第19話 リリス召喚
「………うーん、百合子先生がそう言うなら」
完全にみかんを飼い慣らしてる感じだな。
しかし、みかんもバツが悪そうにトーカに振り返る。
「でも、これから人手が欲しいでしょ〜?
リーダーはどう思う?」
「………危険なのはいつもでしょうに。
でも、せっかくの忠告ですから、お聞きになった方がいいのでは?」
トーカは簡単に折れた。
「これから出掛けるとなると、時間も遅くなりますしね」
トーカは女教員の前に行くと、さっきの小袋のハンカチを見せた。
「山吹先生。この『付着物』が何か、見てくださる?
貴女なら分かるでしょ? いつから居たのか定かではありませんけれど、私たちの会話を聞いてたでしょう?
助言のひとつでも頂ければ、みかんを早めに帰宅させられますわ」
そんなに簡単に分かるのか? 何者なんだ?
「やっぱり最後までここにいたいよ〜」
みかんがトーカに抱きつき、そのまま締め上げる。
「あ、貴女は学生だから仕方ありませんわよっ! 苦しい……!」
「そんなぁ〜!」
ここまで来て、さぁ帰ってって言われても気になるよな。
でも、確かに学生だ。親もいるし、部活もしてる。ここにいなければ、みかんは普通の女子高生なんだから仕方ないことだ。
セルが気の和らぐような声色でみかんに言う。
「みかん、ハルピュイアの活躍は聞いたよ。お前が今いなくなるのは惜しいなぁ。
しかし親御さんも心配されるだろうし、今回は仕方ないさ。
卒業したら、徹夜仕事覚悟してくれよ!」
下手くそかよ。見え見えじゃねぇか。
みかんはセルに薄ら笑いを浮かべて、渋々同意した。
「ぶぅ〜。分かった〜。帰る準備するから子供扱い禁止〜」
みかんはとぼとぼとエレベーターへ消えていった。
それを見届けたセルが、山吹と呼ばれた女を人差し指を立てて『来い』と仕草する。
「今日は何の用だよ?」
「わたしの『飼い慣らし』から予知を貰ってな。ここの活動は、危険承知でやっているのは理解している。口は出さん。
だがあいつには、大きな怪我はダメだ。みかんに怪我があれば、学業に支障が出るからな」
予知? みかんの事で? なら、仕方ないか。
怪我すると分かっていて、行かせられないもんな。
この教員はどうも常連客っぽいけれど………血生臭い臭いを香水で消してる。
「ふん。君が新人君か」
「あ、ハイ。ユーマです」
「真面目そうだ。
初めまして。山吹 百合子だ。旺聖高校でシスターとして働いてる。ほぼ吹奏楽部の顧問要員だがな。あ〜〜〜子供のお守は疲れるよ」
長い脚を組み直し、胸を突き出し背伸びをする。シスターが血の匂いさせるか〜? ここの店に来るのはこんな客ばかりなのか?
まぁ、適当に返しておくか。
「そうなんですカァー?」
山吹先生はハンカチに付いた黒い炭を指でなぞった。
「柔らかい………。
さっきコレを『焦げ』と言ったが、何故だ?」
「式場のチャペルの十字架に付いていたモノだ。
十字架が落ちて、労災が出た。職員の話では急に落ちて来たらしい。
支柱との溶接部は溶けていたものでね。雷にうたれて、焼けたとか……。
尻尾でも掴めりゃ、酒代をタダにしてやるぜ?」
「ふふん。それは魅力的だ。よし、答えようじゃないか!」
山吹先生はヒールを木製の床板に打ち付けながら、液晶のあるテーブルの側へと立つ。
「一般的に落雷による焦げは、避雷したものだけを焼く、なんてことはできない。
電線がやられて停電したり、屋根や外壁にも焼け跡や衝撃の跡が残ったりするものだが、どうだった?」
まるで教鞭を執ったかのように、実にはっきりと整理していく。
教会の異常は、映像にも映ってた通りだ。
「異常はありませんでしたわ」
「だろうな。
分かっているのは『十字架が落ちた。従業員がそれで怪我をした』と言う事だけだな?
雷なら『その日落雷を受けた』というはずだろうし、火事なら消化器の一つでも使うだろう。
何故、わざわざ落ちた十字架を見せて、職員が怪我をしたと言ったのか?
