第46話 この世界の展望車は
新幹線が出来る前、今でこそわずか2時間半で結ばれる東京~大阪間が最速でも7時間半かかり、日帰りすら不可能だった時代。当時、東京と大阪を結んでいた特急列車の最後尾には、展望車なる車両が連結されていた。
この車両は常に最後尾に連結され、等級は1等車。展望車のデッキに立って見送りに応えるというのが定番であったし、3等や2等の乗客が見栄を張って降りる駅の前でわざわざ展望車まで移動してきたなんて話もあるぐらいだ。
名門特急列車と言えば展望車、そんな時代が確かにあったのだ。
「でもここじゃ、最後尾に展望車って出来ないんだよな」
「え、できないの?」
そこまで
「最後尾に今説明したような展望車を付けると、必ずその車両は最後尾に回さなければいけなくなる。これが結構な手間で、やるなら編成丸ごと方向転換させなきゃいけないぐらいの気持ちで行かなきゃいけなくなる」
「でも機関車を回す、転車台?ってのがあったじゃない、あれでできないの?」
ミアナが珍しく反論する。鉄道の事は興味無いかと思っていたが、意外と勉強しているようでちょっと嬉しい。
「できなくは無いけど時間がかかるんだよな。それにこの構造の展望車は、多分将来的に持て余す」
今や10両編成の編成を丸ごと転車台で入れ替えるのには手間と時間がかかりすぎる。
ラエルスも元の世界で所有していた鉄道模型でやった事はあるが、時間がかかりすぎて途中で飽きてきたほどだ。
当時展望車が連結されていた"特急つばめ"や"特急はと"では、44系客車という車両が使われていた。
この車両は完全に特急仕様として製作され、座席は2人がけで一方向の固定式。今の特急車両のように向きを変える事は出来なかったのだ。
そこで東京と大阪では、複雑に入り組む線路を利用して編成丸ごとの方向転換が行われていた。東京では品川や大崎近辺と現在の湘南新宿ラインと横須賀線が通る線路を利用して、大阪では新大阪駅付近と塚本〜尼崎間から分岐する北方貨物線を利用して。
だがこれは当時すでにこれらの路線ができていたから可能な技であり、編成丸々入る
それに展望車自体、最後まで連結されていた特急つばめ・はとが電車化されて以降は連結される事は無かった。当時は既に1等車が展望車のみとなっており元より需要も限られていた事から、晩年はもっぱら団体専用車となっていたようだ。
当時使用されていた車両の内、マイテ49-2は現在でもJR西日本が保有しておりかつては山口線のSLやまぐちに連結されたりもしたが、現在ではほとんど動く事は無い。
最後尾にのみ展望車を連結するという案を考えないでもなかったが、するとマグラス方に連結された荷物・郵便・普通車の合造車を通り抜けて食堂車に行く事ができない。そもそも高額の料金を払って展望車を利用するお客様に、列車内を長々歩いて食堂車に行ってもらうというのは少々具合が悪い。
「でも、そしたらどうするのさ」
「最後尾がダメなら、中間にも入れられる展望車を作ればいいわけだ」
展望は最後尾だけのものでは無いのだ。
*
1ヶ月ほどで、モックアップが完成した。未知のものに対するドワーフ達のやる気の漲りかたはすごい、普通1ヶ月ではできない。
「また変わった形してるのね。外に通路があるの?」
「中も片方にしか椅子が無いんですね。これは…跳ね上げ式の椅子?」
モックアップとして製作されたのは、海側にデッキが設けられた車両だ。その両端に出入口があり、車内はデッキがあるせいで少し幅が狭い代わりに片側のみに2人がけの転換クロスシートが並ぶ。
「大胆なデザインだろ?こうすれば海でも山でも、開放感溢れる環境で見れるってわけだ」
参考にしたのは高知県の土佐くろしお鉄道、後免駅から分岐して海沿いを走るごめん・なはり線で走る9640形という車両だ。
11両在籍するうちの2両がこうした展望デッキを備える車両となっており、海が見える区間ではデッキに出て眺める事ができる。
さて作られた展望車も似たような構造で、デッキには手すりが設けられ座席部分にはこの世界で作れる限りの大きなガラス窓だ。
眺望を少しでも良くするために海側に設置される座席部分は少し高く作ってある。これは9640形に限らずさまざまな車両で使われる方法だ。
また土佐くろしお鉄道のそれと違って普通車指定席を想定しているので、山側に補助椅子は設けていない。
また車端部には6人まで入れる個室1つを設けた。これはラエルスのオリジナルで、イメージしたのは東京の浅草から日光・鬼怒川を結ぶ東武特急スペーシアに連結されている個室だ。
もちろんそこまで豪華にできるわけではないが、個室代として別に
これまで小さい子供を連れての旅行は一般的ではなく、それでも周りを気にせず旅行するには馬車を貸し切るしかなかった。
しかし馬車で数日という旅は小さい子供や赤ちゃんには過酷だし、必要に迫られた家族でしかやらなかったという。
だが鉄道ができて、しかも決して高くはない個室を借りればこれらの問題は一気に解消だ。この個室は実験的な意味合いが強いが、もう少しレジャーに目が向くほど生活水準が向上すれば脚光を浴びるに違いない。
「また誰も考え付かないようなものを…」
半ば呆れたようにモックアップを眺めているのは、リフテラート観光協会のカルマンだ。
「確かに観光協会の元にももっと海を眺められるといいみたいな意見は時折寄せられるようになりましたし、我々も海沿いに新たに宿を建築したり移築したりはしましたが、まさか鉄道でこういう形で実現するとは。いつもラエルス殿の発想には驚かされます」
「観光地に向かうんですからね、少しでもでも気分を上げて楽しんでいただかなくちゃ」
第二期線開業以来、輸送量は日を追うごとに伸びている。念の為と10両分作っておいたホームが幸いし増結してなんとかなっているものの、特に急行列車とマグラスを朝に出て全然を走り通す2本の普通列車、そして1往復設定された夜行急行は混雑が著しくなってきている。夜行列車の自由席の廊下にまで雑魚寝する様は、さながら昔の大垣夜行のようだ。
と感心している余裕は当然無く、急行列車駅ではホームの延長工事が急ピッチで行われていた。
この工事の完了と同時に急行列車には展望車を含めて4両が増結される。次いで各駅の延長工事、まだまだ先は長い。
「とりあえず1日1往復、急行列車に連結します。利用状況に鑑みて本数を増やすかもしれませんが、そもそもの乗客が右肩上がりなので分かりませんね」
「確かにお客さんは増えてますね。あのミノさんの宿が満員になる事もあるとか」
あんな高層階まで階段で上がってまで泊まると言うなら相当な賑わいだ。戦後の日本がそうであったように、観光人口の増加は国民が豊かになっている事を示している。そのうち海沿い区間のみを走る観光列車みたいなものを企画しても面白いだろう。
「しかし鉄道がそうであるように、リフテラートを訪れる観光客の方も右肩上がり。最近では国外の方も増えています。最近では泊る所が足りなくなるのではという懸念まであるようで…
どうでしょう、ここらでラエルス殿も大きな宿を作ってみたらどうですか?」
「そうですね…あまり宿の経営には詳しくないですが、やってみましょう」
乗合馬車の車庫は街外れに作られており、少し高地にあるので海が見下ろせる。周辺に家はまばらで、今風に言えばリゾートホテルを作るには最適だ。
実際のところ、ラエルス自身には自らの手でホテル様式の建物を建てる事は目標として存在した。これまでやらなかったのは、単純に街中の従来の宿とお客の取り合いになる事を恐れてのことだ。
だが泊る所が足りないというのは由々しき問題だ。リフテラートには観光客向けの宿は多いが、どれもこれも、元の世界で見れば民宿レベルだ。一度に10グループが泊まれればそこそこ大きい部類に入る。そう考えるとミノの宿がいかに異常かがよくわかるのだが。
何はともあれ、受け入れ態勢が整っていないのは問題だ。ミノさんに相談しつつ、新しい宿を建てるのもいいかもしれない。
「毎回ラエルス殿の考える事は私たちの上を行きますからな、宿の方も楽しみにしていますよ」
そう言ってカルマンは笑う。ハードルを上げないでくれ、貧乏旅行で安宿ばっかり泊まってたからホテルに関しては門外漢なんだ。
*
後日カルマンと、宿に関することならとミノの元に計画書を携えていったラエルスは、深ーいため息を浴びせられる事になる。
「ま、ラエルスだからね。こうした発想が出来るんだろうけどね…」
「ファミリー層向けですか…確かに考えた事はありませんでした。より一般的になれば、これは人気が出るかもしれませんね」
構想したのは、完全に家族向けの宿だ。リフテラートに観光に訪れる客層は、大体が若いカップルだったり熟年の夫婦だ。これはつまり、ミルングまでの長い馬車旅に耐えられる人たちを指し示している。そしていっぱいある宿も、これらの人たちが利用するのを前提に作られている。
だが鉄道はマグラスまで伸び、残るはバサル峠を含むオルカルまでの150キロのみ。ここが完成すれば小さい子供を連れての旅行も容易になるとラエルスは考えていた。
展望車に個室を作ったのも含めて、これからは皆が安心して旅ができる時代。家族旅行のニーズも増えるだろうという事で、全室が4人以上対応の個室。値段も少し張ってしまうが部屋は広めにとって、フロアで共用が当たり前のトイレも部屋ごとに設置する。と言っても水洗トイレなんて便利なものは無いので、簡易ポンプでお客さん自身で水をくみ上げて流してもらう方式をとるが我慢してほしい。
ついでに貸出用のおもちゃまで準備した。
建物は階段移動が負担にならないように2階建て、その代わり郊外で土地だけはあるので敷地面積だけは広く取ってある。乗合馬車の入出庫便の一部を営業化してアクセスは簡便に、と言っても本数がそこまで多くないのでとても便利かと言われると疑問は残るが。
と、遠い昔になってしまった日本のホテルを思い返しつつ計画してみて見せてみたら反応がこれだ。
「で?こんな豪華な宿の運営を私がやっていいのかい」
ミノが尋ねる。元より宿の運営には詳しくないので、ここはミノに頼る事にしたのだ。餅は餅屋だ。
「はい。私は宿の運営については門外漢なので」
「ふーん…ま、任せると言われればやるけどさ」
そう言うなりミノは、ずいと体を寄せてくる。
「アンタもいい加減にこの部屋に泊まれるようになりなよ。奥さんにもハッパかけてるけどさぁ」
要するに早く子供を授かれと言うことか。マズい、外堀を埋められつつある。
――――――――――
ちなみに当時の特急列車の方向転換は以下の通り行われていました。
東京→品川→大崎→蛇窪信号場→品川→品川客車区
大阪→尼崎→塚口→宮原客車区→大阪
同じような方向転換は、同じく44系客車を利用していた特急が走っていた関係で京都、博多、上野、青森などでも行われていました。
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