愚者の成り代わり
月丘ちひろ
愚者の成り代わり
パチパチと弾ける音、皮膚に伝わる熱、そして後頭部に感じる腿の肉感。目を開けると、無数の星が煌めいていた。体には倦怠感があり、体を動かすことはできなかった。そういうわけで夜空を眺めていると、黒髪を編み込んだ女性がオレの顔を覗きこんだ。焚き火に照らされた彼女は恥ずかしがり屋な子どものようにハニカんだ。大人びた顔つきになっても、笑顔は六年前から変わらない。
「アン。久しぶりだな」
「やっと起きたと思ったら、子どもみたいに寝ぼけてる」
アンがオレの額をペチペチと叩くと、焚き火の向かい側から乾いた笑い声が聞こえた。その方を向くと、金髪の男が弓を抱えて座っていた。
「魔王軍幹部と相打ちになり、お前は強力な呪いを受けたんだ。覚えているか?」
オレが首を横に振ると。金髪の隣に座る、小柄で恰幅のいい男が顎髭をなでた。
「ワシの言った通りだろう、勇者カナタは絶対に目を覚ますとな」
オレは体を起こし、手元にある鞘から剣を抜いた。
鏡のような刀身には、赤い瞳と額に角を伸ばした男が映っていた。
「グシャの言っていたことがやっと分かった」
「グシャ?」
「……何でもない」
オレは刀身を見つめ、グシャとの出会いを思い出した。
……
アンとカナタが旅立ってからの六年間、オレは故郷の村で平穏に暮らした。義父と木を切り、大工と新婚夫婦の家を建て、猟師たちと山中で魔獣を狩り、医者と狩った魔物の毒抜きや病人の看病を行った。村民からは働き過ぎだと心配された。だけどオレは魔王討伐の旅をする二人と一緒に戦っているつもりで働き続けた。
それが祟ったのだろう。一人で山中へ狩りに出かけた際にミスを犯し、魔獣に追いつめられていた。背後を見れば断崖絶壁。魔獣は鬣を風に靡かせ、人より大きな巨体を後ろ足、前足と動かし、距離を詰めてきた。そのとき、地面が震えるような低い声が聞こえた。
「死ぬのは少し待ってもらおう」
血の滲んだマントを羽織った男がオレの目の前に立っていた。男は元々そこにいたように気配もなく現れると、飛び込んできた魔獣に手を翳した。次の瞬間、魔獣の体が燃えあがり、魔獣は悲鳴をあげて森の中に消えた。オレは改めて男を見た、男は顔の大部分と手足を包帯で覆っていた。地肌には色濃く傷跡が残り、凄惨な環境を渡り歩いたことが伺える。
「アンタ、何者なんだ?」
「私はグシャ。破滅の未来の救世主であるキミに神託を告げにきた」
「破滅の未来?」
オレが尋ねると、グシャは口を開いた。彼の口から聞かされたのは、村の皆が侵略を受け、略奪、陵辱、拷問される未来だった。だがオレはカナタが負けるはずがないと食いついた。
するとグシャはこう言った。
「神託があった日、キミも勇者の一人に選ばれていた」
「なら、なぜオレは六年間村にいるんだ!」
「キミに特別な力が宿っていたからだ」
グシャは続けた。
「キミには死者の力を継承する力がある。そして教会はその力をカナタが破れた際の担保にした。この意味がわかるな?」
オレは頭の中で出ていた答えを口に出そうとした。そのとき、グシャが吐血した。まるで水に浸した布を絞ったように滴る血液はグシャの死期を予見させた。だからオレはグシャに声をかけようとした。だが、グシャはオレの胸ぐらを掴み、掠れた声で言った。
「聞け。勇者カナタの魂は死を迎えた。今こそキミの力で未来を救うのだ」
「信じられるか。それにオレは力の使い方も知らない」
「使い方は簡単だ」
瞬間、オレはグシャに突き飛ばされた。
「継承する人間を思い……死ね」
突き飛ばされた先は霧が広がる断崖絶壁。オレの体は霧の中に吸い込まれるように落下した。死の恐怖の中、オレはカナタのことを思った。カナタはこんな恐怖と戦っているのかもしれない。そう思ったとき、オレの体は地面に叩きつけられた。
……
ここまで想起し、オレは我に帰った。
気がつくと、アンが不安気な表情を浮かべていた。
