第50話 恐怖の試運転

 流石に峠越え区間は建設に時間がかかる。距離としてはそう長いわけではないが、海軍鉄道隊とこれまでの建設に従事してきた熟練の建設作業員の力を持ってしても、最難関区間を抜けるのに1年かかった。それだって驚異的な早さなのだが。


 ともあれ、いくつもの橋を架け、いくつものトンネルを掘り進めて、ようやくバサル峠を克服しアッタスワル盆地への足掛かりを作ったのだ。


「さて、ようやく試運転出来る段階にまで漕ぎつけたぞ」

「やっと王都が見えてきたものね、長かったなぁ」

 関係者の皆の前に、初の公式試運転列車が発車を待っている。


 既に機関車1両や2両、客車や貨車を5、6両繋げた程度の試運転は行っていたが、今日は実際の急行列車の運行編成となる本務機と客車を10両、それに補機2両を加えた13両での運転だ。

 ラエルス達はもちろん、鉄道警察隊も乗るし他にも様々な関係者が乗車する。


「そろそろ時間なので発車しますよー!」

 ポッポッと短い汽笛が前の本務機から鳴ると、後ろの補機も呼応するように2回短い汽笛を鳴らした。


「前後の機関車で合図を送っているのですか?」

「さすがジーク、鋭いな。これはな…」

 鉄道や船舶には汽笛合図というものがあり、鉄道では長緩汽笛、適度汽笛、短急汽笛の3種類を組み合わせて色々な合図を送る事ができる。


 機関車は前後に複数両連結して一緒に動かすとき、1両の機関車で他の機関車を連動して動かす事ができない。なので各々の機関車に機関士と機関助士が乗るわけだが、加速したり加速を止める時にはタイミングを合わせなければいけない。

 加速は力行合図と言い、短急汽笛2回。加速を止める時は絶気合図と言い、適度汽笛1回と短急汽笛2回だ。2両以上の機関車ではこの合図を用いながら運転する事となる。


 機関区を出てバサル峠の登り坂をゆっくりと、しかし確実に登り始める。

 補機はオルカル方面の登り坂では後ろに付いて押し上げ、マグラス方面の下り坂では前に付いてブレーキをかける役割がある。そのぐらいしなければ克服できないぐらいの急坂なのだ。


 少し進むと最初のスイッチバック駅だ。本線から分岐して引き上げ線に入り、一度停車して逆方向に進み再び本線を横断して最初の駅に滑り込む。


 スイッチバック駅には大雑把に分けて2つの種類がある。全ての列車が必ずスイッチバックしなければならない構造のものと、通過列車はそのままスルーできるタイプのものだ。

 前者は駅や交換所を作るには坂が急すぎる場合、後者はどうしても勾配がきつくなる時に設けられる。今止まった場所は前者だ。


 行きは各駅停車、帰りは急行のていで試運転を行う事となっている。登り坂で重要なのは列車を引き出せるか、下り坂で重要なのは安全に止まれるかだ。なので帰りの下りでは急制動試験なども行う手筈となっている。


 再び短い汽笛が2回鳴ると、列車は本線とは逆方向に動き出した。

「ちょ、ちょっと。これ逆じゃない?」

「いや、大丈夫だ。ちゃんと理由があってな」


 列車は少し下がると停止し、今度は今止まった駅を通り越してちゃんと本線に向けて加速していく。分岐角度が緩く作られたポイントをそこそこの速さで駆け抜けると、再び列車は坂を駆け上がっていく。


「駅を発車する時に、すぐに本線の登り坂に入ると勢いが足りなくなる場面があってな。その為に今みたいに、少し勢いをつけてから本線に出ていくってわけさ」

 これはその名もずばり加速線と呼ばれるもので、今でも北海道は新函館北斗駅の隣駅、仁山駅にはその跡がしっかりと残っている。

 この路線でも採用しているのはここだけだが、しかし無くてはならない大事な設備だ。


 確実に峠を登り切り、1時間ほどで現在の終点となる信号所に到着する。盆地の最初の駅として予定しているヒルトースはまだもう少し先だが、ここまで来れば峠は登り切ったも同然だ。


