第25話 くろがねの馬
鉄道は順調な滑り出しを見せ、開業から1ヶ月ほどすると予想通りオルカルや国内の諸都市からの見物客も増えてきた。
鉄道は庶民からは鉄馬とか蒸気馬とか呼ばれているようで、そう高くない運賃も相まってか鉱山駅までとりあえず1往復というふうに乗る人も数多い。
日本での鉄道開業時は、庶民からは
なので当時の日本人にとって蒸気自体に馴染みはあり、そのまま陸の蒸気だからというわけだろう。
運賃はと言えば、これがかなり高額だったのだそうだ。客車は上等、中等、下等にクラスが分かれ、新橋から横浜まで乗り通して上から1円50銭、1円、50銭となる。現在の価値に直して、15000円、10000円、5000円だ。
案の定すぐに値下げしたらしいが、開業当初の鉄道はまさに高嶺の花だった。それに対して鉱山線は乗り通しても
乗合馬車は馬車の発展系という形なので、馴染みに薄い平民にはウケが良かったが、貴族や商人など日常的に使う人たちからは微妙な反応だった。なのでリフテラートの街も活気づいたとは言え、落とす金額で言えばそこまで劇的に増えたというほどでもなかった。
しかし鉄道はその在り方からして世界初、身分を問わずリフテラートを訪れる人は増え、金持ちは高級宿に泊まりいい食事を、そうでない人はそれなりの宿に泊まりそれなりの食事をという事で満遍なくどの店や宿にも人が入るようになってきていた。
ラメール乗合馬車にも観光客の姿が一層増え、運賃収入は上々だ。馬車も3台ほど増備して、混雑する時間帯は2台での続行運転も行うようになった。
乗合馬車と鉄道によって、街の老人からでさえ「魔王との戦いの前の活気を超えた」と言わしめる程、リフテラートはかつてない活気に満ちていた。
と、言うのはこの世界基準の話である。
リフテラートを日本のどこかに例えるのは難しいが、強いて言うならば沖縄のようなリゾート地とでも言えばいいだろうか。鉄オタと言いつつバスもかじっていたラエルスは、1978年に沖縄の道路が右側通行から左側通行に戻った時に一斉に導入されたバスである、通称
そこで見た那覇の国際通りや
当然人口も違えば飛行機も鉄道も発達していないこの世界でその賑わいを出すのは不可能だが、やはりあの賑わいを知っているラエルスにとっては仮にも自分の統治するこの街をもっと賑わせたいと思うわけだ。
「もう開業から1ヶ月経ったか、早いもんだ」
「そうね。結構街でも話題になっているし、何より街を歩いてる人が増えたもの」
「やっぱりそうだよな。わざわざ遠方から来たってお客さんが増えたってのはミノさんも言ってたし、ルーゲラさんの所も人増えて大変なんじゃないか?」
「言ってた言ってた。暇なのも困るけど忙しすぎるのも困りものだから、ラエルスにでも手伝ってほしいとか言ってたよ」
グリフィアの語るルーゲラの軽口が瞬時に脳内で本人の声で再生されて、ラエルスは思わず苦笑した。
「建設作業員の家族でも雇い入れればいいのに」
「そうしてるみたいよ。治安が悪くなったって人もいない訳じゃないけど、やっぱりおおむねは好印象ね」
鉄道が開通して治安が悪化するというのは、割と最初の頃には言われていた事だ。実際に悪くなったのかもしれないが、いずれにしてもそんな声は鉄道がもたらす経済効果の前に流れて行ってしまったのだが。
最近はラエルスは建設の方にかかりきりで、街の声はもっぱら買い出しに行くグリフィアとルファに聞いてきてもらっている。そこで気になっていた事を聞いてみた。
「そう言えば煙について何か聞いた?」
機関車から出る煙は常に乗客や乗務員を悩ませてきた。石炭を燃やせば当然煙が出るので、その煙は後方へ、つまり客車の方へと流れていく。外を走る分にはそれでいいが、トンネルの中では客車の窓を閉めなければ見る間に煙が車内に流れ込む。東京から九州まで乗り通すとシャツが1枚ダメになるというのはこれだからだ。