オレは剣を鞘に納め、彼女に微笑みかけた。
するとアンは胸をなで下ろし、言った。
「これが最後になるかもしれないね」
アンが呟くと皆が沈黙した。
夜風に吹かれた木々がざわめきが聞こえた。
それからしばらく、焚き火を囲み、この旅が終わった後はどうするか、という話をした。
恰幅の良い男はドワーフで、魔王討伐の賞金をもらったら商いを始めると言った。
金髪の男はエルフで犬猿の中であるエルフと人間との関係をつなぐ旅をしたいと言った。
そしてアンもまた焚き火を見つめ、語った。
「カナタには言ったけど、私は村に戻って、お嫁さんになりたい」
恰幅の良い男がおぉ、と声をあげた。
「花嫁衣装はワシの店で用意してやろう! で、お前の心を射止めた男は誰だ? もしやお前の隣でムッツリしている勇者様か?」
アンは目を細めた。
「村の幼なじみのメシア。外から来た孤児で、子どもを持てなかった夫婦に引き取られた奴なんだけど、皆に認められるために一生懸命な奴で、だから私が手綱を握るの。カナタはどうする?」
「旅が終わった後にゆっくり考える」
するとアンがクスッと笑った。
「メシアみたいなこと言うね」
「この旅が終われば時間はあるからな」
こうして、オレ達は最後の夜を終えた。
翌朝、オレ達は魔王の拠点に乗り込み、魔王との決戦に臨んだ。熾烈な戦いだったが、戦い方はカナタの肉体に刻まれた記憶が教えてくれた。語り合ったことのない仲間と連携し、学んだのことのない魔術を駆使し、カナタにしか使えない魂を殺す剣で魔王の体を切り、魔王が息を引き取ったことを確認した。満身創痍で簡単な治癒魔法すら使えなくなったオレ達は互いの体を支え合い、魔王の拠点を出た。これでオレの最初で最後の戦いは終わった……はずだった。
だが魔王の拠点を出たとき、オレ達の前に見慣れない鉄の筒を構えた、十字の鎧を纏う人間族の兵士が立っていた。彼らの背後には、アンとカナタに神託を告げた賢者の姿があった。
そして賢者は哀れみを帯びた表情で言った。
「亜人の勇者達よ、人族繁栄の柱となれ」
賢者の言葉とともに鉄の筒から光と轟音が響き、オレとアン、仲間達の体に穴が開き、地面に崩れ落ちた。
オレの体を支えていたアンが、オレの体を突き飛ばしたからだろう。オレは急所に攻撃を受けず、かろうじて生きていた。オレの前では瞳に光を失ったアンが涙を流していた。そしてオレの視界の隅には教会の衣を優雅に靡かせる賢者の姿があった。賢者はアンの前に立ち、
「人族の勇者でありながら、亜人に入れ込むとは汚らわしい」
アンの頭を蹴飛ばした。そして賢者はつま先をオレの方に向け、一歩、一歩にじり寄った。
まるで、断崖絶壁から突き落とされたときのような恐怖を感じた。
そう思ったとき、オレの脳裏に声が過ぎった。
……今こそキミの力で未来を救うのだ。
その言葉を思い出したとき、なぜか魔王の姿が浮かんだ。
次の瞬間、オレの目の前には魔王の玉座が見えた。
体には痛みはあるが、堪えることができる程度のものだった。
目の前には涙を堪える魔族達の姿がある。
「グシャ様……ご無事で!」
そのとき、オレは自分の使命を知った。
そしてこれまでのいきさつを、魔王の肉体に刻まれた記憶から読み取った。
人族が大陸全土を手中に納めようとしていること。
各種族の賢者達が人族の工作に堕ちたこと。
そして人族の女性との息子を迫害から守るために手放したグシャだけが、人族に抵抗していたことを。
「オレはグシャではない」
オレは立ち上がり、涙ぐむ魔族達に言った。
「オレは魔王メシア。先代魔王グシャの息子にして、グシャより神託を承った、魔族の勇者だ。これより情勢を立て直す。先代の意思を継ぎ、オレ達の手で人族の世界侵略を阻止し、誰も迫害されない世界を作るのだ!」
愚者の成り代わり 月丘ちひろ @tukiokatihiro3
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