第三章 #7
節分当日まで一週間を切った。
土日の恵方巻イベントは終わったが、毎日のように恵方巻の試食を行っている。
もちろん予約獲得の為だ。
しかし予約商品の一覧を見て吃驚仰天!
安いのは缶ジュース三本分。一番高いのは僕の時給三時間分だ。
様々な高級具材が使われていて華やかな一品なのだが、巻物の上にウニがトッピングされていて途轍もなく食べにくそうだ。
パンフレットを見ている間にこんな放送が流れる。
「今年の方角は南南西です。そちらを向いて恵方巻を丸かぶりすると願いが叶うと……」
絶対無理だと思います。
そんなツッコミを入れていると、パートさん達が『あー終わった終わった』と言いながら戻ってきた。
「ご苦労様です」
「もう毎日毎日やんなっちゃうわよ」
パートさんの一人がそう言いながら試食台を片付けていくので、僕もそれを手伝う。
「毎回一番安いの試食に出したって、こんな高いの買うわけないのにねぇ」
もう一人のパートさんがパンフレットを見ながら愚痴る。
開いたページには、さっき僕も見ていた一番高い恵方巻がデカデカと掲載されていた。
「ですよね。でも会社の指示だと
なので上司やセオイさん達社員は値段が高いのを買っているらしい……いや買わされていると言ったほうが正しいかな。
「こんなの従業員しか買わないわよ。ねえドクドクさん」
「僕もそう思います」
パートのおばさんの意見に激しく同意。
店長や副店長の指示なんて聞かずに、自分達で動いたほうが油を指した自電車のチェーンのように滑らかに動くだろう。
「じゃあ私達休憩行ってくるから」
「はい。いってらっしゃい」
最近変わった事がある。
前に怒鳴ってしまったことも謝ったのだが、向こうは特に気にしてはなかったらしく、こっちが深刻に考えすぎていただけらしい。
夕食を食べながらアルデにこの事を話したら『よかったわね』とまるで自分の事のように喜んでくれた。
パートの人達が休憩から戻ってきたので、作業場を任せて僕も休憩を取るために食堂へ行って空いている椅子に座る。
あっ。持ってくるの忘れた。
休憩のお供である音楽プレーヤーを前日充電してそのまま置き忘れてしまったのだ。
いくら徒歩十分で帰れるとはいえ、今更取りに帰るわけにもいかないので、そのまま定食を食べる。
すると僕の前のテーブルで座る人達の会話が聞こえてきた。
「そういえば、ここ最近ガラスが割れる悪戯が起きてるみたいね」
「知ってる。朝のニュースでやってたわ」
その人達は食べる手を止め会話に集中している。
僕は食べながら聞き耳を立てた。
「なんでも停めてある自動車のガラスが割れていたんでしょう」
「このお店の自動ドアも割られていたらしいわ」
「そうそう警備の人が叫び声のような物音を聞いて駆けつけたら、粉々になってたんですって」
「警察は何してるのかしら。早く捕まえて欲しいわ」
「この前も電柱が折れたり、バイクが壊された事があったらしいじゃない。その犯人も捕まってないんでしょ? やだやだ物騒になったわねー。ねえ今年の恵方巻は……」
別の話題になったところで聞き耳を立てるのをやめた。
休憩を終えて製造も無事に終わり、残った洗い物をしていく。
パートの人達も手伝ってくれるので、以前よりも量が減って負担はある程度解消された。
それでも一人で終わらせるには中々の量ではあるが。
これも一歩前進といえるだろう。
「ドクドクさん」
掠れ声のせいで、最初自分が呼ばれたとは気づかなかった。
次は咳き込みながらの掠れ声。
「……ドクドクさん」
「はい! あっセオイさん」
二度目で自分が呼ばれている事に気づき、振り向くとセオイさんがいた。
マスクをしているとはいえ、彼女の声は聞き取りにくい。
まるで全ての言葉に濁点がついているかのように、声が掠れてしまっていた。
「品物は、全部出しておいたよ。掃除の方は、大丈夫そう?」
