第39話 長距離列車には食堂車が要る
「来ちゃった!」
「来ちゃった、じゃないでしょ。ミアナも故郷の村にいたんじゃなかったのか?」
「だったんだけどねぇ、グリフィアから面白そうな相談が来たもんだからいてもたってもいられなくなっちゃってさ。いやーそれにしても…」
ミアナがぐーっと身体を伸ばす。
「久々に何日も馬車に乗ってたら足がむくんじゃってさぁ。だんだん痛くなってきたから魔法でちゃちゃっと治しちゃったけど、まだちょっと違和感あってさ」
「…ミアナ、パーティーで冒険してた時に言ったこと覚えてるか?」
冒険者としてパーティーを組んでた頃にもミアナは同じような事を言っていた。そこでラエルスはある助言をしていたのだ。
「あ…水を飲めってのと、適当に体動かせってやつだっけ?」
「そうそう。ちゃんとやったか」
「忘れてた」
だろうな、とラエルスは息を吐く。エルフという種族はどうも長命だからなのか、体を労わるという概念が希薄なところがある。
「それ、エコノミークラス症候群って言ってな。最悪死ぬぞ」
「ほんとに?」
「てかそれ前も言ってたよね、まずそのナントカミークラスってなんなの?」
そりゃそうだ、エコノミークラスって言葉自体存在しないのだから。
「俺のいた世界には空を飛ぶ乗り物があってな…」
「空を?ワイバーンとかドラゴンじゃなくて?」
「じゃなくて、鉄道とかと同じように200人とか300人とか乗れる…」
結局10分ほどかけて、エコノミークラスどころかそもそも飛行機の概念から説明すると、ようやく皆納得したようだ。
「なるほどねぇ、ラエルスのいた世界にはそんな便利なものが…」
「おかげで世界は狭いけどな。ま、それはさておきだ。列車内で供する食事の話、どうにかなりそうか?」
「そうねぇ。私も来るのに乗ってきたけど、あれもうちょっと揺れ抑えられない?」
「できるな」
「即答なのね」
できるとも。今走っている列車は二軸車、食堂車はボギー台車だ。乗り心地は全然違うし、なんなら戦前の特急燕や富士で使われたマシ38のように、3軸ボギー台車でもいい。
そもそも日本で最初の食堂車は、現在の山陽本線を作った山陽鉄道が1899年に神戸〜三田尻(現在の防府)間を結ぶ列車に連結させたのがはじまりだが、車両は当時から3軸ボギー台車だ。
「問題は厨房スペースだ。乗ってきたならわかると思うけど、あの通り狭い列車内で作らなきゃだし、真水は貴重、火もかなり厳しくやらないと車両自体が燃える恐れがある。この状況で、いかにしていい料理を出すかって話だ」
既に食堂車のモックアップだけは作ってあるが、まだ間取りのみだ。車体は一気に大型化して18メートル、二軸ボギー台車。
スペースを有効活用するのであれば100系新幹線のように、1階を厨房、2階を客席とすればいいのだろうが、さすがに技術が追いつかなかった。
「火はまぁなんとかなるとしても、問題は水ね」
「魔法で生み出す水じゃダメなんですか?」
4人目の勇者パーティーの突然の登場に固まっていたルファが、気を取り直したのかそう尋ねた。
「えぇ。魔法で生み出した水を使うと、なんでかお腹壊したりする事が多くてね。えぇと…なんだっけ?」
「水としての純度が高すぎるんだと思うんだよな」
「そうそうそれそれ。冒険してた時も何がなんでも川や井戸水を確保したものよ」
純度の高い、いわゆる純水と呼ばれる水は、たくさん飲みすぎると腹の調子が悪くなる。魔法で生み出す水もこの純水のようで、熟練した冒険者の中では魔法水で調理をするなというのは常識の一つだ。
真水の確保は、日本に限らず鉄道では大きな課題だった。廃止された北斗星やトワイライトエクスプレスの食堂車の床下には、3000リットルもの容量を持つタンクが設置されていたほどだ。
寝台特急ではシャワー室が付いている車両もある。一応人数制限や使用時間の制限はしているが、それでも列車の中で沢山水を消費するシャワーが浴びられるというのはすごい話である。
「いくつか試作の料理は作ってみたんだけど、やっぱりどうしても水が必要って問題が解決できなくてさ」
「最近よくキッチンに籠ってたもんな。でもやっぱり水が必要か…」
「結局鍋物が一番楽なんだけど、鉄道は将来的にはお金持ちとかにも乗ってもらうんでしょ?まさか金持ちも平民もみんなで鍋をつっつけって訳にもいかないしさ」
「そう、それでさ」
悩む二人に、ミアナが声をかけた。
「火はどの程度使えるの?豪快に使うのはダメにしても、せめて蒸すとか加熱するぐらいは出来ない?」
「つまり、あらかじめ外である程度作っておいて、列車の中で仕上げをしようってこと?」
グリフィアが聞き返すと、ミアナは首肯した。
「そうそう。そのぐらいなら出来そうじゃない?」
「ミアナ、それだ!それなら出来るかもしれない」
ラエルスが思いついたのは、飛行機での機内食だ。飛行機では外であらかじめ作ったものを急速冷凍し、それを機内で解凍して供する方法が取られている。機内で直火は使えないので電子レンジで調理しているが、レンジは無理にしてもこれならこの世界での技術でもどうにかなりそうだ。
とは言え塩梅を間違えてはいけない。1972年に発生した北陸トンネル火災事故では当時の国鉄の火災に対する危機管理意識の甘さもさることながら、燃えた"急行きたぐに"に連結されていたオシ17形食堂車の備え付けてある、石炭コンロが火災原因と疑われたのだ。
結局火災の原因は食堂車の電気暖房装置の漏電が原因だったが、この事故を受けて全国の同型車両の連結は中止された。
車内で直火を使うのであればこうした事も想定しておかねばならず、難燃化や不燃化とは程遠い客車なので十分に注意せねばならない。
「つまり、火力がいる料理はあらかじめ調理して準備し、車内で加熱して仕上げをするわけか」
「そういうことね。だから作る料理は加熱すればできるもの、でも肉や魚ぐらいは出来れば車内でどうにかしたいかな」
「生ものだしな。火は魔法か魔石かでどうにかなるし、その方向でいってみるか」
食堂車の登場初期は、メニューは洋食ばかりだったのだという。その理由は加工料理が和食に比べて楽だからという事だったが、なるほど大真面目にこうして検討してみるとその理由もわかる気がする。
*
結局検討の末、メインディッシュとなるものやスープは車内での調理、副菜は事前に作っておいて車内で仕上げる事となった。肉料理か魚料理をメインとして、あとは野菜とスープで一つのコースだ。
その他に単品でパンやオムレツ、サラダに数種類の飲み物、デザートなどを取り揃える。これだけあればこの世界初の食堂車としては上等だろう。
「マグラスまで走るんでしょ?いくら
済むわけがない。リフテラートからマグラスまで直通する列車は1日2往復、所要時間は約9時間なので、2本とも朝昼か昼夜の食事を車内で済ませる形となる。
ちなみに路線の中間にある街、サティスを始終点とする区間運転の急行も走るが、こちらは1食分で十分だ。
とは言え当然2食分は一気に積めない。急行列車は長距離運転となるので、途中のサティスで機関車の交換の為に10分ほどの停車時間を設けてある。その間に積み込めばどうにかなりそうだ。
「さて、あとは値段だが…ざっと見積もってどうなりそうかな」
「そこそこは高くなるわよ。食堂車の機材の値段にもよるけど、普通に料理して出すのとはワケが違うからね」
「まぁそうだろうな。でも値段はあんまり気にしなくていいよ、異常に高くなきゃいいんだ」
「どういう事?」
「食堂車を使えるのは、特別車に乗る人限定にするからさ」
そもそも食堂車ができた頃、1等から3等までの乗客のうち、利用できたのは1、2等の乗客のみだった。これは3等客には行儀の悪い人がいたりして高額の料金を払って乗っている1、2等の人に不快な思いをさせないためと、3等の客が食堂車で居座らないようにする為だと言われている。
当然と言うか意外と言うか、この世界の人たちのモラルは決して高くない。所詮衣食住が満ち足りていて生命の危険が無い場所でしか、人々に礼節を求める事は出来ないのだなと思ったこともあったほどだ。
なので特別車と普通車とに分かれる急行列車に連結する食堂車は、当然特別車に乗る人限定だ。特別車は最初から多少なりとも裕福な人を主な乗車層として考えている。なので食堂車で提供される食事が多少値の張るものでも、客層的には大丈夫だろうというわけだ。
ちなみに1930年当時の定食の値段は1円から1円50銭だ。
山手線の初乗りが5銭だった時代である。現代の初乗りは140円なので、単純に考えれば2800円から4200円となり、庶民が気軽に出せる値段ではなかったことが伺える。
「なるほどねぇ。でもそれだと、普通車に乗る人たちが大変じゃない?」
「そこはほら、リフテラート駅でも売ってたでしょ。駅で弁当を売るのさ」
「あぁ、確かに売ってたね。確か駅弁ってやつ。このメニューも私たちが作るの?」
「いや、駅弁はいくつかの駅で売るし、これは各駅のある街で任せてあるから大丈夫だ」
「すると…駅ごとに中身が変わるのね、面白そう」
「風土が出るのが駅弁のいい所だからな。地元の特産を使ってもらって、地元のいい所なんかを描いた包装紙に包んでもらう。これだけでも立派な宣伝だ」
駅弁は旅の楽しみ。ラエルス自身も旅先ではよく駅弁を買っていた。"旅情"とは何かを説明することは難しいが、あえて言うなら列車の中で移り行く風景を眺めながら食べる駅弁には得も言われぬ旅情を感じる。
「でも、どの駅でも売ってる安くて手軽な食べ物とかがあってもいいんじゃない?」
グリフィアが言うと、ミアナも首肯した。
「確かにね。隊商の馬車に便乗したはいいけど、食べ物を買うお金も無いほどの人だっているんだし…」
駅弁も安くはない。リフテラート駅やイルファーレン駅など大きい駅には売店を設置してはいるが、売っているのはパンとお茶ぐらいのもの。しかも大量生産できるコップが無いので、容器代は別にかかる。
「サンドイッチでも作るか」
「なにそれ。元の世界の食べ物?」
「そうか。サンドイッチってのは…」
簡単に説明すると、二人は感心したように頷いた。
「ほんと色々あるのねぇ」
「パンに野菜を挟んだりするのはあったけど、みんな大きくて両手で食べるようなものばかりだったからね」
「でもこの世界にそのサンドイッチ伯爵?って人はいないんだし、この世界での発明者だから…」
そう言ってミアナはラエルスの方を見た。嫌な予感しかしない。
「その食べ物の名前は"ラエルス"になるんじゃない?」
「やめて」
「いいね!」
「ほんとやめて」
放っておくと本当にその名前で売りそうだから怖い怖い。
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