煙に苦労していたのは乗務員も同じで、トンネルの中では最悪だ。日本では北陸トンネルなどの長いトンネルの中で、乗務員が煙に巻かれて窒息したという事故もある。
こんな事から次第に全国で無煙化運動が進みディーゼル機関車や気動車に置き換わっていったのだが、まずこの世界ではディーゼル機関が無い。と言うかあったら最初からそちらを使っている。
ちなみに世界初の地下鉄はイギリスで出来たが、なんと蒸気機関車での運行だったそうだ。
もちろん全部トンネルではなく一部で天井に穴を開けて煙を逃していたようだが、何故蒸気機関車で地下鉄を作ろうと思ったのか。
「煙ねぇ…あんまり聞かなかったかな。あ、でも線路の近くに住んでる人の話で、洗濯物が煤ける事があるって話は聞いたわね」
そのぐらいは仕方ない。だが現在に至るまで蒸気機関車の煙を規制する法が無いように、沿線にはあまり煙害が無いという事だ。
「そこは仕方ないな。他には?」
「あとは黒い煙をもうもうと吐いて勇ましいとか、早くオルカルまで繋がるといいねとか。そんな感じね」
「そんなもんか。もう少し拒否反応と言うか、少しは反対意見も出るかと思ってたけど」
「無くはないわね、やっぱり新しいモノが出てくると拒否反応を示す人もいるって言うか。あ、そうだ。貸し馬車屋があったでしょ、ミゲルとかいう人の」
グリフィアに言われて、久しく思い出す事のなかったガンコ親父の顔を思い浮かべた。ミゲルと言えば、乗合馬車の開業前に一回揉めた人だ。
「あったなぁ。久しぶりに思い出したよその名前」
「引っ越したみたいよ?」
「へぇ、そりゃまたどうして」
知らずのうちに口角が上がっていたが、グリフィアも同じだ。
「あんな煙ばっかり吐くもんが出来ちゃ商売上がったりだ。みたいな事言ってたみたいよ」
「あー、確かに最初はいるだろうなぁ。んで後から後悔するんだ。馬車屋のあった場所はどうなってるんだ?」
「カルマンさんが押さえてるみたいよ。将来性があるとかなんとか」
成る程、その先見の明はさすが観光協会の会長と言ったところか。貸し馬車屋と言うだけあって敷地は広く、駅前一等地ともなればどうにでも化けるだろう。
「いいな。カルマンさんに相談してその敷地を使わせてもらうか」
「何か建てるの?」
「ほら、乗合馬車の案内所を作っただろ?あれを移設しようと思ってさ」
乗合馬車の定期券や回数券、その他の案内業務を担う案内所は正門前の停留所のすぐ脇に建てていたが、それは掘っ立て小屋のようなもので何かと手狭だという意見が上がっていた。
乗合馬車は鉄道開業と同時に少し路線を伸ばしてリフテラート駅前からの発着となっていることもあり、将来的に正門前に案内所があるのでは不便が出てくることも予想されていた。
ラエルスとしてはリフテラート駅の窓口に機能を集約させるのもアリかとは思っていたが、ミゲルの貸し馬車屋の場所はそもそも正門にかなり近くリフテラート駅から歩いてもすぐの場所だ。ならば敷地を押さえているカルマンさんに頼んで、その一角に案内所を新設した方がいい。
鉄道と馬車と両方を一つの窓口でと言うのは色々と混ざってしまう恐れもあるし、片や都市間輸送。片や都市内輸送と、その性質も異なれば案内する内容も異なる。それを一つの窓口でと言うのは酷な話だ。
「確かに、そう言われてみると鉄道と馬車とじゃ分けた方が良さそうね」
「敷地は広いからな。乗合馬車の案内所と観光案内所、それに土産物屋に軽食喫茶ぐらいなら作れるんじゃないか?全部リフテラートの街中の店に協力を頼んでさ」
「いいね…!街に来たお客さんもワクワク気分で観光に繰り出せそう!」
ラエルスのイメージではあるが、観光地の駅前と言うのは得てしてこういった施設がある。観光案内所にその土地の土産物売り場、そしてその土地の名産や名物が食べられるレストランか喫茶店のようなもの。
