転生令嬢と疲れた執事

布施鉱平

転生令嬢と疲れた執事

「わたくし、こんどこそ、しあわせになってみせますわ!」


 マリアお嬢様が満面の笑みを浮かべて世迷言を言い始めたのは、御年三歳になられたある日のことだった。

 なんでも、前世の記憶があるのだという。

 

 四歳の頃からリヒタイン公爵家の執事としてお嬢様にお仕えし、はや三年。

 まさか、たった三年で仕える主の気が触れてしまうとは思わなかった。


 おそらく、前日に高熱を発して寝込まれたことが原因なのだろう。 


 すぐにリヒタイン家かかりつけの医者にお嬢様を見せたが、何も異常は出てこなかった。

 

 ちしきちーとだ、さんぎょうかくめいだと意味不明なことを楽しそうに語られるお嬢様を、私は労わりの目で見つめ、その金色に輝く御髪おぐしをそっと撫でた。


 お嬢様は、私がお守りしなければ……

 


 ◇



 そう決意してから、三年が経過した。

 お嬢様の具合は良くなるどころか、日を追うごとに悪化しているようだった。


 今日などは、『かやく』を作るのだ! と仰って、裏庭でうんこと灰を混ぜていらっしゃった。

 その光景を見た私の衝撃が、どれほどのものだったか。


 公爵家の令嬢が、裏庭に穴を掘り、その中にうんこを投げ入れて、棒でねりねりと練っているのだ!

 

 思わず叫び出しそうになる口をぐっと噛み締めて、私はお嬢様のお体を、後ろから優しく抱きしめた。

 この三年で、私も心の病について色々と勉強したのだ。

 

 心を病んでいる人に、ダメだ、とか、やめろ、というような否定的な言葉をかけてはいけない。

 まずは相手の話をよく聞き、妄想を受け止めてやることが大事なのだ。


 私はお嬢様の耳元で、大丈夫です、私はお嬢様の味方ですよ、大丈夫です。

 と、出来るだけ優しく囁いた。

 

 するとお嬢様は顔を真っ赤にして、


「と、とうとう来たか、執事×お嬢様の、みぶんさきんこいてんかい(身分差禁恋展開)!」

 

 と、もじもじ体を揺すり始めた。


 相変わらず、お嬢様の発言は理解できない。

 だが、ここで理解できないという態度をとってはいけないのだ。


 私は、ええ、ええ、と頷きながら、お嬢様を横抱きに抱き抱えた。

 お嬢様のもじもじが、排泄欲求だったら大変なことになるからだ。

 

 近くに手頃な穴があることを考慮すれば、事態は一刻を争う可能性がある。

 

「まさかこのまま……そんな、まだ、早すぎる……」

 

 と、うわごとを呟かれるお嬢様を抱き抱えたまま、私は屋敷に入っていった。

 あの穴は早急に埋め、上に木でも植えなければなるまい。

 

 ただ土を被せても、お嬢様がまた掘り返してしまわれるかもしれないからな。



 ◇



 六年が経った。

 お嬢様も今年で十二歳になられた。

 外見は公爵家の令嬢にふさわしい、麗しさと気高さを併せ持つ美しさに成長されたのだが、病は治っていなかった。


 私は無駄な努力をしているのだろうか。

 日々お嬢様のお近くに仕え、その御心に負担が掛からぬよう、細心の注意を払って接してきた。

 

 だが、お嬢様の奇行は度を増すばかり。

 

 屋敷の裏庭は、私の植樹によっていまや林だ。

 土壌に栄養が多いからかもりもりと成長し、今ではどの木も私の背丈の二倍ほどの高さになっている。


 最近になって、ようやくお嬢様は『かやく』とやらを作るのを諦めて下さったのだが、今度はまた別のことに興味を移されていた。


 料理だ。


 お嬢様は、裏庭の林の中で火を焚き、その上に調理場から持ってきた寸胴鍋をおいて、グツグツと何かを煮込んでおられる。


 だが漂う異臭は、とても食べ物の匂いだとは思えない。


 私は、コックにお嬢様がどのような食材を持っていったのか問い詰めた。


 だが、帰ってきた答えは『廃油』と『灰』という、とうてい食材とは思えない材料だった。

 そんなものを寸胴で煮込んで、一体何を作ろうとしているのだろうか。 


 それに、また灰だ。

『かやく』の時といい、お嬢様はどういう訳か灰が好きなようだった。

 そのうち体中に塗りたくって、オッホオッホと未開の原住民みたいに踊りだしたりしないだろうか。


 不吉な予感を抱きつつもお嬢様の元に向かう。

 

 私の姿に気づいたお嬢様は、満面の笑みで作っている物の名を教えてくださった。


 なんでも、『せっけん』とかいうものらしい。


「完成したら、あなたにもあげるわ。……ゴニョゴニョそれで一緒にお風呂に……」


 顔を赤らめ、ドロドロとした物体の渦巻く鍋から棒を抜き取り、私の前に突き出すお嬢様。


 ……食えと?

 その廃棄物を煮詰めただけの物体を、食えとおっしゃるのですか、お嬢様。


 あまりの衝撃に、「あげるわ……」の先を聞き逃してしまったが、料理・・あげる・・・と仰っているのだから、食えという意思表示以外に解釈のしようがない。


 ……死ぬまではいかないだろうが、腹を壊すのは確実だろう。


 なぜなら、これから私が口に入れようとしているものは、どう見ても口に入れる為のものではないからだ。

 

 これは料理ではありません、と、お嬢様に伝えられたらどれだけいいだろうか。

 だが、私はお嬢様を否定してはいけないのだ。

 

 ゴクリ、と唾を飲み込み(期待ではなく)、私は震える両手を、お嬢様が棒を握る小さな手に添えた。


「あっ………」


 お嬢様が、かすかな声を上げられた。

 白い頬は赤く染まり、瞳は何かを期待するかのように潤んでいる。


 そんなに私がこのドロドロした物体を食べるのを見たいのですか、お嬢様。


 私は意を決し、口を大きく開いた。


「待って!」


 だが、物体Xが私の口に入るのを止めた声は、他でもないお嬢様のものだった。


「あなたが言おうとしていることは、分かるつもりよ。まだ十二歳とはいえ、私も女ですもの。あなたの気持ちは嬉しいし、私もそれに応えてあげたい……けど、もう少しだけ待って欲しいの」


 待てというなら、永久にでも待ちますとも、お嬢様。

 私だって、好きで食べたいわけではありませんから。


「四年……あと四年、待ってちょうだい」


 四年……それは、この料理を四年熟成させる、ということでしょうか。

 今でさえ口に入れるのを躊躇するほどの物体だというのに、これを四年も熟成させたら、一体どうなることか……


 私の不安を他所に、お嬢様はにっこりと私に微笑みかけた。


「あなたも、それまでに覚悟を決めておくのよ?」


 ……四年後、私は死ぬかもしれません。



 ◇



 四年経った。

 

 私はお嬢様と共に、お館様(リヒタイン公爵閣下)の所へと向っている。

 なんでも、大事な話がある、とのことだった。

 

 逃げ場のない、お館様の前で食べさせられるのだろうか。

 

 歩きながら、今までの人生を振り返った。

 なにせ、今日で私の人生は終わるかも知れないのだ。


 ……………………


 ………………


 …………


 お嬢様に振り回された思い出しか浮かんでこなかった。

 

 そして、不毛な走馬灯が回っている間に、お館様の部屋に着いてしまった。


「マリアです」


「入りなさい」


 お館様の、威厳に満ちた声が、扉越しに響く。

 

「失礼しますわ」


「失礼致します」

 

 お嬢様と共に、重厚なドアを潜る。


 使用人である私の部屋の、四倍以上の広さがある部屋の奥に、お館様が座っておられた。

 

「呼んだ理由は、わかっているな」


「もちろんですわ」


 私は知りません。

 が、公爵家の父娘おやこの会話に口を挟めるはずもなく、私は無言でお嬢様の一歩後ろに立ち尽くした。


「石鹸の話、でございましょう? お父様」


 せっけん! 

 やはり、その話なのでございますか……

 

「そうだ。石鹸の話だ」


 ああ……思えばリヒタイン家にお使えして、はや十六年。

 お嬢様と共に過ごした十六年は、辛くも充実した日々であったように思います。

 

 手のかかる子ほど可愛い、とは申しますが、お嬢様の行く末をこの目で見れぬことのみが、不肖わたくしロイド・スターリング。唯一の未練でございます。


「王より、お褒めの言葉をたまわったぞ。お前の作った石鹸のおかげで、国内の衛生状況がかなり改善された。治療院への配備はもとより、一般家庭に手の届く値段であったことが功を奏したようだ」

 

「恐縮ですわ」


 …………?


「我がリヒタイン家の株が上がっただけではなく、国外への輸出により、国庫もかなり潤うこととなった。これから、我が国の主な輸出品の一つとなることは間違いないであろう」

 

 …………


「ついては、お前に何か褒美をとらす、と王は仰せだ。何か望むものはあるか?」


「ええ、望むものが、ひとつだけございますわ」


「そうか、それは、一体何だ?」


「結婚を許して頂きたいのです」


「なに、結婚だと? ………それは、他家に嫁ぎたい、ということか?」


「とんでもございませんわ、お父様。王より褒美が下賜かしされるということは、石鹸の利権はわたくしのものだと王が認めたということ。その私が他家に嫁げば、石鹸による利権も他家に移ってしまいます。我が家の栄光を貶めるようなことを、私がすると思いまして?」


「そ、そうか、それならば、よいのだ。なら、一体相手は……」


 …………


 …………いったい、なんの話をしておられるのでしょうか?



 ◇



 お館様とお嬢様の会話を組み立てるに、どうやらせっけんと言うのは食べ物ではなく、体や環境を清潔に保つための道具であるようだった。 

 

 私はあの時のトラウマから、せっけんの話題や噂を無意識に避け続けてきたようで、世間一般との間に知識のズレが生じてしまっていたようだ。

 

 お嬢様は、あれから試行錯誤を繰り返し、せっけんを完成させた。

 それが王家に認められ、お墨付きを得たことで爆発的に普及し、リヒタイン家は莫大な収入と王家の信用を得ることになったようなのだ。


 お嬢様……成長なさっていたのですね……

 このロイド、感激で前が見えません。

 

 ……ですが、いつの間に想い人などがお出来になったのでしょうか。


 お嬢様に密着し、監視し続けて十六年。

 そのような出会いは、一度としてなかったように思いますが……


「……よいか、マリア。結婚を許せ、とは言うが、一方的に想っていても、相手がそれに応えてくれるとは限らんのだぞ?」


 お館様もそのことに思い至ったのでしょう。

 即座に片想いと決め付ける辺り、さすがお館様です。

 お嬢様のことをよくご理解されておられる。


「安心なさってください、お父様。もちろん両思いですわ」

「そ、そうなのか?」


 ……本当でしょうか? 


「その相手というのが……」


 お嬢様が私の腕をグイっと引いた。

 そして、私の腕に自らの腕を絡ませる。


「このロイドですわ!」

 

「………………」


「………………」


「………………」


「………………」


 お館様と、無言で見つめ合ってしまった。

 

 その内容を意訳するとこのようになる。

 

「(おい、ロイド。なんでお前も驚いた顔しておるのだ?)」


「(初耳でございますので)」


「(……そうか、いつもいつも、苦労をかけるな)」


「(いえ……よろしいのです。代々リヒタイン公爵家に仕えてきたスターリング家の者として、当然のことをしているまでですから)」


 私とお館様が胸の内を通わせていると、空気の読めないお嬢様は、大げさな身振り手振りでなにやら語り始めた。


「お父様が……いえ、お父様だけではなく、屋敷の人達みんなが、私を避けているのは知っていました。

 無理もないことだとは思います。

 過去の私をかえりみるに、そうされても仕方ないほど、私は突飛な行動ばかりしていましたから。

 でも、私の執事は、ロイドだけは、幼い頃から私を認め続けてくれました。

 彼だけが、私の傍を離れることなく、ともに歩んできてくれました。

 だからこそ私は、今こうして成功を収めることが出来たのです」


 なんとも、感動的な話だ。

 うるんだ瞳から、涙がこぼれ落ちてしまいそうになる。

 

 それが事実だったら、の話ですが。


 旦那様や屋敷の者たちは、お嬢様を避けていた訳ではありません。

 ただただ、庭でうんこをかき混ぜるようなお嬢様に対して、どう接していいか分からなかっただけなのです。


 そして私ですが、ともに歩んだというよりは、離れることが恐怖だったと言ったほうが正しいでしょう。


 お嬢様は、少しでも目を離すと、何をしでかすかわからないのですから。

 今回のせっけんのことで、私はその認識を少し改めたが、お嬢様の本質は変わらないように思います。


 お嬢様は、馬鹿なのです。


 不敬を承知で、もう一度言わせてもらいましょう。

 

 どアホなのです。


 思い込んだら一直線。

 先に曲がり角が見えていようとも、決して減速せずに突っ走る。

 

 それがお嬢様です。


 とても貴族の令嬢とは思えない発想、そして、それを即座に実行する行動力。

 乱世であれば、女傑として名を馳せたかもしれないが、治世であればただの変人。

 奇異な目で見られるのを避けることはできません。


 

 私は………







 私は…………そんなお嬢様を…………







 同じく奇異の目で見ておりました。

 誠に申し訳ございません。


「お父様。ロイドとの結婚、許してくださいますね?」


 あ……お嬢様……ちょとお待ちを……


「うむ……しかし、リヒタイン家の婿として、使用人を入れるわけには……」


 お館様! ここは当主の威厳を見せるべき所ではありませんか!?


「許してくださるのなら、石鹸の利権、全てお父様にお譲り致しますわ」


「許そう」

 

 …………


 つい先程まで心が通っていたはずの視線は、お館様が一方的にぷいすと切ってしまわれた……



 ◇



 その後、話はトントン拍子に進んだ。

 

 なにせ、いまや他の公爵家に抜きん出て、大公爵とまで言われるリヒタイン家が主導で進めているのだ。

 その速度たるや、流れ星もかくやと言わんばかり。


 三回不平を言う暇さえなく、私は名前もよく知らない伯爵家の養子に出され、すぐさまUターンしてリヒタイン家の婿養子となるために戻ってきた。

 

 そして流星群の如きスケジュールで国王への挨拶、大々的な婚約発表、貴族を集めた披露宴、結婚式とこなしていき、疲労困憊となりながら今を迎えている。


 つまり……初夜だ。


「ロイド……」

 

 私の目の前には、煽情せんじょう的な薄いネグリジェに身を包んだお嬢様……いや、今や私の妻となった、マリアがいる。


 マリアが私を愛していることは明白だ。

 お館様に結婚を許されたときの、マリアの喜びようと言ったらなかった。


 ッシャオラッ! という謎の気合声と共に、中腰で握りこぶしを何度も上下させていた。


 そんな意味不明な勇ましさとは打って変わり、今のマリアは初めてを迎えようとしている処女おとめそのものだった。


 どちらのマリアが、本当の姿なのか、私は知っている。


 


 どちらもだ。



 

 マリアは、私の前で自分を飾らない。

 小さな頃からそうだった。


 前世の記憶がある、と告げたのは私にだけだった。

 うんこを混ぜても、そこから何を作ろうとしているのか教えたのは、私にだけだった。

 

 人からどんな目で見られても、何を言われようとも、マリアがその行動の意味・・を伝えるのは、私にだけだった。


 ……まあ、私も理解は出来なかったのだが。


 一つ息をき、目の前の、マリアを見た。


 頬は赤く染まり、目は潤み…………体は、細かく震えている。


 私は、綺麗な金色の髪に、そっと指を通した。

 マリアが、気持ちよさそうに目を細める。


 初めて髪を撫でた時も、そんな顔をしていた。

 

 私でいいのか。

 そう聞くことは出来なかった。


 それは、マリアの想いに、行動に対する侮辱だと思ったからだ。

 マリアはいつでも真っ直ぐだった。

 

 だから、私は、私に問いかけた。

 私は、マリアを愛しているのか?


 どこを探しても、その答えは見つからない。


 従者として、あまりにも近くにあり過ぎたからだろう。


 私は、マリアを抱きしめた。

 

 マリアの体が、ビクリ、と大きく震える。


 私は、労わるように、その背中をゆっくりと撫でた。


 次第に体の力が抜け、マリアが私の体に体重を預けてきた。 


 その細く柔らかい体を優しく受け止めながら、私は確信した。

 


 …………きっと、答えはこの中にある。


 

 真っ直ぐで、


 

 ムチャクチャで、


 

 明るくて、


 

 いつでも楽しそうで、


 

 馬鹿で、


 

 どアホで、


 

 しょっちゅう暴走する、



 



 ………この、可愛らしい少女の中に。

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