セオイさんは喋るたびに、喉に小骨が引っかかったように咳払いをする。
「今日はパートさん達に手伝ってもらったから、残りは僕一人でも終われます」
「じゃあ、よろしく、お願いします」
「はい。任せてください」
セオイさんは作業場を後にした。帰るのではなく自分の仕事を終わらせに行ったのだろう。
声の掠れについて本人は風邪をひいたみたいと言っていた。仕事量が多くて体調を崩してしまったのかもしれない。
節分の時は猫の手を借りたいくらい大忙しになるから、働きすぎて倒れたりしないといいけど。
掃除を終わらせた僕が帰ろうとすると、まだパソコン画面を見つめるセオイさんの姿があった。
節分前の最後の休み。僕は自分が勤めるスーパーの近くまで来ていた。
急遽振り替え出勤になったわけではない。それに時刻は日付が変わる一時間前。スーパーも閉店している。
いつもは様々な灯りに彩られているスーパーが濃い闇に包まれている様は、夜の小学校を連想させる。
逆に近くの道路工事の現場が煌々と灯りに照らされて、まるで真昼のようになっていた。
昼も夜も関係なく道路を破砕する音は耳元でイビキをかかれているようだ。
そのスーパーになんの用があるのかというと、何も用事はない。
僕が探しているのは、ここ最近の騒動の犯人だ。
アルデも感知していたのだが、それは短い時間の事で僕が駆けつけた時にはもう破壊された後だった。
どこに現れるかはネガティブバーストが活動しない限りは分からない。
ガラスが破壊されるのはいつも決まった時間なので、待ち構える事にしたのだ。
雲で月が隠れた夜空を歩く僕は、傍目から見たら不審人物と間違われても仕方ない。
巡回中のお巡りさんに声をかけられるのが先か。それともネガティブバーストを見つけるのが先か。
僕は頭の中で彼女に話しかける。
『アルデ。まだ何も感知できない?』
『ごめんなさい。まだ何も』
鳩のイヤリングを介して、家で待機している彼女とテレパシーで会話する。
スマホを見ると、いつ現れてもおかしくない時間になっている。
冷たい外気のせいで、取り出したスマホがまるで氷のように冷たくなった。
冷えた手をジャケットのポケットに突っ込む。
自販機で温かい飲み物買おうかな。
そう思った矢先、黒板を引っ掻いたような騒音が轟き、続けて複数の悲鳴が聞こえてくる。
『ダット。ネガティブバーストが活動したわ』
心構えしていたとはいえ、本当に現れると中々冷静ではいられず、必要ないのに口を動かしてしまう。
「僕もそれらしい音を聞いた。今からそっちに向かう」
到着したのは、スーパー近くで行われていた道路工事の現場だ。
イビキのような音はすっかり消え失せ、肉体労働をしてガタイのいい作業員達が、子供のように泣き喚きながら僕の方へ走ってくる。
足がもつれて転んでもすぐに起き上がり、背後にいる存在から少しでも距離を取ろうとしていた。
作業員達が逃げた場所には、以前僕を襲ったあの化け物の姿がある。
相変わらず数え切れないほどの腕で球体を作り出している。壁に挟まれていないからか楕円形ではなく円形だ。
ネガティブバーストは灯りに引き寄せられる蛾のように工事現場へ近づいていく。
道路に接地した複数の掌と指によって丸い体。動かしている。
指はまるで尺取虫のようにへの字を描き、その虫を連想させる動きに思わず寒気が走った。
どんな目的があるか分からないが、ネガティブバーストは『工事中』と書かれた看板を押し潰し、カラーコーンや遮断機の棒みたいなコーンバーにも構うことなく工事現場に侵入していく。
あいつ。なにがしたいんだ。
『アルデ。化け物は工事現場に入って行った。なんの目的があってあんなところへ?』
『分からないわ。取り憑かれた人の意思かもしれないし、ネガティブバースト自体が思考しているのかもしれない』
つまり目的不明ってことか。でもやる事は変わらない。あの化け物を止める!
