第6話「やるべきこと」

第6話‐A面 瀬戸環は推薦が欲しい。

「瀬戸さん、貰ってきましたよ」

「え」

 私――瀬戸環せとたまきは予想外の結果に驚きの声をあげていた。

「え、って?」

 怪訝そうな顔をする時任。


 それはそうだ。あのふたりから進路希望調査を取ってくるように頼んだのは私なのだから。ただ私は、この見るからに気弱そうな時任があのふたりから回収できるとは微塵も思っていなかった。

「未回収の三人のうち、時任はその場で書かせました。のこり二名は時任に回収を任せたのですが、結果提出もせず下校したため未回収です。申し訳ないのですが、週明けに改めて書いてもらうということでお許しいただけませんか?」とでも先生に報告するつもりだったのだ、私は。


 これなら私の失点はゼロになるから。


 回収できなかった時任とそもそも提出しようとしないあのふたりの責任だから。

 そんな私の目算を覆して、時任は二枚の進路希望調査の用紙を手に戻って来た。

「ほんとに? あのふたりから? すごいね」

 素直な称賛が口をついて出たことに自分でも少し驚く。

「そう、ですか?」

「うん。私が言っても駄目だと思ったから、キミに丸投げしちゃったんだ。ごめんね」

 上げて褒めて、謝っておく。これでこの件はもう終わり。少なくとも私の中では。


「いえ、いいですけど」

 いつも暗い時任の表情が僅かに明るい。

 こんな些細なことで達成感を感じているのだとしたら羨ましい限りだ。

 ……なんともお気楽なことで。


「時任も自分の分、早く書いて。って、あのふたり未定とか県外出たいとか頭悪いわね……。まあ今の時期ならまだ先生も許してくれるかしらね。駄目なら月曜に再提出させるしかない、か」

