第48話 異世界版、庭坂機関区と補助機関車

 日本に数多存在した峠越えでは、ループ線やスイッチバックといった手法よりも"補機"を連結して登る事の方が多かった。

 補機とは補助機関車の略で、その名の通り編成の前か後ろに機関車をもう1両か2両か連結し、峠を登り切ろうという事である。


 これは現在の日本でもまだやっている所はあって、広島県は山陽本線、瀬野〜八本松間にあるいわゆる"瀬野八セノハチ"や、北海道の石北本線にある、常紋峠と北見峠越えではまだまだ現役だ。


 余談だがこの北見峠を跨ぐ石北本線の上川〜白滝間は、距離にして37.3km、所要時間は最短で38分。通過する列車は1日6往復のみという、屈指の秘境区間だ。昔はその間に5駅もあったとは思えないほどに。


 他にも東北本線(現在のIGRいわて銀河鉄道)沼宮内~一戸間の奥中山峠越えに、奥羽本線庭坂~米沢間の板谷峠越えなど、難所と言われる場所は数多い。


 当然、アプト式などを駆使した碓氷峠でも補機を連結していた。アプト式の頃は4両、アプト式が廃止になってからも2両が連結されて、峠を行き来していたのだ。


 さて、この機関車達を保守点検する場所が必要だ。瀬野八では瀬野機関区、碓氷峠では横川機関区、奥中山峠では一戸機関区、板谷峠では庭坂機関区がその任を担っていた。


 線路はマグラスから伸びてきているので、当然マグラス側の峠の入り口となる駅に機関区は設置される。まずはそこまで線路を敷設し、基地を建設しなければならない。


 峠越えの機関車は専用設計の機関車が用いられる場所がある。ラエルスはこのバサル峠越えでも専用の機関車を用意するべきだと考えていた。というのも大体を電化する事で解決した日本の鉄道と違って、ここでは蒸気機関以上の動力がまだ無い。せめてディーゼルでもあればと思わなくも無いが、ディーゼル機関車だって初期の頃は非力だったのだ。


「というわけで、坂道に強い機関車がどうしても必要なんです」

 ドワーフ達のところに相談に行くと、アグロをはじめ皆が一斉に考え込む。


「坂道を登れればいいのか?」

「はい、速度は二の次で構いません。とにかく安全に、大量の車両を連結して急勾配を上り下りできるような機関車が欲しいんです」

「なるほどな、承った。一つの列車に一両連結するぐらいでいいのか」

「理想はそうですね。ですが2両とかになっても構いません。あと、こんな感じの装置を付けて欲しいのですが」


 そう言ってラエルスは持参したラフ画を見せて、その効果を説明する。すべて説明し終えて見積もりを出してもらえば、一ヶ月もあれば試作機を作るそうだ。さすが、仕事が早い。


 *


「何と言うか…ずんぐりむっくり?」

「全体的に短いんですね。あと車輪が多い…?」

「かわいい〜」


 以上が落成した試作機関車を見たグリフィア、ジーク、ミアナの第一声だ。


 ずんぐりむっくりなのは確かだろう。本線で走る機関車は、ボイラーがある機関車と石炭や水を積む炭水車が別に付いているテンダー式と呼ばれるものだ。全長もそれなりに長い。


 対してこれはそれらが一体化している、タンク式というものだ。日本ではローカル線や短区間での運転、大きな駅での入換作業に用いられ、幹線で走る列車と比べればまさに縁の下の力持ち的な存在である。


 今回新しく作った機関車は、日本でいうE10形蒸気機関車を模したものだ。

 E10形蒸気機関車は元々、奥羽本線の板谷峠越えの為に作られた機関車である。トンネル内で乗務員が煙に巻かれる問題を解決する為に、普通の蒸気機関車と反対向きで運転する事を前提に作られた機関車で、運転室より後ろに煙突があるため機関士と機関助士"は"煙に巻かれる心配が無いというわけだ。お客さんは…って話なのだが。


 この機関車にはもう一つ珍しい点がある。そらはE形だということだ。

 前にも説明した通り、蒸気機関車の車輪は先輪、動輪、従輪に分けられる。先輪はボイラー前部を支えたりカーブの通過を助ける役目があり、従輪は運転室やボイラー後部を支える役目がある。


 動輪というのが字の通り実際に蒸気機関で動く車輪であり、E形とはこれは5つある事を示している。

 日本ではこの形式の他にE形は無く、その他のほぼ全てが動輪が3つのC形か4つのD形だ。この鉄道の機関車でもE形は初採用となる。


 日本では大雑把に分けて、C形は旅客用、D形は貨物用として使用されていた。C形は動輪の直径を大きくし、速度が出るように作られている。対してD形は動輪を多くする事で粘着力が増し、それは牽引する力が増える事を示している。旅客は速度、貨物は牽引力というわけだ。