 列車は機回しを行い、今度は峠を下っていく。

 ラエルスにとって怖いのはこちらの方だ。鉄道に限らず、大事なのは"いかに安全に止まれるか"である。この世界での鉄道はまだスピード競争をする段階では無いが、元居た世界ではスピード競争は苛烈なものだった。


 だが何キロ出せても、最終的に駅では止まらなければならない。何か非常事態があった時にも、しっかりと止まる事ができなければ公共交通としては失格だ。

 特にこの世界では初めて尽くしの鉄道による峠越え、最高速度はかなり押さえてあるししばらくは慣らし運転として本数も抑える予定である。とにかくここを安全に越えられるようにならなければ、この鉄道に未来は無いと言っても過言ではない程だ。


 最初は常用ブレーキで試験を行う。連結器が軋み、ブレーキの制輪子が車輪を押さえる甲高い音が峠の森の中に響く。普段より時間はかかったが、列車は安全に停止した。


「次は非常ブレーキの試験に入ります」

 試験担当者の説明と共に、列車は再び加速していく。ラエルスの脳裏には一抹の不安があったが、こればかりはやってみないとわからない。


 非常ブレーキがかけられると、先ほどよりも大きな音が響いた。その瞬間、ガキン!と何かが壊れる音が響き、列車に不自然な振動が起こる。


「どうした!」

「今の音はなんだ!」


 試運転関係者の声が飛ぶ中、ラエルスはおもむろに席を立って列車の外に出た。グリフィアたちも付いてくる。


「あった、これだ」

 ラエルスが指差す先は車両同士の連結部分。その連結器が完全に破損していた。周りに集まった試運転関係者も、壊れた連結器を見て顔を青くしている。


「これって…」

「こうした急勾配の下り坂で急ブレーキをかけると、連結器に過大な圧力がかかって破損することがあるんだ。と言っても初めて見たけどな…」


 感じていた一抹の不安が当たってしまった。

 考えていたのは、碓氷峠でラック式から粘着式に移行する際に発生した「座屈」という現象だ。碓氷峠で試運転が行われ下り坂で非常ブレーキがかけられた際に、機関車と電車のブレーキの差から電車が次々に機関車方面に押されていく形となり、車両が上下左右に変位するという現象が発生した。


 その結果、機関車の次の連結されていた車両は浮き上がり連結器は破損。試運転に立ち会っていた技術者の一人が、危うく足を切断しかねないという状況になってしまったのだ。

 "碓氷峠の魔物"とまで言われるこの現象が起きる限りは、営業運転など到底無理な話だ。


 この原因の一つに、当時の連結器の強度が機関車と電車とで違うというのがあった。機関車の連結器強度は電車のそれより強く、必然的に弱い電車の方の連結器が壊れてしまうのだ。

 当然解決方法として碓氷峠で取られた方法を、そのままこちらの鉄道には持ち込めない。空気ばね台車などまだまだ先の技術だし、そもそもこちらではまた事情が違う。日本のそれより鉄の鋳造技術が高くなく、単に連結器の強度不足というのが大きいだろう。