時折趣味とは関係なしに観光地を訪れると、こうしたお店についフラッと入ってしまい何か買うなり食べるなり、少しばかりお金を落としていくことが多かった。
元よりリフテラートはリゾート地、貧乏旅行で訪れる人はかなり少ない土地柄だ。だからと言っていわゆる観光地価格を設定する気も無いが、街の入り口にこうした建物があれば入るお客さんも多かろう。
*
そんな話を後日カルマンに会って話すと、やはり同じような事を考えていたようだ。
「ラエルスさんも同意見だとなると心強い、馬車の案内所のスペースぐらい確保できましょう。ついては一つお願いがあるのですが…」
「何でしょうか」
「建物の裏手、ここを大きく使って馬車と馬の置き場を作りたいのですが」
カルマン曰く、鉄道が出来るまでは馬車で来る人も多いはずで、それまでは街の入り口にどうしてもそのような馬と馬車を置いておく場所が必要なのだという。
ミゲルの貸し馬車屋があった街の入り口付近は、長屋のような建物が立ち並ぶ中心部と比べて裏手が空き地になっているところが多い。そこを使って置き場を作ろうというわけだ。
「いいでしょう。しかし鉄道が開通したら不要なものですが」
「そうしたら宿屋でも建てれば良いのです。流入してくる観光客が増えれば宿泊施設も必要になりますからな、あって困る事は無いでしょう」
成る程とラエルスは得心した。観光地の駅前には、たとえその観光地と離れていてもホテルがある場所が多い。リフテラートの街並みは、大きく宣伝すれば国外からの観光客も沢山来てもおかしくない程の景勝地だ。今後の事を見据えて敷地を確保しておくことは悪い事ではない。
その後もいくつか話して簡単な覚書を交わしてカルマンと別れた。
街の印象として鉄道に期待している所は大きく、すでに一部では鉄道がオルカルまで繋がった後の計画を立てているところもあるようだ。
オルカルまで約600キロ、容易に完成する距離ではないがそうして期待されているのは有り難いことだし、なおさら建設のスピードも早めなければならない。だからと言ってどこぞの
オルカルに向かう路線はずばりリフテラート本線と名付け、現在は50キロほど線路が敷設されている。
線路は日毎に伸び、第一期線として100キロほど進んだイルファーレンという港町を目指す予定だ。
馬車でオルカルから来る際に、5日で来れる場合はイルファーレンは最後の宿泊地となる場所だ。
つまり馬車で1日かがりの道のりをまず鉄道で作ろうというわけで、この間なら3時間半ぐらいだろうか。
これだけでもリフテラートを訪れる人は驚くだろう。これまではイルファーレンで朝を迎えれば、リフテラートに着くのは夕方だ。夕食だけ済ませて観光は明日からになるのが普通だった。
それが朝の列車に乗ればリフテラートで昼食を済ませ、そのまま午後は観光に充てられるのだ。これだけでも画期的なはずだ。
建設作業員も要領を得たようで、当初に比べれば建設スピードは格段に速くなっている。あと2ヶ月もすればイルファーレンまで繋がる事だろう。
ラエルスとてダイヤ作りもあれば、閉塞方法もスタフ閉塞では限界があるので次のステップに進まなければならない。それらの方法も見当はついているが、実証して安全性の確保をしなければならずまだまだやる事は沢山だ。
遠くで汽笛の音が聞こえた。ちょうど16時半発の13列車がリフテラート駅を出たのだろう。今日もご安全に、と心の中で呟き、グリフィアと狼兄妹の待つ家へと急いだ。
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連合軍の捕虜や現地人の募集、強制連行などにより突貫工事で建設され、大量の死者を出した事から死の鉄道と呼ばれる事もあります。
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