第22話 出発進行、とは?

 それから5ヶ月ほど経った6月の初め、ついに鉱山への路線が完成し、その試運転を行う事になった。


 全長約12キロ、途中の駅は始点のリフテラート駅と終点の炭坑駅を含めて6駅だ。

 全線単線非電化、途中に3箇所の交換所がそれぞれ駅となる他に、炭鉱の近くに労働者の住む炭鉱街が建設されそこにも交換所の持たない駅が設置される。


 旅客列車が1日8本、普通車のみの編成で運賃は乗り通して片道銅貨50枚500円。貨物列車は1日3本となり、こちらは石炭の他に沿線に点在する集落の農産物も運ぶ。

 ちなみに新橋〜横浜間で本開業した際の本数は、8時から18時まで1時間間隔で12時発と13時発の無い1日9本だったそうだ。


 全線で所要時間は約30分、移動距離を停車時間を含めた所要時間で割ったものを表定速度と言うが、この計算では表定速度は約24キロだ。

 都市部の地下鉄の表定速度は約30キロだと言うので、これはまずまずの速さである。馬車なら1時間半は見ておかなければならない距離なので、速達性は十分だ。


「線路は1本なのですよね、途中でぶつかったりはしないのですか?」

 関係者で建設以来の賑わいを見せるリフテラート駅で、ジークがそんな事を聞いた。

「ほう、良いところに目を付けるな。それじゃ大分専門的な話になるけど、なんで1本の線路で列車が正面衝突しないのか説明しようか」


 鉄道には事故を避ける為の最も基本的な概念として、"閉塞"というものが存在する。線路を複数の区間に分けて、その区間に入れる列車を1本に制限する。そして列車のいる区間に他の列車を入れない事で、事故を起こさず安全を確保しようという概念だ。


 閉塞の種類にも様々あるが、大別して自動閉塞式と非自動閉塞式がある。前者は人の手を介さないもの、後者は人の手が介在するものだ。

 自動閉塞の方が安全性は高いが当然この世界には無い技術が必要になるので、導入するのは非自動閉塞となる。


 世界で鉄道が初めて出来た頃に取られた方法は、沿線に時計を持った係員が立ち、前の列車が通過してからの時間を測ってその時間で安全を確保しようというものだ。


 隔時法とも呼ばれるこの方式だが係員にとっては前の列車が先の係員のいる場所を通過したかどうかの確認が取れず、案の定事故が多発したのだという。

 近代でも通信が不可能になった際に一定の速度以下で運転を再開する時に用いられたが、山陽本線でこのやり方が原因での衝突事故が発生して以来使われていない。


 ではこの鉱山線ではどうするかというと、スタフ閉塞というものを採用する予定だ。

 単線の区間においては、通票と呼ばれる通行許可証のようなものを持っていなければ閉塞区間内に入る事が出来ない。


 この場合は列車の交換ができる駅と駅の間を一つの閉塞として、その間で一つのみの通票スタフを運用し、スタフを持っていない列車は閉塞区間内に侵入出来ないとして安全を確保する方法だ。


 スタフ閉塞はこのスタフと呼ばれる通票さえあれば運行できるので、かなり簡便な閉塞である。閉塞の始発側の駅がこのスタフを持ち、通る列車は必ず停車してこのスタフをやり取りする。この路線の場合はリフテラート駅と炭鉱駅、そして真ん中の交換駅がスタフを管理する事になる。


 欠点としては増発が難しい事だ。スタフを持った列車が発車し、交換駅で反対から来る列車がそのスタフを持って帰って来なければ次の列車を発車させる事はできない。その為に必ず上りと下りを交互に走るダイヤにしなければならないという制約も生まれる。


 だが設備が簡易的で済む為に、日本でも由利高原鉄道、銚子電鉄、長良川鉄道にくま川鉄道などローカル線の末端区間で使用している路線は今でも多い。


 それにどのみちすぐに増発となるわけでもなく、またこれより本数を増やせる閉塞方式では電話がどうしても必要になってくる。

 この世界には伝声管ぐらいはあるが、まだ電話などの長距離通信は無い。誰か異世界のグラハム・ベルはいないものか、あるいは自分がなるか?

 …なれるのか?


