第56話 そこまで忠実に再現しなくていい

「のり面が崩れそう?ま、そうだよな。もうずいぶん降り続いてるし」


雨はまだまだ降り続ける。こう降り続くとさすがに沿線の土砂崩れなどが心配になってくる頃だ。だが予想に反して、バサル峠を流れる川の水はあまり増水していないという。


「少し前まではこんな長雨だと街道がぬかるんでしまって、オルカルへの物流が滞っていたと言いますからね。いまでは鉄道が出来てその心配もなくなったという声も多いみたいですよ」


ジークが務めて明るく報告する。確かにこれまでは長雨ともなれば物流は滞り、


「それはいいんだけどな。土砂崩れの兆候はあるのに、川がそこまで増水してないってのが気になる」

「確かにそうですね。ここまで降り続いたら増水してていいはずなのに…」


どうにも止まない雨のおかげで、バサル峠の列車は軒並み徐行運転だ。終日ダイヤは乱れっぱなし、運休も多発している。

それでも人海戦術で危険個所を定期的に巡回させたりして安全は保っているが、川が不気味なほど静かなのがどうにも気にかかっていた。


川の氾濫による鉄道への被害というものは、台風大国日本では幾度となく経験している事だ。大雨による鉄砲水の度に橋が流されのり面が抉られ、そしてそれを修復し場合によっては橋を架け替え路線を復旧してきたのだ。


もちろんもう採算の取れていない赤字路線などは台風被害によって廃線という事もあるが、そうでなければ何としてでも直して列車を通す。万が一鉄橋の崩落やのり面の崩れ、路盤流出などがあったらすぐに対応できるようにしておかなければならない。


そういや日本にいた時にも色んな災害があったよなと思い返すうち、一つの事が思い浮かんだ。やがてそれはラエルスの中で現実味を増していく。


「そうか…!迂闊だった!」

「どうしたのですか?」

「土砂ダムだ!」

「?」


聞き慣れない言葉に首を傾げるジークをよそに、ラエルスはリフテラート駅への直通電話を取った。


「私だ。大至急オルカルへ電話して、飛行魔法を使える人をかき集めて川の上流へ向かってくれ。それとヒルトースからオルカル間は運休、各駅の駅員は別に定めた非常用マニュアルで順次安全な場所に避難する事。下手するとオルカルも水に飲まれる、急いでやってくれ」


電話を切ると、ジークが不安げな表情で尋ねた。


「どういう事ですか?」

「雨量に対してやけに川の流量が少ないだろ。多分上流の方で土砂崩れがあって、川の流れを堰き止めてるんだ。そこまで土砂降りってわけでも無いからこれまで決壊してこなかったけど、もし堆積した土砂が圧力に負けて決壊したら大量の水がアッタスワル盆地に向けて流れ出すことになる。そうしたら大変な騒ぎになるぞ」


オルカルは盆地の中央にあるため、想定しておくに越した事は無いにしろ、そこまで水が来るとは考えづらい。

だが上流の方は間違いなく飲まれるだろう。今からでも土砂ダムを少しずつ削り水を流さなければ、後々目も当てられない事態となる。


だが時は既に遅かった。



数日後、ラエルス達も視察と救助支援のために現地入りした。

結論から言えば、土砂ダムはかなりの量の水をため込んでいたようだ。文字通り堰を切って流れ出した水は、川沿いに拓かれたオルカルの街や分譲地の一部をも呑み込んだ。


盆地のほぼ中央に位置するオルカルでさえ被害を受けたのだ。より上流に位置する街の被害は推して知るべし。百戦錬磨のラエルス達も、眼前に広がる光景に思わず目を背けたほどだ。中には住民全員が行方不明と言う村まであるという。


とりあえず海軍とも協力しつつ、あらゆるコネを使って軍民問わず大型馬車を片っ端からかき集め、薬や食糧、救助に向かう兵士やボランティアを乗せて現地へと送り込んだ。

こんなところでも陸軍はラエルスの要請を断り独自にやると言ってきたので放っておいたのだが、狭い街道に馬車を走らせすぎて逆に交通を阻害したとかなんとか。


かたやラエルスはと言えば鉄道の閉塞の概念を応用し、十数台の馬車を交互にまとめて通しスムーズな救援物資の運送を可能とした。どちらが市井からの評判が良かったかなど言うまでもない。


鉄道はと言えば、やはり多少の被害は出てしまったものの直前の電話のお陰で人的被害は無かった。開業に向けて色々と準備していた設備の一部は破壊されてしまったものの、それでも線路は出来上がっていたので、オルカルだけでは収容しきれない怪我人をマグラスの海軍病院へ運ぶ臨時列車を運行したりなどもした。


正式に開業する前の路線に関係者以外を乗せた列車を走らせるなどもってのほかだが、今は緊急時なのだ。規則やら慣例に縛られて、機会を逸してはならない。可能な時に可能な事は全てやる。冒険者時代に学んだことだ。


そして、後に"アッタスワル大水害"と呼ばれる災害から一か月が経って、ようやくマグラスからオルカルまでの開業日が新たに決まった。水害からの復旧で遅れてしまったのは仕方なかったが、逆に意外だったこともある。


「建売住宅が8割方売れたって?本当か」


開業への準備状況を確認するために訪れたオルカル駅で、不動産担当の社員からそんな事を言われた。思わず聞き返したラエルスに、社員は少し誇らしげに答える。


「本当です。あの水害から少し経ってから、急に資料が欲しいって開業前の駅に訪れる人が増えまして」

「成る程……確かに右肩上がりだな」


手渡された業績表には、確かに水害以降不動産の売り上げが急増している様子が伺えた。不振だったのが急に盛り返しているのならありがたい話だが、ここまでだと逆に薄気味悪い。


「ここまで露骨だと逆に不審だな。何か思い当たる節はあるか?」

「いえ……そこまでは」

「あ、そういえばさ。街で聞いたんだけど…」


言い淀む社員をよそに、今度はグリフィアが口を開いた。


「今回の被害って、家が密集してるところが酷いって話でしょ?だからかわからないけど、郊外の方に引っ越したいねなんて話をしてる人がちらほらいたのよ」

「郊外にねぇ……なるほど、そういう事か」


ラエルスが思い出した事は、まさに東急電鉄の宅地開発のことだ。

現在の東急電鉄が宅地開発を始めて少しした頃、1923年9月1日正午少し前。相模沖を震源として発生した大正関東地震は、関東一円に甚大な被害をもたらした。俗にいう関東大震災である。


当時既に人口密集地であり木造建築の多かった東京や横浜は大火災に見舞われたが、新しく開発し分譲していた洗足などの住宅地には被害が皆無だったのだという。それ以降郊外に家を持つという風潮が広がり、"家は郊外、仕事は東京"というのが流行りのように広がった。

もちろん分譲地も飛ぶように売れ沿線人口も増加、不振だった鉄道も利用客が急上昇したのだという。


家は郊外に持ち、列車で通勤するというスタイルはこれ以降急速に広まった。多摩地方や川を挟んだ埼玉などにも大量の人が移り住み、世に言うところの通勤ラッシュが形成されていく。


「確かにウチで売り出した住宅地の方でも、一部は水に飲まれたんだっけな」

「はい、川沿いの街は水が入ってきたようです。しかし家が流されたりと言う事は無かったとか」

「ま、家は丈夫に作らせたし、そういう事なんだろうな。売り上げが伸びるのはありがたいけど、なんとも複雑なもんだ」


思えば乗合馬車から鉄道の敷設まで、日本のそれと似たようなシチュエーションは多くあった。

別に会社間のいざこざや住民の無理解はいいが、何も災害まで追随する事は無いだろうにと思わざるを得ないラエルスだった。

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