難関、バサル峠越え

第47話 峠は大敵

「さて、ここからが正念場か」


 マグラスから先、オルカルまでの150キロ。道中にあるのは、かつてはオルカルを川を用いた水運でしか辿り着けない場所にしてしまっていたバサル峠だ。


 日本でイメージするとすれば碓氷峠だろうか。日本で本格的な鉄道建設がはじめられた当時、東京と大阪を結ぶ鉄道として計画されたのは現在の東海道ルートではなく、同じく江戸五街道のうちの一つ、中山道沿いを通るルートだった。


 その道中、東京を起点として最初に立ちはだかったのが群馬県安中と長野県軽井沢の間にそびえる碓氷峠だ。

 岩倉具視が開設させた日本初の私鉄、日本鉄道(上野~高崎)の終着駅高崎から線路を伸ばし、幾多もの死傷者を出し技術上の難題を克服しながら完成させたこの区間は、現在こそ北陸新幹線の開通で廃止となってしまったが節々に当時の苦労を偲ぶ事ができる。


 さてバサル峠だ。克服する方法はいくつかあるが、この世界でできる範囲となると選択肢が狭まる。

 まず線路の間にラックレール歯軌条と呼ばれる歯型のレールを敷設し、車両の下に設置した歯車と噛み合わせて運転するラック式というものだ。碓氷峠に鉄道が出来た当初はこの方法で運転していた。


 車両下に設けられた歯車を噛ませて運転するので、確かに安全性は高い。だが問題点も多い。

 まず運転速度が遅い。碓氷峠の群馬側の起点である横川駅から途中駅の熊ノ平駅を挟んで長野側の軽井沢駅に至るまでの11.2キロで、開業時の所要時間は75分。ラックレールの区間では時速9キロしか出せなかったという。


 この区間にあったトンネルは26か所、橋梁は18か所だ。開業時は蒸気機関車で運転されたため、トンネルの中では煙が酷かったという。短いトンネルでも抜けるのに時間がかかり、煙で乗客も機関士も窒息した。途中駅の熊ノ平駅では下りた客が再乗車を拒否し、機関士や機関助士は窒息して吐血、最悪は死に至ることもあったという。


 そのため当時の国鉄では1912年に、既に他の私鉄でちらほら出てきていた電化を真っ先に碓氷峠で行った。横川発電所や現在も残る丸山変電所などの建設と相まって機関車も電気機関車が用意されたが、煙の問題は解決して速度も向上しても、それでも所要時間は49分だ。大体この世界に電気の活用と言う概念はまだ無く、電化など夢の話なのだが。


 この遅さが次の問題だ。速度が遅いという事は、輸送量が減るという事だ。

 当時は関東から関越トンネルを抜けて長岡・新潟へ至る現在の上越線は開通しておらず、このルートは関東から長野を経て北陸、新潟などの日本海沿いへ抜ける重要なルートだった。そのため輸送量は増大の一途を辿り、ラック式が廃止になる前は朝から晩まで列車が走り続けていたという。


 最後に、そもそも製造する事と保守点検が難しい事だ。このラックレールを頼りに急勾配を上り下りするので強い負荷がかかるわけだが、そのために歯が欠けたりする事がしょっちゅうだったという。

 大規模な鉄の製造や加工はドワーフ達が得意とするところだが、これらの点検や新造まで任せるのは負荷が大きすぎる。


 以上のことからラック式は無し、では他の峠越えで使われた方法はどうだろうか。

 岩手県の遠野市と釜石市との間を隔てる山々に仙人峠と呼ばれる場所がある。ここでは釜石側から日本で3番目に鉄道を開業させた釜石鉱山鉄道が陸中大橋駅まで、遠野側からは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったともいわれる岩手軽便鉄道が仙人峠駅(足ヶ瀬駅の隣、現在は廃止)までそれぞれ鉄道を伸ばしていた。


 両駅間はわずか4キロだったが、峠のあまりの険しさから鉄道の開通は遅れに遅れたようだ。

 そこで誕生したのが索道ロープウェイだ。この索道の完成により輸送は大幅に改善された。


 では何が問題か。動力源は電気でなくても、もしかしたら峠に流れる川から水力を利用する事ができるかもしれない。だが仙人峠の索道は、貨物専用だったのだ。

 人は相変わらず4キロの山道を徒歩連絡、その間では駕籠のサービスもあったようだが運賃は非常に高額で態度も悪かったという。


 そもそもオルカルとマグラスを結ぶ主要幹線であるのに、こんな輸送力の確保できないどころか乗客に負担を強いるようは方法は論外だ。ではどうするか?普通の粘着式鉄道で登るしか無いのだ。


 そもそもこの路線に求められるのは、とにかく輸送力だ。人も貨物も沢山の往来が見込まれるこの区間では、輸送力が落ちるような中度半端な手段は用いる事はできない。


「と言っても、キツイんだよなァここの峠は」

 測量の前にバサル峠に住むなじみのドワーフ達や獣人族の村の長を集めて会議を開く。説明会と言うのもあるが、比較的平坦なルートは無いかを探るのが大きな目的だ。しかし聞いてすぐに返ってきた答えがこれである。


