第44話 坂阜とカーリターダ

「うわすっごい、線路だらけだ」

「こんなに必要だったんですか?」


 グリフィアとジークが貨物駅の広さに呆然としている横で、大量の線路の発注にいつも以上に意気込んでいたドワーフのアグロが感慨深げにウンウンと頷いている。


「珍しいですね、アグロさんも見たいなんて」

「おうよ!自分の仕事の成果はやはり自分の目で見るに限るってもんよ。

 尋常じゃない量の線路の発注が来た時には何かと思ったが、なるほどこういうわけかと納得したわい。貨物列車…と言ったか?将来的には我がドワーフの地にも来るのか?」

「当然です。むしろこれまでは馬車輸送に頼ってたので時間がかかっていましたが、線路が伸びればこれまで以上に作っていただいたものの搬出も楽になるでしょう。それに…」


 そう言ってラエルスはアグロの耳元で囁く。

「酒も肉も、これまで以上に手に入りやすくなりますよ」

「はっはっは!それはいい!やりがいがあるってもんよ!」


 さてそれはさておき、完成した貨物駅はとても広大だ。

 ざっくり分けて着発線、仕分線、荷役線に分かれ、端には新たに機関区と貨車の車庫を設けている。


 かつて日本の鉄道貨物はヤード集結方式と呼ばれるもので、小荷物扱いを行なっているのであればどんな田舎の小さい駅からでも任意の駅に送る事ができた。

 つまり当時の人たちは駅に送りたい荷物を預け、駅で荷物を受け取っていたのだ。


 この方式は現在のオルカル本線でも行なっており、各駅で貨物列車は荷卸しを行う。

 ここで集めた荷物を各路線に振り分ける際に必要になるのが、貨物駅(ヤード)での仕分け作業だ。つまりある路線で集めて貨車ごとに仕分けされた荷物を、行き先別に分ける作業である。


「あの坂は何の必要があるの?」

 グリフィアが指差した先には、小高い丘とそこから降りるように線路が敷いてある。


「あれはハンプってやつだな」

「ハンプ?」

「あれがこういう形態の貨物駅にはどうしても必要でな。貨物列車があるだろ?あの短い貨車が連なった編成を後ろから押して、あの丘の上で切り離して転がしていくのさ」


 ハンプとはつまり、人工的に造られた小高い丘の事だ。到着した貨物列車は到着線に入り、牽引していた機関車を切り離すと後ろに入換用の機関車が連結される。

 その間に連結器の固定ピンを抜いて解放できるようにしておき、後ろからハンプに押し上げていく。


 頂点に到着した貨車はやがて自動的に切り離され、坂を下っていくのだ。

 ちなみに漢字で書くと坂阜、最初は読めなかった。


「それであのいっぱい枝分かれした線路に分かれていくのね」

「その通り。とりあえず方面別に2線ずつ、計6本の線路に分かれていくってわけ」


 ハンプから下ると、線路は何本も分かれていく。東京の操車場ではこの線路は東海道方面、この線路は東北方面といった風に各方面別に分けられていた。

 このマグラスの操車場ではさしあたりリフテラート方面、オルカル方面、マグラス港方面に分けられる事になる。将来に向けて拡張の余地は残してあるが、今のところはこれで十分だ。


 こうして各方面に分けて行く作業を"散転"と言い、振り分けられた貨車は各々の線路に既に止まっている貨車に連結される。


「しかし、自由落下だと勢いがつきすぎてしまいませんか?結構な速さが出そうですが」

「さすがに鋭いなジークは。線路に所々にぽつぽつと大きいボタンみたいなのが見えるだろ、あれで速度を落とす」

「あれは?」


 近づいてみると、ねじの頭のようなようなものが線路に並んで均等に並んでいる。


「これはカーリターダってやつだ」

「カーリ…?」

「手っ取り早く言えば、滑り降りてくる貨車を自動的に減速させる装置だな」


 ハンプから降りてくる貨車だが、もし向かい風などで既に止まっている貨車に連結できず途中で立ち往生してしまっては、その後の散転作業に支障が出る。そのため、ハンプから転がってくる速度は最大限速くなるように造られている。


 だがもちろんそのままだと速すぎて、連結器や貨車そのものを壊してしまったり脱線の危険性がある。なので速度をある程度落とす必要がある。

 昔はハンプの頂上で人が飛び乗り、足踏みブレーキで減速させていた。人が自らの足の感覚で止めるので精度は高かったが、この方法では同時に事故率も高く足を切断したり死亡する人もいたのだ。


 そこで作られたのが、遠隔で速度を落とす事ができるカーリターダというわけだ。

 日本で多くみられたのはユニオン式と呼ばれる、線路の両側に制動桁を用意してそれを空気圧や油圧で作動させるタイプのものだ。


 だが残念ながら今のこの世界の技術では、こうした空気圧も油圧も完璧には再現できない。蒸気機関車や列車のブレーキには空気圧が使われているが、こういった場面で遠隔操作できるかと言われると微妙なところだ。

 なのでこの貨物駅ではダウティ式と呼ばれる、線路の内側に設置された油圧式のピンを車輪で押し下げる方式を採用した。油圧は近いものを再現できたからだ。


「なるほど。これで自動的に減速させて、ここの線路に並ぶはずの貨車に連結するわけですね」

「速すぎたら当然人に止めてもらうけど、これなら怪我の心配も少ないってわけさ」

 もし速度が十分に落ちなかったら、線路上に手歯止めハンスコを置いて止めて、後は手押しになる。

 非効率と言ってしまえばそれまでだが、連結器を壊されるよりマシだ。


 ジークは目をキラキラさせてヤードの方々へ目を向けている。予備知識は無かろうとも、やはりこうして線路がたくさん整然と並ぶさまは男心をくすぐるものがあるのだろうか。知らないが。


「つまり到着した貨物列車は、ここで遠隔操作で仕分けられていくのね。外国から来た荷物なんかもここで仕分けられるってことなんでしょ?お弁当のバリエーションも増やせるかなぁ」

 グリフィアが尋ねると、ラエルスは笑って答えた。

「要約してしまえばな。つまり…」


 到着した貨物列車は到着線に入れられ、牽引していた機関車は切り離されて機待線に入る。貨車はヤード内の入換機に押されてハンプを登り、頂上で順に切り離されて散転作業に入る。


 各方面別に分けられた貨車は出発線に引き出されたのちに1両ずつチェックされ、貨物列車1本の編成のどの貨車にどの駅への荷物が積まれているかという伝票を作成する。

 その情報は、電話が出来るのだからこれも出来るだろうとか言って作った一斉放送の装置で各駅に伝えられ、駅では貨物列車の到着に備える。


 あとは機関区から来た機関車が出発線で待機する貨車に連結され、時間になったら本線に出ていくというわけだ。


 日本の貨物列車の場合はこのヤードでの作業を何回も繰り返して目的地まで運んでいた。だが散転された先の貨車がいっぱいになるとあとの貨車は次の貨物列車へと回されてしまうので、荷物が到着する正確な時間が直前にならないとわからないでメリットがあった。


 そのため整備された道路網とトラックに押されてヤード集結型輸送は衰退し、現在のコンテナ型輸送と呼ばれる、いくつかの大きな貨物駅同士を結ぶ方法に変わっている。

 当然トラックはおろか小型の内燃機関すら実用化には程遠いこの世界では当分先の話ではあるが、いつかはこのヤードも廃止になるのだろう。


 ちなみにカーリターダ自体は貨物輸送方式の変化に伴い全国で次々に廃止され、現在では千葉県の蘇我貨物駅にダウティ式が残るのみだ。


「とまぁ、これまでの荷馬車では不可能だったことも出来るわけだ。それも安価で早く。それこそ海外…じゃなくて、外国から珍しい食べ物が欲しいって言ってもそこれまでほど値は張らないはずだぞ」


 つい外国のことを海外と言いそうになるのは、多分日本人のサガだとラエルスは勝手に考えている。最初に行った時はパーティー皆に「どういうこと?」という顔をされた。


「ある村から遠い村へまとまった量の荷物を荷馬車で運ぶなんて言ったら、時間もお金もかかるしで大変だったものね。

 外国の食べ物…マリズム王国のワイバーンの肉だっけ、あれまた食べたいなぁ」

「懐かしいなワイバーンの肉、筋肉質で食えたもんじゃないと思ってたけど意外とイケたな」

「ワイバーンって食べられるんですか!?」


 二人の思い出話にルファが思わず素っ頓狂な声を上げるがそれもそのはず。

 ワイバーンは少なくとも駆け出しの冒険者が相手にしていい魔獣ではなく、その討伐は中級冒険者になるための登竜門とも呼ばれる。小さい集落などでは、ワイバーンの群れに襲われてしまえば集落ごと放棄しなくてはならなくなる恐れもあるほどだ。


 そんな強い魔獣を食べようというのだから、狼兄妹が驚くのも当然だ。ラエルス達だって最初に入った食堂でワイバーンの肉がメニューに並んでるのを見た時には、ヤバいところに来てしまったのかと慄いたのだから。


「さすがに翼とか頭とかは無理だけど、胴体とか脚とかは普通に食ってたな」

「ね。マリズムは食文化も独特だったけど、あれが最たるものじゃない?食用ワイバーンの研究もしてるとか言ってたし」

「食用って…」


 ルファが半ば呆れたような声を出す。気持ちはよくわかる。

 しかしワイバーン狩りが登竜門とはよく言ったものだ、竜だけにってか?


 …って話を冒険者時代にしたら「どういうこと?」って顔をされた。まぁ竜という漢字が無いのは分かるけど、どうなってんだこの世界の言語は。と思わずにはいられないラエルスだった。

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