第35話 何よりクチコミに勝るものはない

 第一期線のミルングまでが開通して、あっという間に3ヶ月が経った。乗合馬車の方は落ち着いているし、鉄道の方は第二期線として設定したマグラスまでの路線の完成が見えてくるまではあまりやる事も無い。こういう時ぐらいしかグリフィアとのスローライフは満喫できないが、利用者の声もこういう時でないと落ち着いて聞けない。


「ね、気のせいかもしれないけどさ。街の観光客、増えたんじゃない?」

 狼兄妹も連れてルーゲラの大衆食堂に顔を出しに来ていた折、ふとグリフィアがそんな事を呟いた。

「そうか?でも確かに、街を歩いてる人は増えた気もするな」


 カランカランという音を立てて、乗合馬車が通過していく。そちらに目をやってみれば、まずまずの乗車率なようだ。季節は冬近くで特に観光シーズンというわけでもないが、それでもこれだけ乗っているという事はそう言う事なのだろう。


「昨年の冬はもう少し閑散としてたさねぇ。いくらリフテラートが観光地って言っても、ここは海の景観を売りにしてるからね。冬は落ち着いてたもんさ。

 だけど今年は人が多いねぇ、何より売り上げでわかるよ。あんたのとこもそうだろ?」

 話を振られたのは、大体面白そうだからと付いてくるミノだ。こちらも話を聞く限り、冬なのに宿の稼働率が高いのだという。


「そういやウチで泊まってく人にアンケートをしてくれって理事長殿に頼まれてさ」

「カルマンさんにですか?」

 リフテラート観光協会のカルマンは最近多忙なようで、先月今月と立て続けにオルカルへと赴いているのだという。

 冬は日が短いので、オルカルへは鉄道を途中まで使っても片道6日は必要だ。そう考えると結構なハイペースである。


 もう魔獣の危険は薄いのだし、護衛を付ければ暗くなっても森以外なら進んでも良さそうなものだが、明るいうちしか進まないという慣習だけは残っている。現に鉄道も、暗くなると客足の落ち込みが激しい。


「そ、次の夏は忙しくなるだろうからって、今のうちに観光で訪れる人の動向だのニーズだのを掴んでおきたいんだとさ。んで、それをまとめたのがこれ」


 ミノはそう言って、1枚の紙を置いた。

 手に取って見てみると、最初の質問は「どこから来ましたか」というもので、これはやはりオルカルが一番多い。この国で最も人口が多い都市だから通りだろう。

 だが目に付くのは、意外と多い海外からの来訪者だ。国名を見れば陸続きの隣国だけではなく、少数だが海の向こうの国や都市国家の名前もある。


「わっ、やっぱりユリトースからも来てるんだね」

「懐かしいなユリトース、街広すぎてどっかのエルフミアナは3回ぐらい迷ってたな」

「あったあった!3回目なんてイーグルは呆れて探しに行かなかったしね!」


 ユリトースはマグラスから船で5日間ほどのところにある都市国家で、オルカルよりも人口や街の広さは遥かに大きい。オルカルの総人口が約20万ほどなのに対して、ユリトースは50万の人口を抱えている。

 当然この世界では高層建築は発達していないので50万の人口に比例して市域がとても広く、リフテラートと同じで中心部ほどかつての城塞都市を思わせるように道が入り組んでいる。


 かつては海にも出没した魔獣のために船の往来はかなり危険で、魔王軍が跋扈する前は3日に1便は出ていたという船は10日に1度になり、それすらも護衛の冒険者を雇っていたので運賃も跳ね上がったりしていた。

 それが今ではこうして海を渡り、はるばるこのリフテラートまで来ているのだから世界は平和になったのだと実感できる。


「ま、色んなところから来てるってのはありがたいんだけどさ。それより気になったのはこっちさ」

 ミノが指差したのは、何で鉄道を知ったのかという欄だ。日本の同じような質問なら大体上位に来るのはテレビ、ネットといったところだろうが、ここでは違う。


「クチコミ…ですか」

「そ、これが一番多い。まぁそんな気はしてたけどさ」

「どういう事ですか?」

「あんたがあちこちに精力的にポスターとかバラとか撒いてるのは知ってるけどさ、こう言っちゃなんだが9割以上の人はポスターやビラなんか見ちゃいないさ。それに宣伝見て興味を示す人なんて少なくて、大体は知り合いにあれいいよなんて言われて初めて興味を示すもんさ」


 なるほどと、ラエルス達4人は感心した。見ればルーゲラは深々と頷いている。言われてみれば元の世界でバイトしてた時も、どれだけわかりやすくポスターを作ってみても、お客さんはほとんどポスターなんて見ていなかったのだ。この世界だから見るというわけでも無かろう。


「ミルングまで伸びて3ヶ月だろ?お客さんは増えたのかい」

「微妙…ですね。まぁ最初から黒字が出るとは思っていませんし開業してすぐ以外はずっと赤字ですけど、それ以来は微増ってところですね」

 元より部分開業、せめてマグラスまでは路線が伸びないと収支が好転する事は無いとはラエルスも考えている。なんなら最大の都市である王都オルカルに行かなければ、黒字転換は無いとも思っているぐらいだ。


 そうは言っても赤字は少ない方が良いし、今のうちにたくさん宣伝しておいてお客さんに乗ってもらい、オルカルまで完成した暁には既に色んな人に鉄道が浸透しているのが理想だ。

 しかしやはり宣伝というと現代日本のテレビ新聞SNSに、街角での大規模な広告というのが印象にあった。この中でこの世界でできるのは大規模な広告のみという事で、ずっと広告を打っていたのだ。


「だろうね。そこでだ、あんたラエルスさえ良ければこんな作戦はどうだい」

 ミノが語る作戦はラエルスだけではなくグリフィアや狼兄妹も、なんで今まで思いつかなかったのだろうという内容だった。


 *


 10日程経ったある休日、リフテラートの駅前には家族連れがたくさん集まっていた。職員が大きな声で誘導しぞろぞろと駅のホームに立つと、そこには普通車が3両ばかり繋がった車両が止まり家族連れを待っている。


「すごいねおかあさん!」

「ね!こんなものに乗れる時代になったんだなぁ」

「噂には聞いてたけど、どんな感じなのかね」

「すっごい速いみたいだよ!」

 しゅーっと音を立てる蒸気機関車を前に、皆は口々にそんな事を話しながら汽車に乗り込んでいく。


 ミノの考えた案は、要するに無料で体験乗車をしてみてはどうかというものだった。鉄道の料金設定は決して高くは無いが、だからと言ってそこまで安いものではない。そもそも速さや便利さが浸透していないので、乗りに行こうという人は限定的だ。


 そこで無料で列車に乗れますよという試みを、まずは家族連れ限定で募集した。路線の中間のカリトスまでだが鉄道の速さを体験してもらい、父親は職場で、母親はママ友との井戸端会議で、子供たちには学校で。今日の体験を口コミで広めてもらおうという作戦である。


 よくよく考えれば、日本でも宣伝と言えば何かと無料キャンペーンだったり試供品を配ったりして、まずは体験してもらおうという考えであることが多い。京都清水寺の前の土産物の並ぶ通りなんかでは、試食のお菓子がよりどりみどりだ。まず知ってもらい、それから顧客になってもらおうという戦略は多い。


 ところが意外と、この世界には試食や試供品といった宣伝方法は一般的ではない。というのもそもそも旅行自体が一般的ではなく、生まれた町の周辺から一生外の街に出ない人も少なくない。なので各地方の銘菓と言ったものがほぼ無いのだ。それもこれも結局主な移動手段が馬車か徒歩しか無かったからで、こちらでの生活の長いラエルスにもその考えが抜けていた。


 賑やかな声を響かせながら、11時ちょうどに臨時列車はリフテラート駅を発車する。タブレット閉塞のいい所は、こうした臨時列車を走らせやすい所だ。

 ちなみに予め運転することを想定されている列車は、ダイヤグラム上では影スジと呼ばれる。特急列車が頻繁に走る路線などでは用も無いのに普通列車が途中駅で数分停車することがあるが、これは影スジとして設定されている優等列車を退避しているものだ。

 この臨時列車は後から設定されたもので、この場合は盛りスジと呼ばれる。この場合はたとえ急行や特急であろうと、先発の普通列車を追い抜けなかったりして速度は遅くなるものだ。


 この列車は盛りスジだ。途中で3回交換待ちを行いながら、1時間半弱ほどでカリトス駅に到着する。列車は約2時間ほど折り返し時間があり、その時間で昼食を済ませてもらう。同じ時間で終点のミルングに止められないのでカリトスに回送してくる旅客列車があるので、わざわざホームに回送して見学会を行ったりする。どこの世界でも、蒸気機関車の運転台は子供たちに大人気だ。


 折り返し、14時35分にカリトスを発車してリフテラート駅に戻る。2駅走って交換した後は、ドワーフ達自慢の蒸気機関車の本領発揮だ。

 臨時列車はそこからリフテラート駅までノンストップである。途中駅は一線スルーと呼ばれる構造になっており、通過列車の無い鉱山線ではÝ字に分岐している交換駅のポイントも直線の線路から分岐する形をとっている。この構造では駅の通過の際に速度制限を受けること無く走れるので、優等列車の速度向上が図れるのだ。


 途中駅をすっ飛ばして列車は快調に走り、15時40分にリフテラート駅に戻ってきた。戻りは1時間と少しだ。

「いかがでしたか?」

 職員が降りてきた家族に聞くと、皆が

「すごいですね!馬よりずっと早くて…」

「また乗りたい!」

「いつかこれでオルカルまで行けるんでしょう?楽しみねぇ」


 参加した家族は皆、鉄道の速さに驚いていた様子だった。鉱山線が出来た時点で乗りに行ったという家族もいたが、鉱山線よりも駅間距離が長く使っている蒸気機関車も性能のいいものだ。

 何より石炭を採掘しているマルティーズ鉱山など普通は縁の無い場所であり、そこまで何分と言われてもピンと来ない人が大多数だった。それがカリトスというまだ馬車でどのくらいという指標が分かりやすい距離において、鉄道でわずか1時間少しというのは参加した人たちに衝撃を与えたようだ。


「反応は上々ってところかな」

「みたいね。結果好意的な意見が多いみたいだし」

 後日、参加者に書いてもらったアンケートを見ながら、ラエルスは確かに手応えを感じていた。

 まさしくミノの言う通り、他の人に勧めたいかという質問欄には"そう思う"の回答が並び、その他の欄にも好意的な意見が並んでいる。


「とりあえず、マグラスまでは早く開業させたいところだな」

「そうね。すると最速で、リフテラートから3日ぐらいでオルカルまで行ける?」

「だな。マグラスまで1日、そこからバサル峠越えに馬車で2日だ。海岸の人たちもなんかすごい勢いで作ってるみたいだし、来年ぐらいには開業出来るんじゃないかな」


 次に開業するのは約250キロにも渡る。ダイヤの策定だけでも大仕事だ。

 小さいとは言えない規模になってきた乗合馬車と鉄道を一手に管轄する者として、ラエルスは今一度気を引き締めた。

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