「何か、少しでも平坦なルートはありませんか」

「強いて言えば、今の街道が一番マシさ。鉄道の噂は聞いてるけど、坂道に弱いって言うなら街道筋に作るのが一番だろうね」

 確かに道理だ。だが結局のところ急勾配は避けられず、普通の方法ではこの峠は越えられない。


 バサル峠は碓氷峠の様に、上って下るわけではなく片方が高地となる峠だ。よってマグラスからは上る事だけを考えればよく、それだけでも負担はまだ軽い。だが碓氷峠のような越え方は出来ないとなれば、地道に行くしかない。ラエルスの脳裏には峠を克服する方法は浮かんではいたものの、難工事になるなと独り言ちた。


 *


 峠を越えるための方法をいくつか授けた測量隊が街道をつぶさに調査し、やがて結果が上がってくる。それを見たラエルスは思わずつぶやいた。

「板谷峠かよ。いや、肥薩線か?」

「イタヤ?ヒトヨシ?」


 横から覗いていたジークが尋ねる。こういった図面を見るのが楽しいらしいし、いっそ補佐官にでも仕立て上げてしまおうか。


「あぁ、なんでもない。さてこの図面の中には、峠を越えるための秘訣がいくつか隠されている。何だかわかるか?」

 図面は地形図に線路の敷設予定地を線にしていくつかのルートに分けて書き込んだものだ。


「このぐるっと回っているのは…線路が一周しているのですか?」

「当たらずとも遠からずだな。ではこれは駅の予定図だけどこっちではどうだ」

 再びジークは図面とにらめっこする。やがてこれまでの駅と違う箇所を見つけたようだ。


「これが本線ですよね。それでホームはこっち。直接入って出られない構造になっているのですか」

「その通り。さっきの回ってる線路もそうだけど、これが峠越えの秘訣さ」


 最初に見せた円を描く線路は平面図だからそう見えるだけであって、実際はループ線と呼ばれる線路をぐるっと一周させて高度を稼ぐ方法だ。


 ループで上り下りする方法は道路では使用される事が多いものの、鉄道では面積を取るからか山奥の方でしか使われない。

 上越線の越後中里〜土樽間、土合〜湯檜曽間、肥薩線の大畑おこば駅などが有名なところだろう。お台場を走る新交通システムゆりかもめが、芝浦ふ頭駅を発車してレインボーブリッジを渡るためにも使われる。


 似たような方法で線路をΩオメガの形に敷いて高度を稼ぐ方法もある。先述した仙人峠を越えるJR釜石線では、陸中大橋駅付近でこの方法を採用し峠を克服している。


 もう一つの方は、スイッチバックと言われるものだ。こちらの方が有名かもしれない。


 急勾配を克服するために、一直線で坂を登らずに折り返しながら徐々に高度を稼ぐ方法をスイッチバックという。

 また途中に駅を設ける場合も急な坂の途中に駅を作るとそこから発車できなくなる恐れがあるため、スイッチバック方式として平坦なところにホームを作るという方法が取られる事もある。


 北海道は石北本線の遠軽駅や島根県の一畑電鉄一畑口駅のように、平坦な地にあっても歴史的経緯からスイッチバックとなっている駅もあるが、そうでなければ急勾配を克服するためのものが普通だ。


 図面にはそんなループ線やスイッチバックがいくつも書かれ、それだけでも難工事が予想される。

 トンネルもリフテラートからマグラスの間ではあっても短いものばかりだったが、この峠越えではそうもいかない。


 最初は工作機械も無いこの世界でトンネルを掘るとなると素掘りしか無いのかと思っていたが、さすが魔法の世界と言うべきか、身体強化の魔法でその素掘りがやたらと早い。


 土をいじれる系の魔法は無いようだが、とても人間技とは思えない速度でトンネルを掘るのを最初に見た時には思わず呆れてしまったほどだ。


 とは言えトンネルは短い方がいい。工期の短縮にもなる。

 見積もってもらったいくつかのルートで一番トンネルの少ないものは、逆にスイッチバックだらけで所要時間がものすごくかかりそうだ。


 ちなみにトンネルをふんだんに使ったルートは、途中の難所を全てトンネルでぶち抜いている。単純にして明快、いくら身体強化が使えるとは言え作るのに何年かかるのか。


 結局採用したのはその折衷案とでも言える、ほどほどにトンネルもループ線もスイッチバックもあるルートだ。あとは海軍魂がどれだけ工期を縮められるかである。


 これからはまず、本格的な峠越え区間の手前にある町まで路線を先行して作り、それを用いて資材を搬入するところから始まる。路線には築堤、橋梁、トンネルと色々あるので、その分必要な資材も多いのだ。いくら効率的に線路が敷けると言っても、まず路盤が完成しなければ意味がない。


「いよいよ最難関箇所だな…」

 ラエルスは独り言ち、諸々の手続きの準備を始めた。

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