『デートの練習』?」
「うん」
冬華はゆっくりと頷いた。
「私もあんたも『デート』、したことないんでしょ。そんなんじゃ、お互いの恋人と『デート』するときに困るでしょ」
冬華の言いたいことは解った。確かに、デートの経験者とそうでない者の間には、デートのこなし方に雲泥の差があるだろう。
だからといって――
「練習とか……いいのか?」
俺の言う彼女というのは嘘なのだから何も問題はないが、冬華には実際に彼氏が居るはず。その彼氏よりも先に他の男とデートするなんてことがあって、彼氏は気にしないだろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『デートの練習』
我ながら、無茶な方便だと思う。だが、私はどうしても隼人とデートがしてみたかった。たとえ、彼の気持ちが別の誰かにあるのだとしても。
「私の彼氏は心が広いから。隼人とデートしたからって目くじら立てるような人じゃない」
「そうなのか……?」
「まあ、でも、あんたの彼女に悪いか……」
今は完全に私の都合だけで突っ走ってしまったが、よくよく考えたら、隼人の彼女とやらが怒るかもしれない。いや、普通は怒るのが当然だろう。彼氏が自分以外の女とデートをして、喜ぶ人なんて居ないのだから。
だが、隼人はなぜかそわそわとしながら呟いた。
「俺は別に構わないけど」
「え……?」
「俺の彼女も、冬華とデートしたくらいで怒るような女じゃないからな」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「じゃあ、しようか……『デート』」
冬華は顔を真っ赤にしてこちらを見ている。色白な彼女の肌がまるでリンゴみたいに染まっていた。そんな姿も、本当に、本当にかわいい。
※ ※ ※ ※ ※
「するか、『デート』……」
隼人は切れ長の瞳でこちらを見ていた。鋭く力強い眼光に当てられて、私はめまいがしそうなくらいにくらくらしてしまう。
※ ※ ※ ※ ※
「あくまで『練習』だけどね!」
「そう! 『練習』な!」
「『練習』だから、勘違いしないでよ!」
「勘違いなんてするわけないだろうが!」
「ふん、それならいいけどね」
こうして、二人の『デートの練習』が始まったのだった。
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