それはオカルトによるものと解っているから見せたのだ」
「なんで十字架だけ落とすのかなぁ〜?」
大福が首を傾げる。
「そうだ、真ん丸坊主。意味がある。
十字架を落とす……そしてわざわざエクソシストのお前たちを呼んで見せつける………宣戦布告、という事さ」
山吹先生はハンカチの黒い炭を指で摘んで、広げて見せる。
「これはタールだ。
地獄の門から訪れた者には必ず、足にこれが付くんだ。そこを通らずして人間の世界には入り込めん。
十字架にこれがついてたということは、地獄から来た悪魔がこれに触れた証拠になる。足で踏みつけたか、蹴り落としたか」
悪魔の仕業か。
「それを裏付け出来るか分からないけどぉ。
あとはこれだねぇ。
先生、見てってよ!」
大福が再生したのは、つぐみんが録画した桜の木の定点カメラだ。
データカードをテレビに差し込み、録画記録を一時停止する。
池は静かに、波一つない水鏡だ。
桜は花を落とし青々とした葉をつけ、横広がりの不気味な一本の横枝が全てを悟らせる。
中沢さん、ここにロープを………。
そして……本来、関係の無いモノが映っていた。
「おれ………これは視える」
全身が総毛立つ。
「これは、まんま〜って感じだよね」
中沢さんの分裂霊が項垂れるように立っている。
問題はその横だ。
「確かあの時、大福はここに別のモノも居るって言ったよな?
……これがそうか……?」
中沢さんに絡みつくように、女がいた。
死霊の中沢さんに比べて、女の方は色味が強い。目は赤いし、指も鋭く変に長い。骨格からして人間のものでは無い。
セルとトーカは不味いものを見てしまったかのように、顔を顰めて唇を噛んだ。
「さすが大福だな。こいつが原因で間違いないだろう。少なくても中沢さんを操ったのは」
「…なんで彼女がここに……?!」
皆、見ただけで分かるんだな。
突如、俺の顔の側におっぱいが突き出された。
「見せろ」
山吹先生がテレビの前に身を乗り出した。でけぇなぁ…………。
「なんだ、リリスじゃないか」
リ、リリス!?
なんかそんなのゲームでしか聞いたことないんだけど!? まじでいるの!?
「だが、どういうことだ。
この悪魔は男に憑かんし、殺しもしない。
男好きの悪魔だ。男を粗末にはしまい」
「ええ……リリスなら、確かにおかしいですわね」
トーカは頬つえをして、考え込んでしまった。
「新婦にリリスが憑いたということかしら……? 独身女性ならわかるものの、既婚者で式の直前に、新婦に憑いたりするかしら?
不貞の悪魔ですわよ? 結婚していたら浮気なんかしにくいもの。
それとも、とても憑きやすい体質だったのかしら」
「なら、答えは簡単じゃないか」
山吹先生はあっさりと言い放つ。
「それより腹が減ったな。
なにか食い物は無いのか?」
出し惜しみなのか、山吹先生は店の厨房を見渡す。
「お弁当で良ければすぐ出せるけれど?」
セルが言う。
これってまさか!!
「構わん。全員分あるのか?」
「ああ。車内で食べようと思ったんだが。
そうだな、長引きそうだし今ここで食べてしまおうか……」
大福の言葉通りだ……。
『観たら食べれる』って呟いてたよな?
まさに映像を見終わった瞬間……。いや、偶然か?
手渡された弁当はまだ温かい。中身は唐揚げ付きカレー弁当だ。こんなん嫌いな奴いねぇだろ! 大福最高!
「美味そうじゃないか。いただくぞ」
「トーカ、みかんとつぐみんも呼んで来てくれ」
「もうスマホにメッセージ入れましたわ」
「牛タンは楽しみにしててねぇユーマぁ」
「お、おう!」
ガツガツガツガツ……。
大福がすごい勢いで平らげていく。
「それで、リリスの話ですけれど。
悪魔は『負のエネルギー』を好みますわ。欲しいのは『生者』の負のエネルギーのはず。
新婦に悪魔が憑いたら、周囲の人間が事故にあったり、難病に見舞われたりし始める。
生かさず殺さず、いたぶるように追い詰めるのですわ。
そして、リリスは新婦の肉体を利用して、精を吸うように男性を離さないはずなの。手当り次第に男を誘うようになるわ」
じゃあ、中沢さんはなんで操られてまで殺されたんだ?
「簡単じゃないか。
リリスは自分の意思で行動していないからさ」
「…………?」
「不貞大好きリリス女史が人間の世界に来たのに、男を漁らせて貰えない。他にやることがあるんだろう。ではやることとは何か?
リリスから男好きを取ったら何が残る? ………それとも、リリスがこの世界を火に包むのか?
考えられん。世界の終末より男が好きな悪魔だ。
男を誘うのを、許可されていないのだろう」
誰に許可されてないんだ?
悪魔が誰かに許可貰わないと、人間界に来ても何も思い通りにいかないと?
何故?
「まさか。まさかそんな……」
トーカとセルは深くため息をついて、背もたれに大きくもたれかかった。
「そのまさかだろう。
誰かが召喚したんだ。
悪魔を呼び出して、なにか交換条件で願いを叶えたか、契約したんだな」
「悪魔召喚を現代で上手くやれる人間なんて少ないわ。それに指揮直前の新婦が悪魔召喚なんてするかしら?」
「よく考えたら、気が変わったのかもしれんぞ?
