第7話‐B面 瀬戸環は気になっている。
私は登校して自分の席で文庫本を読みながら、その実全く文章が頭に入ってこない状況にあった。文字の上を目が滑っている。
アキラはまだ来ない。
気にしすぎだとはわかっている。
わかっているけれど、気になるものは仕方ない。
誰かが教室に入ってくるたび、視線を向けている。
――こんなことは今までなかったのに。
そして、ついにアキラが教室に入って来た。
「!」
横にいるのは三波……さん、だったか。
私が席から腰を浮かせるよりも早く、あのふたり――加山と嶋野――がアキラの所に向かっていき、
「「トキトー、こないだはごめん!」」
頭を下げていた。
あまりの出来事に私は思考停止。
浮かせかけていた腰はストンと椅子に着地。
……どういうこと?
呆然とする私を尻目にあのふたりはアキラとしばし会話をし、
「――クラス委員の仕事、時々で良いんで手伝ってください。僕と瀬戸さんの」
「瀬戸の……」
「駄目、ですか?」
「あー、いや! トキトーがそれでいいならそうするよ! いつでも声かけてな?」
「じゃ、じゃあな!」
ということになっていた。
私はようやく席を立ち、アキラの元へ駆け寄った。
「アーキーラ!」
と勢いそのままに抱き着いてやる。
「わあっ」
「おはよ。すごいねアキラ。あのふたりを完全に手懐けるなんて、どういう手品使ったの?」
アキラの耳元で小声で尋ねる。
これは偽らざる私の気持ちだ。
手品でなければ魔法か何かだ。
「あの! 瀬戸さん!」
「ああ、おはようございます、三波さん、だっけ?」
何この子。
そんな鬼みたいな形相して。
「おはようございます! それよりアキラちゃんから離れてください! あと呼び捨てってなんですか!?」
あー、そういうことなんだ。へえー。
私も疎い方だけど、それでも三波さんは分かりやすすぎる。
だからあえて挑発的な態度を取ってやった。
「アキラには許可貰ってるけど? 抱き着くのはどうだっけ?」
「それは許可してないですぅ」
「じゃあ今許可もらえない?」
アキラの頬をそっと撫でる。
自分でも自分の行動に驚くほどの積極性だ。
私はどうかしてしまったんだろうか。
――でも、嫌な気分ではない。
「いいから離れてください! アキラちゃん嫌がってるじゃないですか!」
三波さん、本当に煩わしい。アキラの手を引っ張るのやめて欲しい。
第一嫌かどうかは本人にしかわからないではないか。
なので、
「アキラ、嫌?」
と訊いてみた。内心ドキドキしながら。
「嫌というかなんというか、苦しいです。瀬戸さん、三波さん」
――だよね。
私と三波さんはアキラから手を離した。
「あの、三波さん」
「うん」
「瀬戸さんとは同じクラス委員として仲良くなったから、三波さんも瀬戸さんとは、その、仲良くしてほしいな」
「あ、うん。アキラちゃんが言うなら」
「瀬戸さんも。三波さんは僕の幼馴染なんです」
「へえー。そうなのね。よろしく、三波さん。アキラのことイロイロ教えてね」
「こ・ち・ら・こ・そ!」
私の差し出した右手を三波さんは全力で握り返してきた。
へぇー、そういうことするタイプだとは思わなかった。
ならば遠慮はいらない、ということだ。
こちらも力いっぱい握り返す。
お互いに笑顔を引きつらせて骨よ折れよとばかりに手を握り合う。
「良かったー。ふたりとも仲良くなってくれて」
アキラにはそう見えているようだ。らしいと言えばらしいけど……。
ちなみに手は真っ赤な痕が残っていた。向こうもそうだろうけれど。
今日は一日かけての実力テストだ。
二年次の成績を決める最初のハードル。私とっては重要な一日だ。
それなのに私は全然集中できなかった。
理由はわかっている。
アキラのことが気になっていたから。
それだけで集中を欠いてしまっていた。
一年次の復習みたいなテスト内容だったのでギリギリなんとかなっていたけれど、幾つかケアレスミスをしているような気がして、そのミスが気になって別の教科でまた新たなミスをした。一度は解答欄がひとつずつズレてしまっていて途中で気付いたものの大きなタイムロス。焦りは動揺となり、暗記系科目はかなり怪しい出来だった。おそらく自己ワースト記録の点数だろうと思う。
テストが終わり、ホームルームも終わり放課後。
「クラス委員のふたりはちょっと手伝いをお願いします」
と、担任に言われ仕方なく席を立った。
これも未来への投資だと思えば我慢できる。それにアキラも一緒だし。
「トキトー、手伝おっか?」
加山と嶋野がアキラに声を掛けていた。
「いえ、大丈夫です。テスト難しかったですね」
「もうダメ。全然ダメ」
「僕もです」
「あたしらよりはできてんだろー」
「そうそう。あたし赤点ありそうだし」
「うわ、それは大変ですね」
どうやったらこんなに仲良くなれるんだろうか。
私と話すより楽しそうにも見えてしまう……。
「アキラ、職員室行くよ」
「あ、うん。加山さん、嶋野さん、それじゃあさよなら」
「悪りい。引き留めちったな」
「また明日なー」
そう言って加山と嶋野は帰っていった。
職員室へ向かく道すがら、
「アキラ、どうやってあのふたりを懐柔したの?」
「懐柔ってそんな」
「だって、あんな態度見たことないもの」
「うーん……」
説明に困っているアキラの横顔を盗み見る。
意外と睫毛が長いんだ、アキラ。
肌も綺麗。
「説明できないならいいわ。私も助かるし」
「うん。ありがと」
「……っ!?」
――階段に差し掛かってもアキラの横顔に見惚れていた私が馬鹿だった。
私は階段を踏み外した。
変な態勢になって体が傾くのを止められない。
落ちる!
そう思った時、
「瀬戸さん!!」
アキラの手が私の腕を掴み、思いきり引っ張ってきた。
ぐるり、と体が回る。
私とアキラはもつれるようにして踊り場まで十数段の階段を、落ちた。
私がアキラを下敷きにする形で。
「アキラ!」
「……
その後のことはあまりよく覚えていない。
先生を呼びに行って、救急車が来て、私は家に帰されて、夜、担任から電話がかかってきて、アキラの右腕は骨に小さなヒビが入ってしまったことを知らされた。
私の不注意で。
ごめん、アキラ。
本当に、ごめんなさい。
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