 しかし峠越えに求められるのはスピードではなく、何より安全に上り下りできる事。静岡県を走る御殿場線のようにそもそも全ての列車がD形で補機がC形という路線や、札幌~函館を小樽・倶知安くっちゃん回りで結びC形の重連で山を越えた急行ニセコのように例外はあるが、峠越えの補機としては旅客列車でもD形を使うのが一般的だった。


 つまり動輪を5つ持つE形はさらに粘着力が強い。これは牽引力だけではなく、急坂で列車を押し上げるのにも有効だ。バサル峠のような急坂にはうってつけである。


 ところで、どう見ても無骨そのものって感じだがかわいい車両か?


「あの煙突に付いているのはなに?」

 グリフィアが指差す煙突部分には、箱型の物が載っている。これもラエルスの発案で取り付けたものだ。


「あれは煙の流れをコントロールする装置さ。装置と言っても大層な物じゃないけどな」

 それは集煙装置と呼ばれるものだ。北陸本線の最難関区間である木ノ本~敦賀間では急勾配とトンネルが続き、1928年にはトンネル内で立ち往生した機関車の乗務員が窒息死する事故も発生していた。


 そこで当該の区間の運転を受け持つ敦賀機関区で開発されたのが、煙の流れをコントロールすることで乗務員や客車の方に煙が行きにくくするための装置である集煙装置だ。

 普通なら上方向に吐かれトンネルの天井にぶつかって機関室や客車の方に流れ込む煤煙を、上側を閉ざし後方に空けた穴の方に誘導することで煙の流れをスムーズにして、乗務員やお客さんが煙に巻かれにくくしようというものだ。


 現状のリフテラート~マグラス間ではトンネルは少ないからいいものの、このバサル峠越えではトンネルだらけとなる。この機関車でテストをして、以降は順次今いる機関車にも取り付ける予定である。いくら補機が煙対策をしていても、肝心の本務機がしていないのでは意味がない。


 峠のマグラス側の入り口にあるのはソレラスという村だ。その名前を借りて建設中の機関区はソレラス機関区と言う名前となる。さすがにまだマグラスから線路は伸びていないので、完成するまでは機関区内での試運転のみとなる。

 E10形を模した機関車が配置されるのだから、ここは横川機関区と言うよりさしづめ庭坂機関区だろうか。


 だが何より峠越えの区間での試運転を早く行いたいところだ。碓氷峠の試運転ではいくつも予想しなかったトラブルが起きたという。バサル峠越えでもトラブルは起きるはずだ、それを早く見つけ解決させることがオルカルへの第一歩だ。


「これが列車にくっ付いて峠を上り下りするってことでしょ?」

「そういうことだな。一応普通列車では1両、急行列車と貨物列車では2両連結を想定してるけど、この辺はやってみてだな」

「でも一つの列車に蒸気機関車が3両かぁ。すごく煙臭そうね」

「まぁこの辺の森に住んでるのなんかドワーフ達ぐらいだし、彼らには了承を取ってるからいいんだけどな。問題は、野生化した魔獣の方だ」


 魔王を倒して以降、率いていた魔獣の大半は駆逐したが一部はそのまま野生化して森に住みついた個体がいた。バサル峠周辺も例外ではなく、街道筋にはいくつか兵士が常駐する小屋が建てられており魔獣発見の知らせを聞くや飛び出して退治し、街道の交通の安全を確保している。


「するとやっぱりイーグルの出番?」

「だな。鉄道警察隊は今のところは列車内の治安維持と最近めっきり聞かなくなった盗賊退治がメインだったけど、この区間では魔獣を相手にしてもらわなくちゃ」

アイツイーグルがまた張り切りそうね」

「まったくだな」


 そう言ってラエルスは笑ったが、そうなると危険手当で賃金がかさむなぁとか、大体この区間を建設するのに結構な金が要るんだし加算運賃でも設定するかなぁとか、そんな金勘定で頭がいっぱいだった。


 ――――――――――


 どう考えても物語中に入れられるネタではなかったのでここで供養します。

 E10形の第3動輪と第4動輪には、車輪がレールから離れないようにするためのフランジが付いていません。日本で唯一保存されているE10形は東京都青梅市の青梅鉄道公園にありますが、作者はこれを知ってから改めて見に行って感動したタイプの人です(?)


 なぜこのフランジが無いのかはよく考えればとても単純な理由があるのですが、それはどこかの話のネタという事で…

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