第37話 広がれ公共交通
「ラエルス様、珍しい所から手紙が」
「珍しい所?」
ジークが届いた手紙の差出人を見つつ首をひねった。
「どれ…リューゲル?リューゲルってあの平原の商都か、鉄道が寄るには少し離れてるんだよなあそこは」
リューゲルはアッタスワル盆地を通りバサル峠を抜けて流れてくる、リム川の沿岸に開かれた商業都市だ。かつて街道の整備が進んでいなかった頃は船での行き来が普通であり、この街もその際に発展した船と当時から軍港だったマグラスとをつなぐ道の結節点として栄えた。
だが場所はと言えば、これが少し海岸線から離れた奥地の方なのだ。街が作られた経緯を考えれば通りなのだし、王国南街道も街を経由して北に迂回している。
つまるところ、鉄道が経由するには少し遠いのだ。故にルートからは外した。全盛期は4万を数えた人口も今では8000人程で、数ではリフテラートより少ない。
この世界では小規模都市にあたるが、それでも速達性を鑑みたのだ。
街には事前にルートから外れる事、そして変わりに乗合馬車を接続させる事を話していた。利に聡い商人の街というだけあり鉄道が通らない事を残念に思いつつ一定の理解を示していたが、今更その街が何の用事だろうか。
「へぇ…ようやくこの段階に来たか」
「なんだって?」
「リューゲルから鉄道の駅まで、自前で乗合馬車を開業させたいとのことだ。それで、リフテラートのラメールを視察させてほしいとのことだ」
これこそ、ラエルスが望んでいた流れだった。元より自分だけの力で国のあちこちに鉄道や馬車網を広げるのは不可能なのだ。こうして様々な街や商社などが、自前でこれらの事業を始めてくれるのがこれからの公共交通網の発展には不可欠なのである。ラエルスの作った鉄道を国鉄と例えるならば、民間主体の私鉄が欲しいわけだ。
現に日本の鉄道にしたって最初の新橋~神戸間こそ国主体で作られたが、山陽本線に当たる神戸から馬関(現在の下関)は山陽鉄道、東北本線の上野から青森や常磐線の日暮里から岩沼は日本鉄道、中央線の御茶ノ水から八王子は甲武鉄道、鹿児島本線の門司港から八代や長崎本線の鳥栖から長崎は九州鉄道など、現在の鉄道網の骨子を作ったのは様々な私鉄なのだ。
その他にも日本各地で小さな私鉄がたくさん作られた。そのほとんどはモータリゼーションなどで廃止されたが、様々な街の発展を支えた事は間違いない。
「へぇ、リューゲルの商人って結構目利きに厳しいみたいなことを聞いた事があるけど、その商人の街の人が期待してるってことはかなり高評価なんじゃない?」
「だな。決してリフテラートの乗合馬車がめちゃくちゃ稼いでるってわけでもないけど、少なくとも街の発展には貢献してるわけだしそこを買ってもらえたのかもな」
「最初に来た時からずいぶん変わったもんね」
「人通りも増えたし観光客も増えたし、最近じゃ人口も少しずつ増えてるって言うしな」
代官であるロイゼン曰く、ここ1年半ほどで人口が1000人ほど増えたという。日に2人のペースだ、
観光協会のカルマンも、乗合馬車が出来てからというもの観光収入は右肩上がりだという。乗合馬車に出資する分も最初は大きな出費だったが、今となっては大当たりだと喜んでいた。
「でも初期投資が結構すごかったよね、あと黒字転換の長さとか。その辺をちゃんと理解してくれるかな」
グリフィアが口にした懸念は確かにあった。リフテラートでも開業前は初期費用に難色を示す人はいたし、その費用を回収するまでに30年と聞いて顔を顰める人も大勢いた。ラエルスにも策はあったが少々博打的だ、さて頷かせることが出来るだろうか。
*
数日後、リューゲルから視察団の一行がリフテラート駅に降り立った。鉄道の速さに驚きを隠せない様子なのはもはや見慣れた光景だ。
賓客はいつもラエルス自身が出迎える。空港の到着ゲートよろしく名前の書かれた紙や札を持って待つスタイルも、いまやリフテラート名物と化している。
「お待ちしておりました」
「貴方が噂の…いえ、失礼しました。リューゲル商工会のアムと申します。以後お見知りおきを」
そう言って綺麗なお辞儀をしたのは、予想に反して小柄な女性だった。男尊女卑的な風潮が未だに見られるこの世界では珍しい。恐らく実力で上がってきたタイプの人だ。
「よろしくお願いします。さて今回は乗合馬車の視察とのことでしたが、早速一周されますか?一応貸し切りの馬車を用意してありますが」
「そうですね、お願いいたします。まずは見て回って、それから色々聞けたらなと思いますので」
さしあたって街を一周したが、アムと一緒に来た数人の商工会の人は珍しそうに街並みを見ているのに対して、アムは自分の乗っている馬車やすれ違う営業運行中の馬車、停留所の近くに人通りなどを注意深く観察していた。
「ラエルス殿、この馬車は商人が使うものよりも大きいものに見えるが」
早速アムから質問が飛んできた。やはりひときわ目立つ馬車からだ。
「はい。座席定員十二人乗りの大型馬車です」
「これが今何台あるのか」
「18台です」
「1台当たりいくらで?」
「
うーむと考え込むアムをよそに、馬車は車庫へとやってきた。
「ここが乗合馬車の車庫です。会議室を押さえてあるので、詳しい話はそこでしましょう」
会議室に移動すると、誰よりも早くアムが質問を開始した。
「馬車が18台あると言いましたな、するとこれだけの馬車を揃えるのに
「そうです。この事業の最大の問題点は、初期費用が非常に高い事です。馬車の他に馬匹、車庫に厩舎。停留所はあまり金のかかるものではありませんが、人出も要ります」
ラエルスが滔々と説明すると、視察団の皆の顔が変わった。ハイリスクである事を悟ったようだ。
なので次はリターンの話もしなければならない。
「さて、金のかかる事業であるということは納得いただけたかと思います。次に、馬車によって得られる経済効果の話です」
ラエルスがそう言うと、示し合わせたように資料が視察団の手元に配られる。
「今お配りしたものは、乗合馬車が出来る前と出来た後の、リフテラートの様々なグラフです。魔王戦争が終わってからというもの、リフテラートも含めて深刻な不況に見舞われていました。その時点をグラフの1としています」
グラフには観光客数や観光収入、人口やリフテラートに居を構える事業者の数など、様々な種類の線が書き込まれている。それらのものが全て右肩上がりに上がっていて、下がっているものがあるとすれば空き家の数や失業者の数ぐらいだ。
「これは……乗合馬車のみで成された数字でしょうか」
視察団の一人が尋ねた。
「いえ、今日皆さんが乗ってこられた鉄道の数字も含んでいます。元よりリフテラートは観光地です。リューゲルにこの数字をそのまま当てはめる事は出来ないにしろ、参考にはなるかと思います」
数字だけ見ればまさに夢のようだ。戦後数年、いまだ復興が軌道に乗らない街も多い。
「リューゲルでこれだけの復興が為されたらすごいですな」
「まったくだ。たかが馬車、されど馬車か…」
「乗合馬車の経済効果がすごいのは分かったけど、これがリューゲルでも出来るという保証はあるの?」
流石商工会を束ねるだけある。鋭い。
「はっきり申し上げて、不可能だと思います」
ラエルスが断言すると、アムを除いた視察団の顔に困惑が浮かんだ。
「それは何故でしょうか」
「簡単な話でしょう。そもそも乗合馬車なんて誰も思いつかなかったのよ、馬車はそこら中にあるのに。でも馬車は商人か貴族の乗り物で、一般庶民には遠い存在だったのよ。それがわずか
リフテラートはそもそもが著名な観光地よ、人口も今のリューゲルより多い。同じモデルでは比較できない」
アムの言葉に初めて納得した視察団の一行は、一様に乗合馬車の導入に難色を示した。当たり前だろう、このままでは大枚をはたいて導入しても無駄金になりかねない。だがえてして公共交通とは、大きな黒字を出せる代物にはなりにくい。
「視察に来る前に手紙で伝えておいた内容ですが、ご検討いただけましたか」
「あぁ、これですね」
ラエルスは手紙で、もし乗合馬車を導入するとしたらどのようなダイヤで、どのように停留所を作るかの草案を作るように依頼していた。
「本数は1日5往復、運賃は
「最初から大博打は出来ぬのでな。極めてシンプルに、分かりやすくだ」
これが商工会で出した結論なのだという。確かにわかりやすくというのも一理あるが、これでは小回りが利いて道という道を走れる馬車の利点を完全に殺してしまっている。
駅からリューゲルまで片道1時間半、リューゲル発が7時、9時、11時、13時、15時だ。購入する馬車は予備無しの2台、最終便が早いのはやはり、暗いうちには移動しないという文化だろう。駅発の最終便の時間には季節によってはもう暗くなってくるが、そこは妥協だろうか。
「リューゲルの街では、住んでる人達の住宅や主な働き場所はどの辺りになりますか」
「ですと…ここが大きな住宅地、ここが商店の連なる通りですね。予定では停留所は商店の方に設置するつもりですが」
「いえ、乗合馬車のいい所は様々なところに行ける事です。ここはいっそこのように…」
ラエルスがリューゲルの地図の上に線を引くと、アムをはじめ視察団の顔に驚きの表情が浮かんだ。
「ラエルス殿、これでは…」
「商人の街であるリューゲルの人ならわかると思いますが、商売は第一印象でしょう?」
「確かに。商売は第一印象で買ってくれるかどうかが決まりますね」
「馬車も同じです。最初こそ攻めに出て"乗合馬車は便利だ"という印象を植え付けなければ、その後いくら便利にしてもなかなか最初の固定観念から抜け出す事は出来ません」
近頃出来る廃止代替の第三セクター鉄道やコミュニティバスなんかはみんな、使いやすさをアピールしている。パターンダイヤの導入、本数の増加、各種新しいサービスの展開などだ。
元々が本数が減り使いづらくなり、さらに本数が減るという負のスパイラルに陥っていた路線が多いだけに、なかなか使いやすいというイメージは定着しにくい。
こうしたことが予想できるだけに、リューゲルの乗合馬車も最初からある程度の本数を確保し乗りやすい環境を整える方が良いだろうと考えていたのだ。
「しかし、そうなると初期費用が高くつくのでは…」
当然こうなる。馬車1台につき
「大丈夫、とはまだ保証できませんが、少し待ってください。最大の経費となる馬車を、少しばかり安く調達できるかもしれません」
ラエルスは気軽にそう言って見せたが、実はこれが一番大変だったりするのだ。
――――――――――
建設当初の長崎本線は今と違い、肥前山口から佐世保線に入り、早岐から大村線に入り諫早まで抜けるルートでした。もちろん喜々津駅からも現在のトンネルの続く現川回りではなく、旧線と呼ばれる長与回りでした。
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