第28話 この世界ではそれが現実
第一期線の工事の終点、イルファーレンの街で、それは突然始まった。
『得体の知れない"鉄道"とかいう乗り物を街に入れるな』
『煙を吐くなど環境が悪くなり、治安も悪化する』
『馬で足りている所に、何故このようなものを受け入れなければならないのか』
こんなシュプレヒコールが、駅建設予定地のあたりで聞こえるようになってきたのだ。
日本では鉄道忌避伝説と言うものがあった。煙で公害が発生するとか外から人が流入してきて治安が悪くなるとか、あるいはそれまでの水運や駕籠、旅籠の人たちが困窮するとかそんな理由で鉄道反対を訴えていたという都市伝説じみた話である。
だが実際にそのような話があったのは最初に新橋と横浜の間に線路を敷いた際にあった、土地買収を拒否されてやむを得ず海に土を盛ってその上に線路を通したという話だけである。
実際にはどこの街でも鉄道を作ってくれと陳情まで願い出るほどだったのだ。
だがこの世界ではそういうわけにはいかないらしい。そもそも1872年当時の日本よりも産業レベルは低く、ゆえに機械的なものに対しての拒否反応と言ったところだろうか。
とは言え放置するわけにも、無理やり建設するわけにもいかない。イルファーレンは既にラエルスの領地を離れており、そこの領主には鉄道建設の了解を得ているものの近隣住民がこれでは話が進まない。
「直接話を聞きに行くしか無いな」
「準備は出来ています」
ジークはそうなるだろうと予想していたのか、既にラエルスとグリフィアの分の旅装をしっかりと整えていた。よく出来た使用人だ、いい意味で給料に見合ってないんじゃないか?
*
3日後、早速イルファーレンへと旅立つ。鉄道ができれば4時間以内で結ばれる予定だが、馬車で行けば丸一日かかる距離だ。
日が短くなってきた秋という事もあって、リフテラートを朝に出ても、イルファーレンに着いた頃にはもう辺りは暗くなり始めている。真冬の日が短い頃では、馬車ではリフテラートまで1日で行けないほどだ。
だが街に入れば夜でもまだ活気はある。ラエルス達の馬車は、繁華街のある食堂を目指して進んだ。
馬車を置いて"貸切"の札が下がった食堂に入ると、中にいた十数名の人々の目線が一斉に向かれた。
「お待たせしました。リフテラート鉄道の責任者、ラエルスと申します」
「待ってたぞ。私はイルファーレン商工会のサガンってんだ、まぁ座ってくれや」
サガンという男は立ち上がってそう言うや、グリフィアと狼兄妹の分も椅子を引く。
恐縮して席に着くと、早速本題を切り出してきた。
「さて、ラエルス殿。はっきりと言わせていただくが、我が町にその鉄道とやらは不要であると申し上げたい」
「先刻承知だ。まずはその理由をお聞かせ願いたい」
「いくつかあるが…」
サガンは身分は名乗らなかったが責任者のようで、皆を代表して弁を唱える事に異論は出ないようだ。
イルファーレン商工会として提示された鉄道を拒否する理由としては、
街道筋の商人の休息地として栄えた町であるため、鉄道が出来て素通りしてしまっては街の経済に大打撃であること。
街に鉄道が通ると聞いて視察したが、あんなに煙をもうもうと吐くモノは街の景観によろしく無いこと。
外部から必要以上に人が流入し、街の治安が悪化する恐れがあること。
現時点で交通手段は馬車や馬で困っておらず、殊更新しい交通を必要としていないこと。
これらが挙げられた。
「なるほど、話は分かりました。ではまず経済面ですが、往来は馬車よりも増える為に必ずと言っていいほど街は活気付きます。イルファーレンに設ける駅は大きなものになる予定なので、そこで働く人達も街に住みます。駅で飲食店をやるのも構いませんし、それらの副次的効果も大きいでしょう」
ラエルスはそれからサガンの言った反対意見に一つ一つ反論した、煙害はほぼ発生せず、そもそも気になる程住宅地の近くに駅は建設しない事。外部からの流入のせいで治安が悪化するなら、観光客が戻ってきているリフテラートは治安が悪化しているはずなのにそうではない事。馬車には限界があり、マグラスやオルカルまでより短時間で結ばれる事は巨大な経済効果を生み出す事。
最後にイルファーレンに建設予定の駅の計画も話したが、商工会の皆は殊勝に頷いてみせても、最後まで説明し終えたところで顔色一つ変えなかった。
「話は分かりました。では我々でもう一度話しますので、明日再び話し合いの場を持ちましょう」
「分かりました。建設的な話し合いができる事を願っております」
「こちらこそ」
ラエルスはサガンと握手して食堂を後にする。最後の言葉に火花が飛んでいた事は、場にいた誰しもが分かっただろう。
「ダメそうじゃない?」
店を出て早々、グリフィアが言った。
「ダメだろうな。初めに結論ありき、話し合いの場を持ったのは意志を鉄道の責任者である自分に明確に示す為。何を言おうと鉄道には反対ってとこなんだろうな」
「じゃどうするの?イルファーレンに駅が作れないんじゃ困っちゃうじゃない」
「いや、駅は作るさ。ただ、街からは遠い場所になりそうだな。余計な工事だけど、街道か街に繋がる道も整備しなくちゃならなそうだ」
はぁと溜息を吐きつつ、ラエルスの心中ではイルファーレン駅は街から離して作る事がほぼ決まっていた。
*
「昨夜の話し合いの後、我々のみでもう一度検討しましたが、やはりイルファーレンに鉄道は不要との結論に至りました」
翌日の朝、再び食堂に集ったラエルス達にサガンからの第一声がこれである。
だがラエルスとてこの回答は予想できた事だ。なので早速代替案を示す。
「分かりました、線路や駅は当初の計画より離れた場所…街から歩いて1時間ほど歩いた場所辺りに計画し直しましょう」
「1時間…4キロほどですか、煙が流れてこないのであれば、まぁいいでしょう」
サガンをはじめ商工会のメンバーも頷いたので、とりあえず第一関門はクリアだ。
「しかし駅ですが、これはやはり当面の終点になるので、そこそこ大きい駅にさせていただきたいのです」
ラエルスが第二関門をサガンに伝えると、途端に顔が曇る。
「すると、昨日の計画図のようにですか?」
「そうです。簡易な検修庫や留置線、駅舎の他に職員宿舎の建設などです」
「それは許可出来ませんな」
やはり、と言った答えが返ってきてラエルスは内心で溜息を吐く。予期してはいたし薄々そうなるだろうと思ってダイヤも組み直していたが、やはり理由ぐらいは聞かないと気が済まない。
「それは何故でしょうか。街からはかなり離れた場所です、特に影響があるとは思えませんが」
「いいえ、それでも許可できませんな。イルファーレンは大昔からある街道筋の街、簡易な駅を作るぐらいならまだ許可できましょうが、外部の人があまり大挙して押し寄せるのは許容できません。更に言えば、この先鉄道が延伸するなら駅を無くして欲しいぐらいです」
「あくまでイルファーレンに駅は不要、あくまでそういう事ですね?」
「その通りです」
反対する商工会からその言葉を聞ければ、ラエルスの方向性も完全に定まる。これ以上の話し合いも必要ない。
「わかりました。ではイルファーレンに設ける駅は必要最低限とし、駅の構造も撤去しやすいように極めて簡素なものにいたしましょう」
ラエルスの言葉にサガンたちはようやく首を縦に振った。交渉成立というわけだ。
再び握手して食堂を出て、馬車に乗るとすぐにグリフィアや狼兄妹が心配そうな顔をして聞いてくる。
「これでいいのですか?街の近くに作らなければ、意味が無いのではないかと…」
「ま、確かにそうだけどな。街が要らないって言うならそれを尊重するまでさ」
ジークの言葉になんてことは無いといった風に答えたが、グリフィアはピンと来るものがあったようだ。
「何か考えがあるみたいね」
「流石にわかってるな」
ラエルスは苦笑した。長年のパートナーに隠し立ては出来ないなと。
「考えと言うか、時間が解決してくれるだろうな。頭の固い商工会ばかりがイルファーレンの民意ではないし、街を訪れる商人が従来の馬車と鉄道のどっちを使うかって話さ。街道筋の街と言うぐらいなら、真に重視すべきは街道を使う旅人たちの意見。そのうちわかるだろうがな」
日本で鉄道が作られた際、ルートの兼ね合いから街の中心部から離れた場所に駅を設けられた場所は多い。そうした場合は駅の近くに新たな町が出来るか、街の有志が駅から中心部まで新たな交通手段を用意することが多かった。
今でこそギネス記録となるほど乗降客数の多い新宿駅でさえ、開業当初は近隣の
今でこそほとんど廃止されたが、中心部から離れた場所に駅が出来た際に、その駅から中心部まで短い鉄道が出来た例も日本全国で数多い。秋田中央交通線、山形交通尾花沢線、流鉄流山線、上田交通真田傍陽線など全国で興ったミニ私鉄は数多い。
現時点ではイルファーレンが終点の鉄道だが、将来的に延伸した際に街道を使っていた人のほとんどが鉄道に流れるとラエルスは考えていた。確かに街道筋にある飲食店や宿は大打撃だろうが、それを少しでも回避するべく街の近くに駅を作りアクセスを良くすることで影響を少なくしようと考えていたのだ。
だが現実には街の代表が、鉄道は不要と言う。ならばラエルスとしてもその意を汲んで建設する他無い。そのうちにイルファーレンの有志が集まって乗合馬車なり鉄道なり作るだろう。
「ま、ラエルスが言うなら大丈夫なんだろうけどさ。でもなんか、魔獣の群れが出たのに絶対大丈夫とか言って避難しなかったどこぞの村みたいだね」
「あー、あったなそんな事。まだ駆け出しの頃だったし、最初は誰も言う事聞かなかったもんな」
「何かあったのですか?」
二人で思い出話に浸っていると、すかさずルファから質問が飛んだ。ルファは勇者と呼ばれるラエルスやその仲間たちの英雄譚をよく聞きたがる。
「いや、まだ冒険者になりたての頃にな…」
そう言ってラエルスとグリフィアの口から語られる冒険話を、狼兄妹はワクワクしながら聞いている。先程のわからずやの商工会への感情もどこへやら、これがラエルス達のいつもの風景だ。
イルファーレンまでの鉄道は順調に建設が進んでいるし、次に街に来るときは鉄道になるだろう。今後も現地住民からの反対は予想される話であるし、イルファーレンの鉄道がどういう風に受け入れられるかが今後の流れになりそうだ。と、揺れる馬車の中でラエルスは漠然と考えていた。
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