 取り敢えずこの場を離れて麓に戻ろうとした時、周囲を警戒していた警察隊の一人が叫んだ。


「魔獣来襲ー!」


 その声で一気に現場は喧騒に包まれた。慣れているラエルス達は悠長に構えていたが、普通の人は魔獣と遭遇したらまず死を想像する。


「皆さん落ち着いて! ここには我々、警察隊がいます!」

 イーグルが高々と叫び、自らの鍛え上げた部下たちを整列させた。劣勢なようならラエルス達も加勢するつもりだが、ここは一つ、警察隊のお手並み拝見といこう。


 やがて牙を剥いた魔獣が列車の右側に現れた。幸いな事に囲まれているわけではないらしい。

「前衛は連弩で応戦、魔法支援もぬかるなよ! 後衛は攻撃魔法の準備!」


 イーグルの号令と共に、警察隊が整然と並ぶ。と言ってもせいぜい10人かそこらだ。

 普段の一本の列車には各車両に一人が乗っているので、10人なら急行列車相当と言ったところだろう。


 集団戦闘の基本陣形を組んだ隊員は、見事に魔獣を倒していく。ラエルスから見ても、なかなか見事なお手並みだ。

 最後に後衛の強力な攻撃魔法がお見舞いされ、地響きと共に魔獣は全滅したようだ。


「お見事。なかなかよく訓練されてるじゃないか」

「あたりめぇよ! 地獄の訓練をやったからな」


 快活に笑うイーグルとは対照的に、警察隊の面々は顔付きをこわばらせた。いったい何をやったのか。と思ったら、ミアナが聞きに行ったようだ。


「イーグル。さすがにど素人をいきなり魔獣生息地に放り込むのはどうかしてるわ」

「なんでだ?それが一番手っ取り早いだろ」

「あのねぇ、最悪死ぬわよ」

「大丈夫だ。俺がいるからな」


 ミアナが盛大に溜息を吐く一方で、ラエルスとグリフィアはこのやり取りに懐かしさを覚えていた。普段は天然キャラっぽいミアナだが、こういう時はしっかりとアドバイスする。やはりエルフ、年相応……おっと誰か来たようだ。


 さて、そんな地獄の訓練というかもはや地獄に両足突っ込んでる訓練を乗り越えた警察隊の隊員たちはさすがなもので、そこそこの数の魔獣を相手にしてもあまり疲れた様子を見せていない。


「しかしこの辺は魔獣の生息地とは離して作ったはずなんだけどな」

「煙が目立つんじゃない?それで今は長い時間止まっちゃったから寄ってきたとか」


 おそらくグリフィアの指摘通りだろう。確かに古くから通信手段としても使われる煙だ、遠くから見えない筈がない。それが魔獣を呼び寄せてしまったという説は一理ある。


 だがそれでは有事の際に途中駅や交換所で長時間停車した際に、お客さんや貨物を載せた列車が魔獣に襲われる危険性があるという事だ。いくら警察隊が乗っているとはいえ、お客さんや各駅の駅員に被害が出る可能性が出てしまう。


「長期的に見れば魔獣の住処ごと全滅させちゃうのが楽だけど……」

「でもなかなかすぐには難しいわね。柵とかだと付けてもすぐに破られちゃうだろうし」

「確かにね。いっそ魔法で全部焼いちゃう?」

「待て待て。せっかくだから鈍った腕を振るいたい、それからにしてくれよ」


 以上、ラエルス、グリフィア、ミアナ、イーグルの順番である。一般の人には出会うだけで死を覚悟する魔獣をいとも簡単に倒せる前提でモノを言うのだから、狼兄妹も警察隊も他の鉄道関係者たちも唖然とした表情だ。


「ま、それは追々として。そうだな、魔獣の天敵ってなんだろうな」

「天敵?」


 閃いたのは、JR東海が紀勢本線でやっている手法だ。線路内に鹿が入ってきて列車に轢かれる事に頭を悩ませていたJR東海は、電気柵を設けたり特急列車に大きな鹿よけのバンパーを設置したりなどの対策を行ってきた。


 効果があったものの中で、鹿の天敵の糞を撒くというものがあった。この場合はライオンの糞を動物園から貰い受け、沿線に撒いたのだ。ライオンの糞には、草食動物が嫌う臭いを出すのだという。

 するとこれが効果てきめん、鹿と接触する回数が減ったのだという。


「なんだろ、魔獣も恐れずに食べちゃうのってそれこそドラゴンとかワイバーンじゃないの?」

 グリフィアの何気ない言葉に、ラエルスより先に反応する人が2人。


「あ」

「ワイバーンと言えば」


 先に狼兄妹が閃いてしまった。


 後日、ユリトース海運の人にものすごく怪訝な顔をされながら、海の向こうよりわざわざワイバーンの尿や糞を取り寄せたのはまた別の話。

 元勇者パーティーが近くにあった魔獣の生息地を全滅させたのもまた別の話だ。

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