僕はジャケットのポケットからボンボニエールを取り出し蓋を開けると、金平糖によく似た菓子を一粒取り出して口に入れた。
瞬間。身体に変化が訪れる。
身長が縮まり、手足も細く小さくなり腕毛や臑毛も引っ込んでツルツルの肌になった。
少年の身体になった僕の全身を覆うのは琥珀。それが命があるように動き首から下を守る鎧になる。
手の甲には空を表すラピスラズリの宝石が嵌め込まれ、肩から背中にかけて赤い砂のマントがくるぶしのあたりまで伸びていく。
仕上げに柔らかな唇のような感触を額に覚え、そこに
自分では見えないが、マグマのように赤くなった瞳で変身できている事を確認する。
これが僕のヒーローとしての姿。名前はアルデがつけてくれた。
その名は……。
『少年の姿をした守護神。だから《ショタディアン》って名前なの。可愛くてかっこいいでしょ?』
ショタディアン。そう今の僕の名前はショタディアンだ!
変身した僕に気づく事なく、ネガティブバーストはロードローラーで押し固めるように工事現場を破壊している。
既に看板など様々な工事機器が破壊され道路に埋没していた。
新たな悲鳴が聞こえた。
逃げ遅れた作業員の姿が見える。腰が抜けたのか地面に座り込んだまま球体の化け物を見上げている。
ネガティブバーストは黒い右腕を伸ばし、作業員の首を掴んで持ち上げた。
恐怖に支配された作業員のストレスを吸い尽くそうとしているに違いない。
「やめろ!」
僕が声を張り上げると、やっと気づいたのかネガティブバーストが体をこちらに向けた。
「その人を離せ」
返事の代わりに飛んできたのは黒い左腕。握り締められた拳が僕の顔面に迫ってくる。
話し合いで解決はできなそうだ。
攻撃を迎え撃つために手の甲に嵌められたラピスラズリの力を解放する。
空の力を宿す宝石によって僕の両手に風の力が付与された。
僕は手を伸ばしても届かないと分かっていながら、右の手刀を横に振るった。
鋭い風切り音が聞こえ、こちらに向かってきた黒い左腕を両断する。
続けて作業員を掴んでいた右腕に向けて左の手刀を縦に振るい、その腕を斬り落とした。
道路に落ちた作業員から呻き声が聞こえる。どうやらまだ生きているようだ。
ネガティブバーストは腕の切断面を自分の方に向けて固まっている。まるで何が起きたのか必死に理解しているようだ。
僕は倒れていた作業員を起こして離れたところに連れて行く。
戻ってきても球体の化け物は切断面を見ている格好で動かない。
『アルデ。今なら取り憑いた人を助ける事ができるんじゃないか?』
返ってきたテレパシーには、逡巡の色が混じっていた。
『……多分大丈夫だと思う。けれど何が起こるか分からないから気をつけて』
『分かってる――』
言い終わらないうちにネガティブバーストが動き出す。
斬られた腕をだらりと力なく下げた。
化け物の体で恋人つなぎのように組み合わさっていた手と手が解ける。
中から現れたのは縦に裂けた唇。
血色の悪いひび割れた唇が開く。左右に並んだ歯が人工物のように白かった。
口を開けて発せられたのは声。それを聞いた途端鼓膜が破裂しそうな痛みが襲い、身体が後ろに持っていかれた。
耳鳴りで周囲の音が聞こえない中、アルデの声が頭の中ではっきりと聞こえてくる。
『ダット。大丈夫? ダット!』
『何とか……』
背中を強かにアスファルトに打ち付けた筈だが、マントが守ってくれたようで痛みはなかった。
それでも吹き飛ばされたショックで心臓が飛び跳ねている。
痛いくらいに動く心臓を落ち着かせようと、胸の上から手で抑えながら立ち上がる。
戦うことを選んだのだから、心の準備はできていたつもりだったが、慣れるには時間がかかりそう。
心臓が落ち着くのを待ってくれたのか、化け物は攻撃してこなかった。
ずっと切断面を見ているようだが変化が起きる。切断面が盛り上がり、内部から飛び出してきたのは新たな腕だ。
正体不明の粘液に包まれた両腕は投光器の光に照らされて不気味に輝いている。