女はそんなものだ。簡単に男を捨てるのだ。
だろう? セルシア」
「やめてくれ。見に覚えないな。
新婦の様子がおかしいという事は、契約が失敗して体を取られ始めたのかもしれないな」
急に実父が「娘がおかしい」って気付くくらいだもんな。
「その場合って俺は何をすればいいんだ?
リリスってのを倒せばいいのか?」
「ユーマの銃はこの世界でも使えるのか?」
「使えねぇ。アカツキかクロツキだけだ」
「『リリス』という悪魔は一体じゃないのよ。人種みたいなもので、今憑いてるリリスを倒して終わり、じゃないわ。
召喚した場所に祭壇があるはず。そこを突き止めて破壊しないと……」
山吹先生は細い腰に手を休めると、セルに向き直る。
「聞け。私が見た予知は断片的でしかないが、行先は二箇所に別れる」
「二箇所? 俺たちは今から新婦の実家に行く予定だったけど、他にも行き先があるんだな?」
「よく分からんが、猫が何匹もいる空き家だ。
祭壇はそこじゃないのか?」
俺が聞いた事、ビンゴじゃねーか!?
「オレンジ色のドアの部屋でした!?」
「あ、ああ。なんだ、分かるのか?」
「中沢さんに会った時、心霊スポットの猫屋敷の話聞いたぜ」
「中沢さん夫婦が、そこに行ったの?」
戻ってきたみかんが弁当の蓋を開けながら、ポカンと俺を見上げる。
「ああ。嫁さんが行きたいって言うから行ってみたら、一部屋だけヤベーところがあったらしいって話だぜ」
結構な手掛かりだと思うんだけど、何故か全員腑に落ちない感じだ。
「もしそこに祭壇があるなら、新婦は何故、中沢さんまで連れてったんだろうな?」
セルの言葉にトーカが何か思いついたかのように、手の平をテーブルに出した。
「ユーマ、手を出して」
「こう?」
トーカが俺の手を握り、目を瞑る。
そうか、霊視か。俺に憑いた中沢さんを経由して記憶を探るのか。
「中沢さん、失礼しますわ………。
ここですわね。オレンジ色の扉……。中には………これは何ですの……? なにかの置き物とキャンドル……。鉄格子……?
……ダメね。恐怖心のせいではっきり覚えていらっしゃらないみたい……それと、血の匂いが充満してる」
「あぁ、猫の死骸があったらしいぜ」
「いいえ。いいえこれは……猫だけの血じゃないわ」
「え………?」
トーカが手を離す。
「………。リリスの召喚って……あんな感じだったかしら?古文書で読んだのと、なにか違うわ……思い出せない。
つぐみんなら、すぐ分かるわね」
深刻そうなトーカと打って変わって、みかんは唐揚げを頬張りながらセルを見上げた。
「どうするの? 先に心霊スポット行くの? それともお父さんの方?」
「……連絡を受けた俺が新婦側に行かないのはまずいし……」
そこへつぐみんが戻った。
「進捗は?
お弁当、いただきます」
「多分だけど。
夫婦が式前に心霊スポットでリリスって悪魔に憑かれたかも、的な?
トーカもよく見えないみたい」
「心霊スポット? ふーん。
『出入口』になったのは間違いないんでしょ。トーカの霊視が妨害されるのなら、それだけ強い何かがあるはず。
どっちも行けばいいだけよ。二手に分かれたら?」
おい。
信じてねぇ奴が一番冷静に判断してんぞ。
「では、心霊スポットには私が行きますわ。
本体はもう既に新婦に憑いているでしょうね。実父は何に違和感を感じたのか……TheENDの使えるユーマと私は、分けて配属させたいですわね」
じゃあ、俺はセルと同行か。
「OK」
「じゃあ俺、猫屋敷だねぇ〜」
「なら私もじゃない。
セル、ツーシーターの車ってやめてくれない?」
「な、なんで今そんな話題に……」
ツーシーター?
不便だもんな。
「あのさ、もしクロツキに逃げられたら、俺一人じゃ地獄で迷子になっちまうけど。どうしたらいいんだ?」
トーカはツインテールに結んでいたリボンの片方をシュルリと抜き取った。
「ではこれを」
真っ赤なリボンだ。
金色の糸で何か刺繍がされている。文字かな……?
「アカツキに行ったら銃にキツく結んで。
一度なら、どこに居てもこの世界へ帰って来れるわ」
一度きり、とか言われると緊張すんな……。
「もし、ターゲットに深い階層に逃げられたら、その時は追わずに戻るのよ?
深追いはしないで」
「分かった」
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