 あのふたり――加山と嶋野が提出しようとしなかったのは半分はやる気が無いから。もう半分はおそらく私への嫌がらせだ。

 中学も同じだったあの二人は事あるごとに私の邪魔をする。昔からそうだ。


 ……私の進むべき道に石を置いていく邪魔者たち。


 そんな私の昏い感情など気付きもしない時任は、

「僕も進学希望、くらいしか書けないんですけど」

 なんて能天気なことを言っている。高二の春に志望校も決まってないとか、進学校でありうるの? 加山と嶋野じゃあるまいし。

 でもそんなこと私には関係ない。他人の進路なんて、どうでもいいのだから。


「いいんじゃない? 希望してる大学とか学部とかは無いの?」

「あ、はい。今のところ」

 時任もなかなか酷いのね。もう少し真面目な子だと思ってたけど。

「なかなか決めにくいこともあるよね。私みたいな方が珍しいかも」

 と、一応肯定しておいてあげる。

 今日の時任の働きは十分なものだったから。


「珍しい、ってどういう意味ですか? って聞いてもいいですか?」

 そう質問してくる時任に私は集めていた神束から一枚抜いて見せた。

「わ、すごい」

 感嘆の声を漏らす時任の前には、希望する大学、学部、学科、推薦入試での入学希望。それらが第三希望までびっしりと書きこまれている私の進路希望調査用紙。

 別にすごくはない。

 これくらい当然だ。


 ――なぜなら私は推薦狙いでこの高校を選んでいるのだから。


「もう誰もいないし、ちょっとお話しましょうか」

 何故そんな言葉を口にしたのか。

 私は、私の想定を上回ってきた時任に、僅かばかりの期待をしていたのかもしれない。普段なら絶対にしないはずの、余計なお喋り。


「私は国公立大学への進学を希望しているの。この高校に入った時から。いえ、入る前、高校入試の前からね」

「そうなんですか?」

「私の行きたい学部学科への推薦枠を持っているこの高校だったから」

「すごいですね」


「そのために私は、クラス委員をやってるの」

「え?」

 私の言葉が足りなかったのか、時任の理解力が足りなかったのか。

 なんにしても私は言葉を継いだ。

「クラス委員をすれば内申点がよくなるでしょ」

「あ……」


 わかってくれたみたいね。

「私の高校生活は全て推薦枠を得るためのものなの」

「そんなことって」

 あるんですか、とでもいいたげな顔。

 あるのよ。

 いるでしょう。目の前にその現物が。

「そうじゃなかったらクラス委員なんてめんどくさいもの、立候補するわけないでしょ。どう? 軽蔑した?」


 こういう話をしたのは今日がはじめてじゃない。

 中学の頃仲の良かった友人に同じ話をしたことがある。

 その時の彼女たちの視線は今でも記憶の隅にこびりついて落とせない。 


 キミはどうかな、時任。その驚いた顔はどんな表情に変わるかしら。

 

 拒絶?

 理解不能?

 それとも憐憫?


 だいたいそんなものでしょう。

 知ってる。今までこの話をした相手は大体そんな感じだった。

 それなのに、どうして私は時任を試しているのか。

 どこかで微かに期待しているのかもしれない――


「軽蔑なんて。そんなこと、ないです」

 と時任は言ってくれた。

 表情はよくわからない。驚いた顔のまま? 長い前髪のせいで表情が読み取りにくいのもある。


「気を遣わなくていいのに」

 と私が言うと、時任は首を横に振った。

「僕にはそんなはっきりとした目標が無いから。ただ、すごいな、って」

 素直過ぎる子供のような称賛が少しくすぐったい。

「褒めてくれてるの?」

「そう、なるんでしょうか? そんな褒めるとか偉そうなことじゃなくて、ただ、瀬戸さんはすごいな、って。そんなすごい人と一緒に僕なんかがクラス委員やってていいのかな、って」

 すごい、か。

 語彙力ないのね。すごいしか言ってない。


 でも。

 肯定されることの嬉しさというのは得難いものだと、私は思ってしまった。

 今の世の中、誰もが馬鹿馬鹿しいほどの承認欲求を抱えている。

 ……けれどそれは私も同じだったみたいだ。


 時任は一日に二度も私の想定を超えてきた。

 この子は、ちょっとすごいのかも。って、私の語彙力もないわね……。


 だから私は、

「ねえ時任」

「なんです?」

「キミのこと、アキラって呼んでいい?」

 と、切り出した。

「えっ」

「私、キミのこと気に入ったみたいなの。同じクラス委員同士でもあるし、駄目かな?」

「だ、だ、駄目ではない、ですけど」

「ですけど?」

「えーと、あの、その、じゃあ、はい」

「改めてよろしくね、アキラ」

「はい、瀬戸さん」

「タマキでいいわ」

「いえ、それはちょっと……」

 名前で呼ばせるのは却下されたか。ま、それはおいおいでいいか。

「急かすのもよくないよね。呼びたくなった時には名前で呼んでね。そうしてくれると私、嬉しいから」

「は、はい」


「じゃ、進路希望調査を先生に提出して帰りましょ。私が先生のところに持っていくから、アキラはもう帰っていいわ。お疲れさま」

「いいんですか?」

「わざわざ四十枚程度の紙をふたりで持って行ってもしょうがないでしょ?」


 嘘だ。

 私だけの手柄にしたいのだ。この仕事を。

 気に入った相手にすら、私はこうなのだ。


「じゃあ、僕は帰りますね」

「ええ」

「ところで聞いてもいいですか?」

「なにかしら」

「今、何をやってるんです? もう持っていくだけなのに、用紙を並べかえてますよね?」

「ああ、これ? 出席番号順に並べてるだけよ」

「はあ」

 わかっていない顔。でも今はそんな顔も嫌いじゃないと思ってしまっている。たで食う虫も好き好き、って本当なのね。

「その方が受け取った先生も見やすいでしょ。ちょっとした気遣いよ」

 厳密にはちょっとした点数稼ぎ。

「やっぱり瀬戸さんはすごいです!」

「そう? ありがと」

 やっぱり、素直に褒められると悪い気はしない。

「アキラ、また明日ね」

「はい。さよなら瀬戸さん」

「ばいばい」


 時任秋良、か。

 今年のクラス委員の仕事は、例年より少し、楽しくなりそうだ。

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