音もなく腕が飛んできた。無音の攻撃に動揺して顔面を二連続で殴られて例の粘液が顔に付着する。
さっきの声の衝撃波で耳をやられたらしく、甲高い音しか聞こえない。
僕の身体が不調なのをお構いなしに、化け物は何度も攻撃してきた。
僕は飛んだり転がったり、停車していたワゴンを盾にして避けるが音が聞こえないと身体を動かすだけでも違和感を感じる。
『ダット大丈夫? 動きがおかしいわよ』
アルデは僕の身体の不調に気づいたらしい。
『さっきの声で耳鳴りが鳴り止まないんだ』
キーンという音は段々と小さくなっているが、まだ外の音は聴こえない。
アルデと話していると、盾にしていたワゴンが激しく揺れた。
『私がフォローするわ』
『フォローって?』
『左から来るわ!』
突然の大声に驚きながらも左を見ると、化け物の伸ばした拳が迫ってきていた。
慌てて頭を下げて避ける。
『次は上から来るわよ』
ワゴンのルーフを這うように迫る腕を躱す。
化け物の拳が僕の頭がさっきまであった道路に大穴を開けた。
『み、見えてるの』
『ええ。空から見ているわ』
見上げてもそれらしい姿はなかった。
まるで人工衛星に見守られるように彼女の指示通り避けていると、耳鳴りが完全に収まった。
外の音が聞こえるようになった事で視覚の死角を聴覚が補ってくれる。更にアルデのフォローもあるので化け物の攻撃を全て避けられるようになった。
避けてばかりじゃ勝てない。こっちからも反撃だ!
左腕を後ろに引き拳を作って力を溜める。
動きを止めた僕を見てチャンスと思ったのか、化け物の両腕が同時に飛んでくる。
僕は避けずに風の力を乗せたストレートを放つ。
放たれた風はドリルのように螺旋を描き、化け物の両腕を完膚なきまでに破壊した。
二本の腕を同時に失った化け物が唯一の口で息を吸い込むのを見た。
僕が咄嗟に両手で耳を覆うと、絶叫の衝撃波が襲ってくる。
化け物の叫びは周りの建物の窓や投光器を破壊し、近くにあったワゴンがひっくり返る。
信号も外灯も壊れ辺りは闇に包まれた。
化け物は体力を使い果たしたのか、荒い呼吸を繰り返すだけで佇んでいる。
これ以上被害が大きくなる前に、ネガティブバーストから取り憑かれた人を解放してあげないと。
近づくと化け物の背後から二つの強い光が現れた。
それは早い速度で移動していて、低く唸るエンジン音が聞こえてきた。車だ。
夜遅くに走っていた車は、前にいる球体に驚いたようで何度もクラクションを鳴らした。
ブレーキが踏まれてタイヤが地面を強く擦るが衝突は避けられそうにない。
僕は化け物に背中を向け車の前に出ると、背中のマントを引き裂くように両手で持つ。
すると赤いマントは簡単に裂け、それを車を止める壁とするために前に翳す。
裂けて二つになったマントは大きさを変え、車よりも大きな砂のクッションになった。
止まりきれなかった車がマントのクッションに受け止められて停車した。
裂けたマントが何事もなかったかのように背中に戻ると車は無傷で、エアバックが作動した運転席を覗き込むと、運転手は頭を抑えているが無事のようだ。
無事を確認してから化け物の方を見ると、いつの間にか闇に溶け込んだように姿がなかった。
『ごめん逃したみたい』
『謝らないで。巻き込まれた人を助ける事ができただけでもすごい事よ』
空から光が降りてきて人の姿をとる。アルデだ。
『よくやったわ。後は任せて』
アルデが両腕を空に向け花が咲いたように両掌を開くと光が放たれ、破壊された窓や車。更には怪我をした人の傷まで癒えていく。
恐らく化け物を見たという記憶も消えているだろう。
「これで大丈夫……」
アルデの身体が崩れ落ちたので、僕は慌てて支えた。
彼女の顔は青ざめ、冬なのに大量の汗をかいている。
「アルデ!」
僕は返事もできないほど憔悴した彼女を抱えて急いで家に戻るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます