第4話 依頼人 泉 華菜 様御一家の怪奇現象 1

「どうぞ」


コーヒーを二つ出された。じっと固まって悩んでるジョルのカップのそばに、俺のシュガーも置いてやる。二本も入れりゃ飲めるだろ……多分。

依頼人は泉 華菜いずみ かなさん。年齢は三十七歳で結婚十七年目。一度目の家は実家で両親と同居。怪奇現象が起きてから、両親の死をきっかけに実家を出てこの家を購入。


「御両親は……御実家は今は無い状態ですか ? 」


「はい。流されてしまったんですよね……東日本大震災の時に…………。何とかリフォームしてやっと住んでたんですけど……なんだかおかしなことが続いて……結局、この家に」


「そうですか……。いい家ですね」


「ありがとうございます。親戚の家だったんですけど、私たち夫婦が中古物件として買ったんです。実家のリフォームも結構出費だったし……」


予算が無くても、実家を出る程の何かがあった……と言うことか。

現在の家族構成の中に、両親は含まれて居ない。子供と旦那さんのみだ。

話をしていると、ジョルが「娘さんですか ? 」と華菜さんに聞いた。


子供その娘は俺たちの後ろの折り畳み式のテーブルで、大人しくクレヨンを片手にグリグリと塗り絵をしていた。

ショートカットでバランスのとれた大きな瞳。将来美人確定っ娘かな。母親も綺麗だし。ただ、華菜さんには覇気がない。心底参ってるって顔だ。


「すみません。うちの子、人見知りで……」


「ああ、いえ。いいんです ! 」


「……なんだか甘やかしちゃって」


「俺が子供の頃なんか、もっと落ち着き無かったです。客のお菓子とか奪ってましたよ」


「あはは……そうなの ? 」


華菜さんはただ話を合わせるだけの様子で、世間話を振ってみても基本的に力無く笑うだけだった。こりゃあ、相当疲労してるようだな。

始めるか。キャリーバッグからバインダーを取り出す。調査票だ。聴き取りの際、必ず残せと言われている。


「さてと……では具体的な話を聴きましょうか。

ソレらは目に視える、または視た事がありますか ? 」


俺の問に、華菜さんは首を横に振る。


「いいえ。足音とか物の移動だけです。でも……日増しにエスカレートしてきてるんです……」


「最初に覚えてる異常は、どんなことですか ? どんな些細な事でもいいです」


華菜さんはテーブルに肘をついて細い指で額を覆う。


「ええ……はぁ。そうなんですよねぇ……覚えてるんですよねぇハッキリと。

最初は夜、枕元に置いていたコップの水が減っていた事です」


「それは……飲水ですか ? 」


「ええ。その……災害から私、不眠になってしまって……内装をリフォームし直して、避難先から戻ってもなかなか思わしくなくて。それで処方薬を……」


睡眠薬か……。睡眠薬って幻覚がある事もあるらしいけど、どうなんだ ?

病状が酷くなってから、母さんも処方されてたな。問題はその幻覚を、第三者も視えているかが鍵だ。第三者の証言は保証になる。

そして、この家族は全員が霊的現象に襲われている、と調査票には書いてある。故に幻覚等では無いのだろう。


「あの……」


俺の空気を読んでか、華菜さんは申し訳無さそうに小さく話す。


「分かってます。うちの主人も、最初は信じてくれなくて……」


「いえいえ、引き続きで聞きました。怪奇現象は旦那さんも体験してるし、お子さんにも怪我が多いとか ? 怖がらせるつもりではないですが、霊による干渉という事で間違いはないと思うんです。大丈夫ですよ。続けて下さい。

コップの水は毎日減りましたか ? 」


「それが……。減ってると気付いた日の次の日のグラスは、ほぼ空になってたんです。

その日、主人は夜間勤務で家には居ませんでした。私一人だったんです」


「娘さんは今……お幾つですか ? 」


「五歳です。本当に実家を出る直前に産まれたくらいで……何故娘にまで、そんな事をするのか……。ナニかに道路へ突き飛ばされたり、固定式の姿見が倒れてきたり……。


実家には当時、猫が居たんですけれど寝室には入れなかったし、コップの水を飲んだとしても綺麗に飲み干されてて、サイドテーブルの上も絨毯も異常はなくて……。猫じゃないんですよねぇ。

私、自分を納得させたくて、水を汲んだつもりで空のコップ持ってきたのかな……なんて。霊がどうこうとか、考えたくなくて」


徐々にトーンダウンしていく華菜さんのそばに、娘さんが駆け寄る。


「ママ、ジュース飲みたい ! 」


「あ、じゃあ持ってくるね。失礼します」


「どうぞどうぞ」


ポケ〜っと待んぼしている娘さんを、ジョルはチョイチョイと手招きする。


「お名前なんですかァ ? 」


心春こはる ! 」


「心春ちゃん、ジュース飲むの ? ナーニ飲むの ? 」


「カルピース ! 」


「いいね ! 」


「うん ! 」


子供苦手って言ったよな ? 自分から突っ込んでったぞコイツ……あっ !! 女の子だからか ! ?


(おい、あんまベタベタすんなよ。俺たち男だからな ?!)


心春ちゃんが「不快な思いをした」と申告するだけで、俺たちは社会的に抹殺されるんだぞ。膝に乗せんな ! お前だけ良い奴みてぇじゃん ! お前は良い奴だけども ! えっ ! ? 俺、何言ってんだ ! ?


華菜さんはすぐ戻ってきた。プラスチックのファンシーなコップに、白い液体が少しだけ入っている。その時初めて、俺のそばにウォーターサーバーがあるのに気付いた。凄っ。全然気付かなかった。オシャレ〜。ずっと家具だと思ってたコレ。昔みたいにタンク丸見えじゃないんだな。


「華菜さん、ちょっといいですか ? 」


「はい ? なんでしょう ? 」


俺は内ポケットから、トーカに貰ったマスキングテープを取り出す。


「ちょっとオマジナイをかけますね」


「はぁ……」


カルピースをウォーターサーバーの水で割る前にこれをやれば……少なくとも華菜さんと心春ちゃんは憑き物の類は無しだと言いきれる。


〈我が主よ この水に祝福を〉


多分、マスキングテープに書かれたエノク語の意味はそうだったはず。そのテープを十字に貼り付けるだけ。それだけでこのウォーターサーバーの水は聖水に変わったはず……なんだけど。目では分かんねぇ〜。ジョルをチラ見すると「うん、うん」と頷いてる。やっぱりコイツには視えてんのか。なんか、悔しい。


さて。聖水に変わったこれを、触ったり飲んだり出来ないのは悪魔や悪霊、魔物って訳。


「お水、お清めしましたんで。あぁ、どうぞどうぞ。中身には何もしてないので大丈夫ですよ」


「そ、そうですか」


華菜さんはサーバーからカルピースの原液の入ったコップに水を注ぐ。

華菜さん自身もなんの躊躇いもなくコックに手をかけ、心春ちゃんも嬉しそうにカルピースを受け取りフグフグと飲み出す。

ジョルと目が合う。

少なくとも二人に悪魔は干渉していない。

個人的には霊だと思うけど、アカツキに行って立ち往生するより、先にもっと情報は欲しい。


心春ちゃんを塗り絵テーブルに戻してから、炬燵に戻った華菜さんは、なにか言いにくそうに俺達に尋ねてきた。


「あの……お坊さんがいらっしゃると聞いていたんですけど、何かあったんですか ? 」


あ、あー。それな。触れて欲しくなかった。何せ……気乗りしない大福から無理にぶんどって来たからなぁ。


「いえ、その……。俺たち若手なので……立候補したんです。お役に立てればと !

大丈夫ですよ。未達成の場合はもちろん報酬は発生しませんし、その時は俺達も正直に依頼人の泉さんにも上司にも申告します。途中でやめたり、悪化させたりしませんので ! 」


「あ、そうだったんですね……良かった。何か悪い事でも起こったのかと心配しちゃいました。

解決すれば特に問題は無いので……」


俺の説明に安心してくれたようだ。華菜さんの口から小さな安堵の息が漏れた。


「続けて下さい。

今もお水は無くなりますか ? 」


「試してません。三日目の夜、その日も私一人だったので、グラスから目を離さないようにしてみたんです。けれど眠る直前になって、一階から水の流れる音がしたんです。迷ったんですけど、部屋のドアを開けてみると何処かの蛇口から水が出てる音でした。

怖くなっちゃって……でも止めない訳にも行かないし、それで薬を持って一階に行ったんです」


「薬を ? 」


「ええ。一階でそのまま寝ようと……二階に戻って来る勇気がなくて。

予想通り台所の蛇口から水が全開で出ていて、水を止めた後……リビングでブランケットをかけて……そこで震えて寝たんです。怖くなっちゃって」


「ええ」


「朝になって、主人が夜間勤務から戻ったので寝室を整えようとベッドに戻ったら、昨晩汲んだはずのグラスの水が腐ってたんです……その、カビが生えてて。

グラス、綺麗だったのになぁって……。それで、やっぱりおかしいって思い始めて……そこからは、常に家の中に誰かがいるような気がして。

あの。気のせいですか ? 私たち夫婦の思い込みでしょうか ? 」


いや十中八九、霊でしょうね。けれど、何が原因なのか…… ?


「何らかの影響で、そう言った現象が起こっているのは確かでしょう。俺たちは専門分野として考えますが、勿論科学も否定しません。

改善するために来ましたので ! 」


「はい」


「では、旦那さんと共通のモノを体験したり感じたりしたことがあれば、お聞きしてもよろしいでしょうか ? 」


俺の問いに華菜さんが一瞬、躊躇ったのを見逃さなかった。


「足音と物の移動が……頻繁に起こるんです。今もです」


この家に来てからもか……。


「ジョル、お前一緒に遊んでやれよ」


心春ちゃんには聞かれたくないはずだ。隣室の窓際にママゴトセットが見える。そこに心春ちゃんを連れていくように促す。


(え〜、俺もシゴトしてぇよォ〜)


(頼む ! お前懐かれてんじゃん)


(え ? そかな ? いやまぁ〜そういう事ならァ〜)


あ、使いやすい。コイツ、使いやすい !


「あ〜お腹がすいたなぁ〜♪ 目玉焼きが食べたいなぁ〜。あ ! あそこにあるゥ ! 」


「あるよ ! 食べたいの ? 作ってあげる ! 」


「ホントか ! ? うっれしっいなぁ〜♪」


ジョルはノリノリで幼女とママゴトを始めた。


「あらあら、なんだかすみません。珍しい……からびっくりしました。知らない人には挨拶もろくすっぽしないもので……」


「あぁ、あいつはおん……ゴホン、子供好きなので」


すまんジョル。お前の女好きを無駄にはしまい ! ! !


「足音は、どんな感じか分かりますか ? 例えば動物っぽいとか、怒っている様にドスンドスン歩いてるな〜とか」


「怖くて、気にしたことは……。あぁ、でも動物っぽいですかね ? こう、走り回っているような。大人の歩く様な歩幅ではないし……」


「旦那さんも聞いてるんですよね ? 」


「ええ。もうすぐ帰宅しますので」


「そうですか。

ん〜。旦那さんにも話を聞いてみたいところではありますけど……じゃあ、先に他のお部屋見させて頂いていいですか ? 」


「構いません。心春、一人で遊んでてくれる ? 」


華菜さんに続きジョルが脳天気なテンションで心春ちゃんにデカい皿を手渡す。


「この皿にハンバーアーとポテトと、カルピースのセットお願いしま〜す♪」


「えへへいいよ ! 」


「じゃあ、出来るまで買い物済ませてきちゃっていいですかぁ ? 」


「カシコマリました ! 」


ジョルがそっと心春ちゃんから離れる。


「オマエ楽しそうダナ〜」


「うん。楽しかった ! 」


うん。いいぞ。お前のそのポンな所、嫌いじゃないぜ。幼女にほだされた。完全に絆された。逆に子供の相手、向いてるんじゃねぇかとすら思えて来たコイツ。


「これから内見に入るから、お前この家を頼むぜ」


「OK」


「泉さん」


「はい」


「俺は少し特殊な方法で霊視をするんです。この家の中に、心春ちゃんが来ない場所はありますか ?

自己催眠をかけたいんです。

物音で起きたり、揺さぶられたり声をかけられたりしない場所がいいんですけど……」


「う、うーん。子供が小さいと閉じ込めなんかが怖いので、鍵のかかる部屋は全部無くしてしまったんです」


あ〜そっか。事故とか多いもんなぁ。霊障があると特に。最悪、駐車場の車の中かなぁ。


「えっと、そうですね……鍵のかかる部屋………」


場合によっちゃ、ありませんって答えが返ってきてもおかしくねぇもんな。もし起こされたら仕方ないか。収穫があればいいが、無かった時は入り直せばいいか。問題はアカツキの月が今どのくらい欠けてるかにもよる。

華菜さんはふと思いついたように顔を上げる。


「そうだ……。バスルームでもいいですか ? 」


バスルームか。いいかもしれない。水場ならそこにいる場合の確率も高い。


「構いません。

なんかすみません。急に風呂場に案内しろ何て……」


「構いませんよ。どうぞ」


リビングから玄関の方へ戻る。廊下には二つの扉。一つはバスルームのある脱衣所だ。もう一つの扉はトイレだろう。


「お風呂場は鍵がかかるので。簡易的な物ですが、心春には開けられないと思います」


なるほど。閉まってもコインやドライバーでスライドすればすぐに開くような簡単な鍵だ。位置は俺の目線くらいの場所にある。心春ちゃんに触らせないには十分の高さだ。


「よし。じゃあ始めます。

ジョル、泉さんに案内して貰って家を視てくれ。

泉さん、彼はこの世界で霊視しますんで」


「あなたは…… ? 自己催眠って、どんなことを ? 」


「俺は死者の世界に、直接行って来ます。良い霊ならアドバイスを聞いてくるし、悪い霊なら説得して天に上げます」


「そんなことが ! 可能なんですか…… ? 」


俺はちょっと半斜め前を向き、泉さんの目を見つめながらニヒルに微笑んで見せた。


「まぁ、これが。BLACK MOON……そう、プロのやり方ってヤツですよ」


「へぇ………」


「では、俺達も行きましょうッス」


決まった ! と思ったところで、ジョルがそそくさと華菜さんを俺から引き離し連れて行った。


「くっ」


華菜さんが廊下に消えたあと、ジョルが小走りで脱衣所に戻ってきて、俺に連続パンチを入れて来た !


(アーホ ! アーホ ! !

にぅははは !!!! )


(うるせぇ ! さっさと行ってこい ! )


(ふぃー)


急に恥ずかしくなったじゃねぇか ! ! 全く……。


俺は小脇に抱えて来た提灯をバスタブの蓋に置くと、蝋燭にライターで火を灯し提灯に入れる。バスルームは思ったより湿気がない。冬のせいかもしれないな。俺は鍵をかけると、そっと床にしゃがんだ。

収穫、ありますように。


「DIVE ! !」

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