第17話 ただいま
深く深く……。
紅い月の世界へ沈む。
トイレにあった、趣味の良さそうなスティックフレグランスの匂いが、ここでは感じない。
埃っぽさと、今とは違う壁紙の柄。
前回は被災当時の汚れた土砂の跡があったけど、今はまた違った家の記憶だ。
「……さて」
それでも今日も、ここにいるモノは変わらないはず。
トーカが言った守護霊プラン。
俺には少し思うところがある。
そもそも、心夏ちゃんの霊を守護霊にするなんて聞いてなかった。それだけで解決ならいいけど、問題はどう考えても華菜さんの方なんだよ。このままでは対処出来きれてない気がする。
トーカは生霊の話をする前に、心夏ちゃんとの降霊術を提案したけれど、華菜さんの生霊が易々と交霊を許すだろうか。
恐らく、みかんは生霊のRESET要員で連れて来られたんじゃないか ?
何者も全て浄化してしまう赦しの能力。
だが、華菜さん自身の願いは、赦しや懺悔では無い。
その『本音の塊』をRESETで消し去るんじゃないか…… ?
それって正しい事なのか ?
トイレから廊下にでる。
空きっぱなしのドアを隔てて、すぐ横に俺たちが通されたリビングがある。
その奥に人影。
〈このっ !! このぉっ !! 〉
な、なんだっ !?
気配を殺し、中を伺う。
〈こんなもの ! 要らない ! 要らないんだよぉっ !! 〉
華菜さんの生霊だ。先日はまるで現実の人間のようなはっきりした見た目だったのに。
今は髪が逆立ち、遠目に見ても爪は長く所々割れてボロボロ。手の皮もガサガサで、腕の長さも首の長さも異様で、人間と言うにはあまりにも……。
ソレが掻き毟っているのは、部屋にあるウォーターサーバーのボトルだった。
あれは前回俺とジョルが来た時に聖水に変えた物だ。ボトルにトーカに渡されたアイテムのシールを貼って聖水にしたまま置いて帰った……。
そのシールを剥がそうと悪戦苦闘しているようだった。
残念ながら、あれは現実世界で貼った物だから、いくらアカツキで剥がそうとしても剥がれない。
〈あぁああああっ !! もぅっ !! 〉
「……」
自分の精神が疲弊していくのが分かる。
手が、冷えていく。
……これ、無理なんじゃねぇの ?
俺、少しは期待してたんだ。
華菜さんが話し合いで納得してくれてたから。
この世界に来たら、生霊は少し落ち着いてて、更に話し合いもトントン拍子に纏まってくれたら……とか。
でも、建前だった。
当然だ。話してすぐ心の準備なんて出来るはずないし、だからこそ生まれた存在だ。
簡単に行くはずもない。
〈なんでよ ! なんで剥がれないのよぉっ ! 〉
聖水に触れた指先が火傷に変わる。
それでも尚、ボトルに爪を立てる。
多分、あいつも必死なんだ。
俺は廊下で提灯の灯りが部屋から気付かれないくらいの距離に潜ませたまま、一歩も動けなかった。
多分、気付いたら俺を襲ってくるよな。
でもこの状況で歩けば、フローリングが軋んだりしてバレるよな。気付かれないように二階から心夏ちゃんを連れてくるのは無理だ。
一度戻るか…… ?
二階からDIVEして……いや、それなら現実世界でも直で視えるジョルが行けばいいだけ。
俺、何やってんだろ……。
悪魔と戦うだけがBLACK MOONの仕事じゃねぇよな。
最初にセルか大福が行くって話してたんだったな。
セルは多分、ジェー討伐の時の様子を思い返しても、生霊はRESETしちゃえばいいって考えそうなタイプだと思う。
大福はどうなんだ ?
あいつはこういう時、どうするんだ…… ?
あいつの能力は……。
言霊……。
生霊に「消えてください〜」って言えば消えんのか ? 多分、大福くらい強ければ、その一言で消えてしまう気がする。
でも、大福がそんな事するかな…… ?
いつだか……輪廻転生に関して俺に説明してくれた時、あいつの本質は『僧侶』である事は絶対的な自身のあり方だと感じたんだ。
毎日毎日、御堂で経をあげる大福を見た時に感じたヒリつくような大福の気質。
俺はトーカの作戦の何に不満なんだろう。
そう。多分不満なんだ。
俺らが助けを求めて、手を差し伸べてくれたトーカ……。
さっきだって、華菜さんを気遣って、細心の注意をはらって会話していたと思うし。
みかん。
あいつはなんで来た ?
結局、上っ面だけで生霊は問答無用で消しちまおうってつもりなんじゃねぇのかな ?
〈あ、お水のお兄ちゃんだ ! 〉
やべっ !!
