第29話 魔法電話なるもの

 この世界に電気という概念はまだ無い。全ては魔法によって代替され、長い魔王討伐の旅の道中でもとうとうエレキテルに相当するようなものは発見できなかった。


 だが鉄道とは電気を多用するもの、現代日本の過密な鉄道システムは電気の力が無ければ何も成り立たないと言っても過言ではない。

 蒸気機関車やディーゼルではなく、電車を用いる事。信号機や駅の照明、鉄道電話。スタフ閉塞のような非自動閉塞ではなく、線路に電気を流す軌道回路や機械による制御。


 色々とあるが、まずは鉄道電話の開発を急ぎたいとラエルスは考えていた。駅同士の連絡もできないと、列車の増発以前に緊急の要件や列車にかかわる様々な事の連絡が出来ない。

 ラエルスは電話の仕組みなど詳しくは無いが、要するに音を電気信号に変換して送り届けているもの。といった程度の知識はある。理屈さえ分かっていれば、自ずと道筋は見えてくる。つまり魔力か何かを電気の代わりとして、音の振動を信号として載せて伝える事のできる装置を作ればいいのだ。


「…ってわけなんだけど、何かいい案あるかな」

 グリフィアと狼兄妹にそんな話をすると、3人とも固まってしまった。最初は不思議に思ったラエルスだったが、よくよく考えてみれば遠距離通信など発達していない世界で電話と言う概念などある筈がない。うっかりしてた。


「ラエルスの言ってる事は時々意味不明だったけど、久々にまったく意味の分からないヤツが来たわ…」

 グリフィアなどは頭を抱えている。転生当初、この世界の事がよくわかっていなかった頃に文明レベルもわからずあれこれ言ってた頃によく見たやつだ。久しぶりに見た。


「音は振動…?確かに声を出してる時に震える感じが分からないじゃないですが…」

 ルファはそんなことを言いながら、あーうー声を出しつつ首筋に手を当ててみたりしている。


「えーと、音を?遠くに離れた人に伝える?伝声管じゃダメなんですか?」

「ダメだな、距離がありすぎる。おそらく理屈の上では大丈夫だろうが、伝声管みたいな露出してるものだと安全性がな」


 ジークの提案を否定したが、最初はそれも考えていたのだ。伝声管はどんなに離れていても、一応は声を伝える事が出来る。コストも高くないし、この世界でも船や大きな屋敷では使われているものだ。

 だが駅と駅とを伝声管で結ぶには、あまりに距離が長すぎるのだ。雨が管を叩けば雑音が入るし、野生動物に壊される可能性もある。地下に埋めてもいいが、恐らく結果は同じだろう。そう言ったリスクを考えると、やはり電話を開発した方がいいという結論に至ったのだ。


「とりあえずさっきも言った通り、振動を魔力に載せるには…薄い金属板がまず必要か。それはドワーフに依頼するとして…魔力に何かを載せる事は出来るのかな」

「魔力に?というか、ラエルスはどう考えてるのよ。何か構想ぐらいはあるんでしょ?」

「電話ってのは、要するに振動である音を離れた場所同士で伝えるものなんだ。だから今こうして話している声の振動を魔力に載せて、線か何かを伝わせて遠くに届けたいってわけ」


 そう言いながら図解して説明して初めて、おぼろげながら3人にも理屈が分かったようだ。ついでに簡単な糸電話のようなものを作って試させると、皆が一様に驚いたので面白かったのは秘密だ。


「さて継続的に魔力を供給する必要があるけどこれは魔石でいいとして、問題は魔力をどうやって相手方に届けるかだ」

「魔力を直接じゃなくて、間接的に遠くへ届けるって事よね。魔力自体は矢にも載せられるぐらいだし、何なら紐とかでもできないのかな」

「そうだなぁ、意外と汎用性高いし。やってみるか」


 魔弓使いアーチャーであるグリフィアらしい意見で、確かに魔弓は魔力を帯びた特殊な木から作った弓の事を指すが、放つ矢にも魔法を載せたりする。

 もちろん攻撃魔法であるがゆえに載せる魔法は複雑で、それには熟練した経験と豊富な知識が必要となる。しかしラエルスが送りたいのは、音の波長を記録させた魔力だ。攻撃魔法のそれと比べれば簡単なものであるはずだ。


 早速ラエルスとグリフィアとで適当に見繕った紐の両端を持つ。ラエルスが魔力をグリフィアに送ってみる。

「どう?」

「うん、わかるわかる。風の魔力?」

「正解。じゃこれは?」


 もう一つ別の魔法を送ると、グリフィアは思わず苦笑した。

「これ、最初にラエルスが魔法出来るようになったって言ってやったやつじゃん」

「やっぱり覚えてたかー」

「覚えてるわよそりゃ。できたー!なんて言ってさ…」

「まてまて、それ以上はナシだ!」


 狼兄妹が話を聞きたそうに寄ってきたので慌てて話を打ち切る。初めて覚えた初級火魔法、ファイアーボールを見せようと思って誤って髪の毛に引火してチリチリにした話など、こっぱずかしくて話せたものじゃないだろう?


 *


 何はともあれ、初級程度とは言え魔法の波長を紐を通して相手に伝える事が可能という事は実証できた。あとはこれが伝声に用いる事が出来るからだ。ドワーフ達に依頼して薄い金属板を何枚か見繕ってもらい、早速実験だ。

 金属板に魔石を括り、魔力を板に巡らせる。先程の糸電話の要領でコップを用意し金属板に固定し、そこから糸をもう一つ作った同じコップに繋げる。


「じゃ、これを耳に当ててみて」

「さっきの糸電話みたいにすればいいのね」

 グリフィアは耳を覆うようにコップを当て、ラエルスは自分のコップに口を当ててこんにちはとかおはようとか言ってみる。


「聞こえる?」

「うーん…何となく聞こえるけど、さっきの糸電話に比べるとなぁ。かなり耳を澄まさないとって感じ」

「じゃこれなら?」

 今度は大きな声で言ってみると、先程よりかは聞こえやすいという。つまり金属板や魔力を通す中で、音の振動が徐々に弱くなっていっているわけだ。増幅器を付けるか、あるいは紐よりも魔力伝導のいいものを探すかだ。


 電気回路において、ラエルスにとっては大概用いられるのは銅線というイメージで、魔力でも同じだろうかという事で真っ先に銅線を使うのを思いついた。

 魔法社会であるこの世界だが、銅線は案外すぐに手に入った。要するに加工が容易で頑丈なひも状のものとして用いられており、リフテラートの街でもまとまった量が手に入ったのだ。


 早速普通の紐から銅線に変えて、もう一度グリフィアと通話を試みる。

「どう?」

「うん!さっきよりかなりよく聞こえる!ね、今度は私も喋ってみていい?」

 今度はグリフィアがやってみたいそうなので、逆にラエルスはコップを耳に付ける。すぐにコップから、糸電話よりもはるかに明瞭な声が聞こえてきた。


「いいな。あとは長距離でこれが出来るかだが、とりあえずこの家と馬車の車庫との間とかでやってみるか」

「車庫との間って結構距離あるよね。そんな離れた場所との間で会話なんて出来るのかな」

 グリフィアの呟きは真理だ。この世界に長距離通信という概念は無いし、この魔法電話とでも呼ぶべき代物が完成すれば、間違いなく通信革命をもたらすだろう。もっともこれを軍事転用する気など毛頭無いし、技術を教えるつもりも無いが。


 何はともあれ家から銅線を伸ばし、まずは少し高い丘の上に立つ家から坂を下りたところから実験だ。

「もしもしー、どうだ。聞こえるか?」

「聞こえるよー、ちゃんと聞こえる」

「じゃ今度は海沿いまで行くから、少し待っててな」


 次に銅線を伸ばしながら、今度は海沿いにまで出る。次も良好だ。その後も少しづつ距離を伸ばし、とうとう乗合馬車の車庫まで辿り着いた。

「もしもーし、聞こえるか?」

「聞こえるよー。すごいね、あんなに離れた馬車の車庫とこことで話せるなんてなぁ。ラエルスのいた世界に一度行ってみたいよ、きっと見た事も聞いた事も無いような色んなものがあるんだろうなって」

「まぁな。確かにこの世界より便利なものは色々あるし、こういう電話だけじゃなくて暮らしを色々と助けてくれるものがいっぱいあるさ。でもな…」


 そう言ってラエルスは一旦言葉を切った。

「俺は、こっちの世界の方が好きかもしれんな。元居た世界はごみごみしてるし、忙しないからな。魔王討伐の時は色々と大変だったけど、終わってみれば平和なもんだ。こうして気ままに暮らしていられるし、それにグリフィアもいるしな。この世界にいる方が幸せってもんだ」

 しばらくの沈黙の後、グリフィアから返事が返ってくる。

「…バカ、私だって幸せよ。でもなんか、こうして離れてるのに直接話してるみたいに会話して言われるのって、なんかいつもと違ってドキドキするね…」


 そんな言葉に頬を緩ませていると、同行したジークに肩を叩かれる。

「ラエルス様、ここでまでイチャつかないでください」

 言われて車庫にいた整備士の方を見てみれば、慌てて顔を逸らして仕事に戻る姿が見えた。

「…おう。なんかすまんな」

「ラエルス様の人脈で、妹に合ういい人とかいないんですか?」

「知り合いだけは多いけどな、そういうのは本人の意思に任せろよな」


 無駄口をたたきつつ、銅線を巻き上げて帰途に就く。近距離での実験は成功したが、日を改めて今度は鉱山線の駅同士での実験だ。これが上手くいかなければ鉄道電話としては使えない。


 色々と案を巡らせていると、ジークが唐突に聞いた。

「そう言えばラエルス様、あの電話の最初に言っていたのは何ですか?」

「最初?あぁ、もしもしってやつか」

「そうです。気になったので」


 言われてみれば電話というものが無いのだから、そんな言葉を使ったことが無いのは当たり前だ。日本では普通なのでつい使っていたが、こちらでは聞き慣れなくて当然だろう。

「まぁ…挨拶みたいなもんだ。会話を始める前のな」

「へぇ、そうなんですか。初めて知りました」


 ジークの疑問はそれだけのようで他愛もなく話は終わった。しかしその後もラエルスは鉱山線の各駅で実験する際にも言い続けて、結局駅員が皆電話を始めるときに「もしもし」と言い出すようになったのだが、それはまた別のお話だ。

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