目指せ王都オルカル

第31話 第一期線も開業間近

 オルカル本線の第一期開業を目前に控えたある日、ラエルスの家には客車の横に挿す"サボ"と呼ばれるものが届いていた。

 サボとはサイドボードの略で、要するに行先を表示する板である。日本では行先表示はLEDだったり、少し古めでも方向幕と呼ばれるものが主流だが、昔の客車列車ではこのような板が差し込まれて使用されていた。ちなみに今でもSLなんかを走らせている一部の路線だったり、そもそも行先表示器が無いディーゼルカーなどを走らせている路線では現役だ。


 さて、目の前に並ぶサボには色々な行先が書かれている。鉱山線ならば『リフテラート』と『鉱山』といった風に、シンプルに行先のみだ。オルカル本線用だと急行も走るので、急行用に赤い字で『急行 リフテラート』と書かれているものもある。

 本当は『リフテラート⇔鉱山』という風にすれば終点でのサボの差し替えは不要で楽なのだが、そこはラエルスのこだわりである。鉄道はロマンだ。(迷言)


 行先表示のほかには号車札もある。これは要するにどの車両が何号車かを示すものだ。

 計画では普通列車は5両、急行列車は4両だが、号車札は8号車まで用意してある。駅のホームは10両分を建設してある。とは言え日本風に言えば昔の車両長が短い客車での10両なので、今の山手線や大阪環状線なんかの長さに換算すればせいぜい6両か7両分と言ったところだ。


 需要予測が読めないのでかなり余裕をもって作ったが、あるに越した事は無い。大阪を走る地下鉄御堂筋線は、開業時の列車は1両だったにもかかわらず梅田駅のホームなどは最初から10両分作っていたという。長い地下鉄のホームに1両だけぽつんと止まっているのはなかなかにシュールだっただろうが、現に今の御堂筋線は10両編成であり、大阪の地下鉄一番の稼ぎ頭だ。


 ちなみに編成量数を普段より多くする事を"増結"と言い、普通は5両編成だったら6号車、7号車と言う風に連結される。

 だが増結車両に対して増結〇〇号車や増〇〇号車と言う表記を用いる事がある。これは編成の中間や1号車より前に増結される際に使われ、札幌~青森間を結んでいた『急行はまなす』では1号車と2号車の間に増結21号車があったり、京都~鳥取間を結ぶ『特急スーパーはくと』にも増2号車が連結されたりする。

 JR横須賀線などは、そもそも15両編成なら前から増1号車~増4号車があり、その後ろに1号車から11号車があったりする。ややこしいとは思う。


 閑話休題、そんなわけで完成品をチェックしていると、横からグリフィアが覗いてきて尋ねた。

「あれ、ミルングってどこ?」

「イルファーレン問題の決着点でございます」

「何ソレ、あとなんで敬語?」

「深い意味は無いから気にすんな。んでこれはだな…」


 イルファーレン商工会の要求は、駅の設置は最低限の設備のみ認めるというものだった。旅客が乗り降りできる最低限の設備は、鉱山街の駅の様に列車が交換できない1面1線のホームだ。

 なのでイルファーレンで終点にするつもりの線路を急遽少し先まで伸ばし、王国南街道に沿うように数件の家が並ぶだけの場所に建てたのが、仮終点のミルング駅というわけだ。


 リフテラートからは100キロ以上離れた場所で、イルファーレンにはどうしても乗務員の宿舎だけは必要だった。しかしそれをイルファーレンに建てられなかったので、代わりにこのミルングに建設したのだ。街道筋で便もよくわずか20数名のミルングの集落だが、ここの住民は皆が駅の建設に賛成してくれた。鉄道のような公共工事において、何より大事なのは周辺住民の理解と協力だ。


 今回開業する第一期線は、イルファーレンやミルングを合わせて15の駅が建設される。途中の街で一番大きいのはカリトスという街の駅で、ここには小規模な車庫も併設される。

 リフテラートから少し行ったところには川があり、そこにはかつて渡船があった名残でアザレスという村がある。ここは乗合馬車で結ばれているティルノ村と同じようにリフテラートとの往来があるため、僅かながら区間列車も設定される。


 他の駅はと言えばかろうじて家のある場所もあれば、無人の原野に交換所と駅設備だけを建てた場所もある。ただの交換所としてもかまわないのだが、どのみち信号扱いや閉塞扱いのために駅員は常駐しなければならないし、乗り降り出来ないよりかは出来る方がいいだろうというただそれだけのことだ。


 線路は既にミルングまで繋がり、試運転も行われている。毎度のことながらラエルスも一度は乗りに行くし、当然3人も付いてきた。

「あれ、機関車の形が違う?」

「良く気付いたな。ドワーフ達の自信作だそうだ」


 1ヶ月ほど前にドワーフ達から、新しい機関車が出来たと言ってリフテラートに持ち込まれた機関車があったのだ。

 元々イルファーレンまでは約4時間を見込んでいた。これは鉱山線の機関車の速度を勘案して計算したものだ。しかしラエルスとして欲を言えば、もっと早い機関車が欲しかった。


 そんな話をドワーフ達に手紙で話した結果がこれだ。速度を出すには線路の形をなるべく直線にして、急カーブなどを少なくするのが鉄則だ。オルカル本線の線形は将来の高速運転を考慮して、それこそ時速100キロでも走れるようなものにしてあった。

 船で運ばれた機関車を港で組み立て本線の完成区間で試運転すると、携わった皆が驚くほどの快速を見せたのだ。


 試運転結果を元に作られた新たな所要時間の見込みでは、ミルングまで普通列車で2時間半、急行列車で2時間少しとなった。表定速度で計算すれば55キロを超え、これは大正時代の東海道線急行列車の表定速度と大して変わらない。いくら鉱山線より駅間距離が長く速度の出しやすいオルカル本線と言えど、この速さは画期的だ。ドワーフ達の技術とその向上心に改めて驚かされたものである。


「よく見れば車両も違うんですね。いつもの茶色一色じゃなくて、青い線や赤い線が入ってる車両があります」

 ジークはこういう所をすぐに気づく。鉱山線では必要なかったが、このオルカル本線では必要になるものだ。

「これは普通車と特別車を区別するための線でな、赤色は普通車で青色は特別車ってわけだ」

「間違えて乗らないためにってことですね、なるほど」

 鉱山線では普通車のみだったのでこのような区別は必要ないが、特別車が連結された急行が走るオルカル本線ではこのように外から見てどの車両が普通車でどの車両が特別車を区別する必要があるわけだ。


 これは日本の方式をそのまま取り入れており、日本でも3等車に赤線、2等車に青線、1等車に白線を巻いて区別していた。

 客車列車が終焉を迎え時代が気動車や電車の時代になるとこの帯は無くなり、2等車や1等車にはそれぞれの数字が車体に貼られ、やがて2等車がグリーン車と名前を変えるとおなじみのクローバーのマークを貼るようになった。そんな時代はまだまだ先だろうけども。


 何はともあれ乗車だ。もちろんここぞとばかりに特別車である。

「へぇ、やっぱり普通車と違うとちょっと豪華な感じ?」

「余計なお金を貰うからな。その分は金かけないと失礼ってもんだ」


 運賃とは別に、特別車料金として銅貨50枚500円が上乗せされる。また急行は急行料金としてさらに銅貨50枚が上乗せされるので、急行の特別車に乗るなら運賃とは別に銀貨1枚1000円を払う必要があるわけだ。


 ちなみに鉄道において、運賃は出発地から到着地への輸送の対価、料金は速さや座席のグレードなどのサービスの対価を示す。JRなんかで特急列車が2時間遅れると特急料金のみ返金するのは、特急料金はその速さへの対価として支払っているものなので、列車が遅れて速さが損なわれたから返金するという理屈である。

 遅れてもちゃんと目的地に到着していれば輸送は果たされているので、運賃も返せというのは筋が通らない。


 特別車の車内レイアウトは、普通車と同じで2列と通路を挟んで2列だ。だが車内に入ってすぐに、普通車との違いがわかる。


「座席はみんな前向きなのですね」

「そうね、確かに後ろ向きの席が無いわ」

 普通車の座席は、全てがいわゆるボックスシートだ。4人で1つのボックスで、それが通路を挟んで両側に並んでいる。

 だが特別車は全ての座席が一つの方向を向いている。すると目敏いジークなんかは、すぐに疑問が生まれるのだ。


「ラエルス様、これは帰りはどうするのですか?」

「簡単さ、この座席の背もたれを持って反対側に倒せばいい」

 そう言ってラエルスは背もたれを持つと、反対側にバタンと倒した。これだけで座席は反対側を向いた。


「成る程!これを全座席でやれば、帰りはちゃんと帰りの方向を向くというわけですね」

 構造は大した事ではない。要するに転換クロスシートというやつである。東日本ではあまり馴染みのないものだが、東海地方から西ではよく見るものだ。実は黎明期の日本の鉄道でも採用されていたりする。


 最初はフットペダルを踏んで回転させる特急列車方式を採用しようと思ったが、構造が複雑なので簡単なこの方式にしたのだ。特急列車や急行列車ではあまり使われないが、どこぞの九州の観光特急では使われてるのでまぁセーフだろう。


 座席も普通車のそれと比べて詰める綿を多くし、座り心地を向上させている。さらに前後の座席の間隔やシート幅も広くとり、居住性を上げている。

 さすがにリクライニングには出来なかったが、日本の鉄道で本格的にリクライニングシートが登場したのは1950年代からだし、今はこれで勘弁してもらおう。


 さてラエルス達と関係者が乗り込むと、いよいよ試運転列車は動き出す。今回は急行列車のダイヤで編成は6両だ。すぐ前には普通列車の試運転も追従し、途中駅での追い抜きもある。

 これは開業してからの高速運転を見据えたもので、交換駅でのタブレットの受け渡しや各駅での信号や転轍機の取り扱い。続行板の流れなどの練習も兼ねている。


「いつものことだけど、やっぱりこう汽笛を鳴らして駅を動き出すのっていいね」

「だろ?この瞬間が堪らんのだ」

「うーん、悔しいけどわかる気がする。悔しいけど」

「何がだよ」

 他愛もない話をしつつ列車が駅を出ると、みるみる速度が速くなってくる。外を眺める狼兄妹も、鉱山線に比べてはるかに速く流れる車窓に目を丸くしていた。


「速いですね!あのイルファーレンまで2時間少しなんて、本当に信じられません!」

「一日がかりで言ってた距離が2時間だからな、ミルングやイルファーレンに夕方までに着けばその日のうちにリフテラートまで来れるってわけだ。このスタイルが定着すれば確かにイルファーレンの宿産業は衰退するかもわからんけど、逆に弁当とかの食事産業は発達するだろうな。もっともその食事産業もミルングに取られるだろうが」

「商工会の人達は怒るでしょうか」

「多分な。だが、それを選んだのは彼らだ。引き金を引いておいて無責任だとは思うけどな」


 確かに日本では鉄道忌避運動はあまり無かった。だが旅籠などからは抗議があったのも事実だ。それは時代の流れと共に、各々で適応してもらうしかない。

 そんな懸念などつゆ知らず、汽車は快調にミルングを目指して走っていった。


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 リクライニングシートを最初に導入したのは1950年に登場したスロ60形特別二等車ですが、実はこれはGHQの指示だったりします。GHQは日本の鉄道にも大きく介入しているので、そのうちそんな話をかけたらなと…(イコール戦争の話なのですが)

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