気付くと壁に張り付いてリビングを伺う俺の真横に、心夏ちゃんが立っていた。
人差し指を立ててシーッとする……そんな間も無かった。
〈お前っ !! 〉
華菜さんが首だけグリンッと振り返る。
〈出ていけっ ! 〉
「ぅっ……」
なんか。なんか言わねぇと !!
どうにか出来ねぇのか。
「聞いて……っ、くく下さいっ !!
こっ…… ! 心夏ちゃんが !! 」
〈…… ? 〉
「心夏ちゃんが ! 幸せになれる方法を持ってきました !
少し、聞いて貰えませんか ? 」
〈……〉
一瞬、生霊は黙ったが、突然手を振りかざし壁をガリガリを掻き毟る。
〈あああああぁぁぁぁぁっ !! 黙れっ !! いやぁあああああああああああっ !! 〉
背に冷や汗が流れる。
駄目だ……。
先日ここに来た時より凶暴になってる。話なんて出来そうにない !
「心夏ちゃん」
〈なーに ? 〉
「あれは本当のママじゃないんだ」
〈え……ママだよ ? 〉
「あれはママの偽物なんだ」
〈じゃあ、ママはどこ ? 〉
「ママは……」
君が死んでるんだよ。
心夏ちゃんは死んだんだよ。
この一言がどうしても出てこない。
〈ママだもん〉
どうしよう……。とりあえず今、心夏ちゃんはリビングにいる。
このまま俺は戻って降霊術に立ち会うか…… ?
いや。華菜さんの生霊が妨害するに決まってる。
そうこうしているうちに、赤暗い部屋が更に翳る。
新月だ。
もう、戻るしか…… !
「心夏ちゃん、これから本当のママが呼ぶから、ここで返事してくれる ? 」
〈え…… ? 〉
心夏ちゃんは判断を託すように華菜さんの生霊を見上げる。
〈やめろ! やめろ ! やめろよっ !! 〉
〈ママが……駄目って言ってるよ ? 〉
「あれはママじゃないんだ ! 君は、もう…… ! 」
その時、背後になにかの気配がした。
キィィ………
ちょうど心春ちゃんがいるであろう、ままごとセットの側に、ウォークインクローゼットがある。
その扉がゆっくりと開かれる。
新月だ。何が出てくるか分かったもんじゃねぇ。
無意識に提灯に指を入れ、焔を形成し銃口を突き付ける。
「誰だ !! 」
〈ひぃっ ! 〉
俺の武器を見たソイツは、両手で頭を覆うようにして怯えた。
老婆だ。
それも、少し小綺麗で品の良さそうな方と……。
〈お〜 !
「……あ ! ……ぅぇっ ?! 」
日本語 ???
日本語だよな !!
同じく老人ながらもゴツゴツとした大きい手の男性。
「あ、あ……まさか…… ! 」
まさか……だ。
俺は焔を消した。
神々しい光に護られた二人の老人に、無意識に頭を下げていた。
〈あんだ、人すか ?
ないで こないなどこさぁ〜くったんだべ〉
「は、はい。えと……除霊師と言うか、拝み屋と言うか……。
アレを……」
俺が目配せをした先、最早跡形も無くなりかけた華菜さんの生霊を見て、老夫婦は驚く程に冷静な面持ちで頷いた。
〈しょーもねなぁ。ほれ〉
お爺さんは抱えていた白い猫を、華菜さんの生霊に向けて離した。
〈来るなぁ ! シッシッ !! 〉
お婆さんは俺の背をトンっと叩いた。
〈あいだら、もう要らんけ〉
えっ !? 要らんと言われても。
〈あど、おい達にまがせろ ! 〉
視界が歪む。
まさかの強制退室 !!?
〈おい達が抑えとっから〉
華菜さんの生霊を…… !!?
抑えられるのか !?
「うわっ !! 」
気を持ち直すも、現実世界に戻って来てしまっていた。
「おー ? ユーマ。戻ったのか〜 ? 」
「ジョル、トーカに急げって伝えろ」
「え ? 」
「華菜さんの御両親が降りて来た」
これには華菜さん本人も真っ青になって立ち上がった。
「お母さんとお父さんが !!? 」
「生霊を抑えてるうちに初めてくれって ! 」
華菜さんは震えた手の平をキュッと胸の前で握る。
「お母さんお父さん…… ! ごめん…… !
トーカさん。お願いします ! 」
「ええ。始めましょう。
私の手を握って。サークルを作るように」
カーテンを閉め終えたみかんがキャンドルを立てて火をつける。
ジョルは心春ちゃんを連れて近所に散歩に行く事に持ち込んだ。
「リーディングを始めます。
質問は手短に。このキャンドルが消えたら終わり。
では……」
トーカは目を閉じると、意識を落として行く。
次にそっと開いた瞳は、白濁したような銀眼だった。
みかんが泉さん夫婦にそっと告げる。
「入りました。心夏ちゃんです」
俺はトーカと華菜さんの間で手を握りながら、そのサークルの中で息を潜めて成り行きを伺った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます