第5話 依頼人 泉 華菜様御一家の怪奇現象 2

 冬のバスルームとは言え、急激に体感温度が下がる。自分で吐く息の方が暖かい。耳鳴りが止んだ辺りでゆっくり目を開く。


「よし」


 DIVE完了。

 まずは月の満ち欠けを確認しに行く。

 アカツキでのこの家は、現実の泉家の内装よりボロボロだった。宮城の沿岸部、六号線には『津波到達地点』と書かれた標識をよく見かける。この家もその内側だった。

 バスルームから出る。壁紙に亀裂や何かが衝突した痕が沢山ある。指で撫でると砂埃のようなものが付着してくる。見上げると、天井から二センチ程下まで汚れていた。ここまで水が上がったんだろう。

 土地の記憶が、アカツキで俺に視せてくれる。この場にいる自然霊が伝えたいことを視せてくることもある。現実に起こった、過去の録画のように。

 東日本大震災の爪痕は大きい。

 最も華菜さんはその頃、更に北の実家にいた訳だが……。


 ナニカがいるのかもな。


 脱衣所を出て、廊下を提灯で照らす。

 まずはさっきまでいた炬燵のあるリビングまで行って、窓から月を確認しよう。

 廊下を進むその前に、ふと玄関の方を照らしてみた。


「…………」


 薄桃色のドア。

 あれ…… ? 玄関のドアってこんな色だったっけ ? ピンクだぞ、ピンク。そう、俺の好きな色のピンク色。泉家に到着してこの色を見たら、俺は絶対リアクションしたはずだ。多分現実では違う色のはず。もっと一般的な黒っぽいドアに洒落た曇りガラスが付いていたはずだ。


 更に提灯の灯りをドアに近付ける。


「まさか…… !! 」


 ドアノブがない ! これは知ってる ! ゲートの扉だ。スルガトの開くあの扉は、内側から勝手に開けられないように鍵がかかってたり、足場の無い高所に存在したり、ドアノブが付いていなかったりする。


 ここは…… !!

 アカツキの世界から更にドアや窓の中に入った先の領域。


「ここ、クロツキか !? 」


 慌てて引き返しリビングに飛び込む。裂けて半分も残っていないカーテンの残骸をジャっと開いて月を見る。空に浮かぶ黒に近い紫色の暗い月。


 間違いない。ここはクロツキだ。

 いつだ ? どうしてここに入れた ? 普通アカツキから新月の瞬間に開いた場所へ飛び込まないと踏み入れることのできない空間。アカツキに行ったつもりでクロツキに居た事なんて今まで一度もない。なにか理由があるはずだ。


 呼ばれた…… ?

 この家に憑くモノに……。


 この家の玄関……あの桃色の玄関を入ったところで、俺たちは知らず知らずのうちにクロツキの中に入ってしまったんだ。出来るのか ? そんなこと。

 ……もし、この泉家自体が現実世界とアカツキの不安定な場所に存在していたとする。所謂、霊道とか心霊スポットとかの、あの世とこの世が複雑に混じり合う場所。

 そこに住まった魔物が巣を創ったら、そこはクロツキに変わる。新月の日にだけ開くアカツキのゲート。この家は玄関がそうだった。

 霊力のある俺とジョルは、まんまとアカツキが新月になりクロツキへの扉が開く瞬間、この家に来た。アカツキやクロツキは概念と認知の世界だ。玄関を潜った瞬間に、ここいるはずの魔物が「テリトリーに人間が来た」と認識したって事だ。そしてアカツキが歪み、俺達はクロツキに招待された。

 問題は、一度クロツキに入ったが最後。

 そいつを倒さないと俺はここから出れないって事。


「炎銃 焔 ! 」


 蝋燭の火から焔を召喚。グリップを強く握る。とりあえず召喚するけど、俺の銃は霊に効かねぇんだよな……。

 窓から外を伺う。果てしなく広い闇。砂粒一つ無い無の世界。あったはずの隣の家も、草木すらも存在しない。

 でも、敵は確実にこの家の中にいる。うーんと、場所が分かれば……案外、安全なんじゃねぇの ? 普通の霊なら浄霊で上げればいい事だし。


「出て来いよ ! 時間の無駄だろ ! ?」


 全くの無音。物音一つしない。何も居ないなんて事は無いはずだ。隠れてるのか…… ? クロツキだぞ、気を引き締めろ俺。

 一度テーブルの上に提灯を置く。

 ウォーターサーバーの水はどうなってる…… ? 木製の棚を開けてタンクを見ると、その水は金色に輝くように美しい色をしていた。


「嬉しい誤算だな。これは……」


 俺はコックを捻り、流れ出る水からもう一つの銃を形成する。


「碧銃 翡翠」


 メタリックブルーのスレンダー美人。こいつは焔と同じく弾切れこそ無いが、マガジンのタンクに液体を入れると作動する。前にカエルの血を入れたが、今回は聖水を入れる。俺がガチャガチャと作業しているすぐ後ろ……。


 ドサッ !!


「……… ? 」


 何かが落ちる音がする。そんなに大きくはない。大型犬くらいかな。スリ……スルリ……という衣擦れ音と共に、トフトフと絨毯の上を歩いて来る。

 ……来たなコレ。振り向いたら居るヤツ。

 背筋がスゥっと霊気に触れる。


「…… ? 」


 意味が分からなかった。その霊気には敵意が感じられ無い。ゆっくり腰を落として、振り向きながら銃口を向ける。

 いた……。

 俺の視線の先にいたのは、丁度心春ちゃんくらいの年頃の幼女だった。長い髪にピンク色のヘアゴム。目元がパッチリしていて顔立ちのいい子だ。

 テーブルにあった心春ちゃんの飲んでいたカルピースのコップを両手で包み、俺なんかに目もくれず飲み干した。


「君は…… ? 」


 服装は……最近だな。着物でもないし、古めかしくもない。心春ちゃんの着てた様なスカートに、黒いスパッツ、ソックス。セーターのリスマークは、複合施設のショッピングモールでよく見かける洋服のブランドだったはず。


〈お兄ちゃん誰 ? 〉


 なんで子供がこんなところに……。


「……ん〜。俺はね、君を助けに来たんだ ! 」


〈そうなの ? 〉


「うん」


 この子が霊障を起こしていた ? どうも、そうには感じない。


「あのね。ここにずっといるとな、良くない事が起こるんだ」


〈どうして ? 〉


 どうして、か。

 霊はアカツキを彷徨うと、数年で悪霊や怨霊になるカウントダウンが始まる。悪霊になると人型が崩れ、やがて異形の者へと姿が変貌してしまう。

 この子はまだ綺麗なままの子供の姿だ。

 その場合、異形にならない可能性は三つ。

 一つは死んでから日が浅い。そしてその場合は亡くなった場所や思い入れのある場所に居着く事が殆どだ。でもここは泉さん一家が住んでいる。

 と、なると……二つ目の可能性。以前ここに住んでた泉さんの親戚の子供…… ? それなら説明は付く。家族が引っ越しても、その場に踏みとどまってしまった。綺麗な状態を保てているのは遺族に供養されているからだ。この子は迷子になっているだけなんだ。


「一番最後……ここに来る前に覚えてる事ある ? 」


 幼女は少し俯いてから、こくりと頷く。


〈お水がね。来たの。ママと一緒だったけど、離しちゃったの〉


「離しちゃった ? 」


〈手を〉


「…………そっか……」


 ああ。薄々分かってはいたけど……この子は津波で……。この家の土地が視せたのはこの子のために……。


 次の瞬間、俺の脳内はパンク寸前までフルに動く。

 この幼子に、『死』をどう伝える ? それも、自身の死だ。信じられる訳が無い。

 何より酷だ。

 傷付けたくない。

 多分、死んだ事に気付いてないんだ。そんな霊は今まで多く視てきた。でも、こんな小さな子に……俺はどう伝えたらいいんだ。


 アレ……でも……おかしくないか…… ?

 いや、とりあえず蝋燭を持たせればそれで済む。あとはこの子の守護霊や先祖が迎えに来るはずだ。


「じゃあ……この蝋燭を持ってみて。ここ、暗いだろ ? 」


〈暗くてもヘーキ。明るいの、嫌なの〉


「かも知れないけど、これを持ってれば…ママの所に帰れるんだ」


 それは本来行く世界。本来帰る家庭。供養してくれている遺族のいる場所。そして天へ上がる場所。


〈ママに会えるの ? 〉


「そうだよ」


 俺の差し出す蝋燭をジッと見つめる幼女。


〈知らない人から貰っちゃいけないの〉


 あぁ〜、そう来たか。教育〜〜〜 ! 間違ってないぃぃぃ。幼女の教育〜ぅ ! 完璧 ! !


「ん〜、お金とか食べ物は危ないけどさ。これは灯りだから。明るくしてれば、ママからも見つけやすいだろ ? 」


 何とかオブラートに包みたい一心で話す。勇気がない。この自覚の無い小さな子に死の宣告をするのは俺には出来ない。


 だが次の瞬間……「いらない」と首を横に振った幼女は、おかしな事を口に出した。


〈ママなら居るもん 〉


「え ? 」


 幼女は立ち上がると、パタパタと身軽に二階へと駆けて行った。


「マジか……」


 震災から十年。綺麗な霊体のままでいる、三つ目の方法や可能性。

 ボス格の悪魔や悪霊に使えてる事。あの幼女に自覚は無くてもそれは起こる。霊は霊を呼ぶ。強い霊が弱い霊を騙し、取り込んでしまう。

 に化けた何者かがこの家で、あの子の成仏を妨げてるのかもしれない。


 俺はホルスターに焔を入れ、翡翠を片手に二階を見上げる。そのボス格が霊体という域を越えて完全な魔物になっていたら、聖水は効き目があるんじゃないかと思える。

 提灯で照らされた階段は砂だらけで、途中に瓦礫やペットボトルなんかが散乱している。


 霊障の物音。華菜さんの言っていた足音も……あの子くらいの体重なら、動物の足音と聞き間違えてもおかしくないだろう。華菜さんの聴いていた霊の足音はあの子のはず。

 だが、異形にならずに済んでいるのは、そののおかげなんだろうな。


 銃を構えて寝室、テラス、人形やぬいぐるみのある心春ちゃんの部屋。思い切って全てを開けて行く。

 何もいないし、攻撃もされない。何故だ ?


 残すは最後の部屋……最奥の部屋のみ。

 丁度リビングルームの真上に当たる部屋だ。


〈………〉


〈…… ! 〉


 二人分の声が微かに聴こえる。あまり驚かせたくはないが、母親に化けるなんて悪事は今日限りだ。霊は撃てない。だが、発砲出来ない訳じゃない。


 ドカッ ! !


 俺は扉を蹴破って部屋へと入る。一番最初に目に飛び込んできた、俺と同じ位の背丈の霊体へと銃口を向ける。

 ソイツは幼女を羽交い締めにするようにしてこっちを見てきた。人質のつもりか。だが、身長差があり過ぎる。ヘッドショットなら十分当たるし、これはただの威嚇射撃だ。どうせ倒せない。

 こいつが悪魔なら別だが。


「その子を解放しろ。アカツキに導き、天に上げてやれ」


〈お願い、やめて〉


 俺が引き金を引く寸前。

 ソイツは聞き覚えのある声で、俺に命乞いをしてきた。


〈帰って、お願い〉


 思わず銃を下げた。だってこんな事って……。


「あんた……」


 女性の霊体にそっと近寄る。逆光になった二人の姿が、近付く程鮮明になってくる。

 その女は幼女を庇うように、俺の前に立ちはだかる。ただ一つ、綺麗な霊体のままの幼女とは違うところが。

 この女は色がとても鮮明だ。霊体じゃなく、まるでここに実体があるように。


 生霊だ。

 そしてその女性は……。


「華菜さん……」


 依頼人の泉 華菜さん本人の生霊だった。


〈……やめて〉


「そんな……」


 駄目だ。

 生霊はまだ生きてる人間の霊体の分身。つまり蝋燭で天に上げてやれたりはしない。

 それに、この生霊をどうにかしても、華菜さん本人に説得しない限り生霊は再び分裂してくる。しかも生霊は霊障を起こす。原因は華菜さん自身だったんだ。


〈帰って……〉


 彼女にも敵意は無い。

 ただ幼女と抱き合い、二人でこの部屋にいるだけ。この子は……実子なのか…… ?


「そうか……東日本大震災……」


 戻らなきゃ。

 まずはジョルと相談、華菜さんに事実確認。


 この子供の事。俺達には言わなかっただけだし、話さなければならない義務は無い。

 だが気になるのはこの部屋だ。心春ちゃんの玩具にしては、なんて言うか……好みが違う気がする。流行りの玩具やぬいぐるみ、子供用のカメラや登山帽。内気でインドア派っぽい心春ちゃんの部屋の玩具とは違う。

 多分、今生霊と抱き合ってるこの子の部屋なんだ。


 執着心……。悲しみと絶望、縋るもの、存在証明。


 実家から、そのまま持ってきたんだろう。

 この部屋は、心春ちゃんのの部屋だ。


〈出てってよ ! 〉


 俺の戸惑いを感じたんだろう……突然学習机から鉛筆が飛んできたのを交わす。本気の攻撃じゃない。


 けれど、このまま居座ったら逆鱗に触れる事になる。


「わ、分かりました。落ち着いて ! 」


 とりあえずここから出なきゃならない !

 退散 ! 退散 !

 階段を降りる。リビングに戻ると華菜さんは既に廊下に先回りしていた。


「うわっ。びっくりした……」


 これだから霊ってのは……。


「いやもう帰りますので ! お邪魔致しました ! 」


 とは言え、窓の外は無の世界。歩いても歩いても、このゲートの中から出たことにはならない。あの玄関から出ない事には戻る方法はないのだ。

 華菜さんの生霊がゆらりと玄関に立ちはだかる。

 どうすれば……強行突破出来たとしても、あの桃色のドアにはノブがない。恐らく、生霊の華菜さんのテリトリーは思いのままのはずだ。俺を帰す気なら塞がないだろう。


 やっぱり、霊体相手だと手も足も出ないな。

 使うしか無い。


 シュル……。


 焔からキツく結ばれたリボンを解く。

 トーカ、助かったぜ。


「この恵を与えし悪魔スルガトよ。人間界に戻るゲートをここへ」


 ドンッ !!


 呪文に反応し、直ぐにエメラルドグリーンのドアは出現した。

 今はここから出るしかない。


 ガチャリッ !


 ドアを開けて、光溢れる元の世界のバスルームへと滑り込む。

 ドアが閉まる瞬間、振り返る。

 隙間から華菜さんの生霊と、手を繋いだ幼女の死霊がこちらを向いて立っているのが最後に見えた。


「……はぁ………」


 これからどうすれば……。

 思わず頭を抱えてしまった。

 生霊ってのは本人の自覚なく分裂する。思いが強ければ強いほど、自分ではどうにも出来ない。

 華菜さんは気付いてないんだ。自分が霊障を起こし、更には亡くした娘を思うばかりにここへ留めてしまっている事に。そう。あれが本性ってものだ。次女を大事にしながらも、どうしても自分の中で長女の死に踏ん切りが付かないんだろうな。


 とりあえずバスルームの鍵を解錠する。

 廊下で待っていたのか、その音を聞きつけたジョルと華菜さんが脱衣所に入って来た。


「ジョルか ? 戻ったぜ」


 俺は蝋燭を吹き消すと、フラつく足取りで二人のいる廊下へと出た。


「おう ! なぁ、なぁ ! どうだったよ ?

 家の中は異常ないぜ ? 様子みるか ? 夜に出直すとかさぁ〜」


「……」


 華菜さんの前では、まだ話す気になれない。


「泉さん、少し外観も視たいので、一旦外に出ますね」


「え ? あ、はい。分かりました」


「すぐ戻ります」


 俺はジョルに目配せして、ついてくるように誘導する。


(外観ってさっき視たじゃんよ〜)


(いいから来い)


 ジョルにも一つ聞きたいことがあった。

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