 それはさておき、こうして一つの区間に一つの通票を用意する事で正面衝突を避ける事が出来る。もし途中で緊急事態があって停車したとしても、人為的なミスが無い限りは反対の列車は通票が届かず動けないので安全というわけだ。


「へぇ…よく考えられているんですね」

 ジークは若干ハテナマークを浮かべつつそう相槌を打つ。かなり専門的な話になるので分からないのも無理はない。オタクは1の質問に10ぐらい返しがち。


 試運転にはもちろんラエルス達も同乗する。グリフィアと狼兄妹はなんだかんだで初めて列車に乗るので、もう乗る前から大興奮だ。


「この臭いは石炭のものですか?確かにちょっと強烈ですけど、でもこのぐらいなら大丈夫そうです」

「燃えた時の煤で汚れたりしませんか?」

 ジークとルファはそんな事を言いながら、物珍しそうに蒸気機関車を見ている。


「そうだな。今はまだ無いけどそのうちトンネルとか出来たら、客車の窓を開けてるとあっという間に服が煤まみれになるぞ」

「それはちょっと嫌ですね、でもその分早く着くと思えばって所でしょうか」

「まぁな。そこは我慢してもらうしかない」


 日本で蒸気機関車が主流だった頃、東京から九州まで汽車を乗り通すとしっかり窓を閉めていてもシャツが1枚ダメになったそうだ。


「わ、すごいねこれ。車内ってこんな感じなんだ」

 対してグリフィアは客車の方に興味津々らしい。

「これよりかは揺れない車両だけど、この中で食事ってなるからな。その辺は任せたぞ」

「任された。まずは乗ってみてどのくらい揺れるかよね」


 とりあえず試運転なので、今回は全区間を一つの閉塞として1枚のスタフで運行する。ちなみにこうして複数の閉塞をまとめる事を併合閉塞と言い、この路線は距離の割に本数が少ないので多用される事になる。


「試9001列車、通票です」

 駅の輸送主任がスタフを持って機関士に渡す。これまで訓練に訓練を重ねている駅員や乗務員にとっては、既に慣れたものだ。


「了解、通票マル!」

「通票、マル!」

 こうした運行に関わる重要なものは、必ず機関士と機関助士が2人で確認する。ダブルチェックというわけだ。

 マルと呼称しているのは、スタフに空いている穴の形である。閉塞区間ごとにこの形は変わり、三角だったり四角だったりする。運転士が携行する運行時間表には区間ごとにどの形のスタフで運用されるかが書いてあり、スタフを受け取るたびにその形を確認しながら進むのだ。


 通票を渡した輸送主任が駅務室に合図を送ると、駅務室では今度は運転助役が信号係にそれぞれ指示を送る。

「試9001列車、1番から発車ー。10番定位」

「10番定位よし」

「11番反位」

「11番反位よし」

「12番反位」

「12番反位よし」

「51番反位」

「51番反位よし」

「11番定位」

「11番定位よし」


 信号助役の指示のもとで信号係が重く大きな、信号テコと呼ばれる機械を操作する。これは直接線路の分岐する分岐器ポイントや信号に繋がっており、定位とは分岐器ではよく使う方向、信号では赤信号を指し、逆に反位とはポイントでは使わない方向、信号では青信号を指す。


 ポイントには鎖状装置と呼ばれる、危険な信号操作を出来ないようにするためのロック装置がある。

 この場合は10番分岐器は動かす必要が無くそのままだ。11番は鎖状装置になるので一旦解除して、12番分岐器と51番信号をそれぞれ動かした上で、再びロックしているというわけだ。


 進路が開通し、腕木式信号と呼ばれる板形の信号機がガタンと音を立てて進行表示を示す。それを確認したホーム上の輸送主任は、緑の旗を上げて車掌に出発合図を送る。あくまで駅の当務駅長や輸送主任の許可無しでは、いくら青信号だったとしても列車は発車できない。

 ピーッと最後部に乗る車掌が、実際の運行さながらに発車合図の笛を吹いた。機関車から身を乗り出して旗と笛を確認した機関士と機関助士は再び前を向き、出発信号機が進行を示す青信号である事を指差喚呼する。


「1番出発進行ー!」

「1番出発進行ー!」

 2人の気合いの入った声が響き汽笛が鳴ると、試運転列車はゆっくりとリフテラート駅を出発した。


「ラエルスのよく言ってた"出発進行"って、もしかしてこの事?」

「そうそう。列車に対して、駅を出発しても良いかどうかを指示する出発信号機って信号が進行表示だから、出発進行ってわけ」

「じゃ出発進行だけじゃないってこと?」

「その通り。例えば駅に入っても良いかどうかを決める信号は場内信号機だから、これが進行表示なら"場内進行"って言うしね。ま、その辺は追々説明するよ」


 そんな事を言いながら列車は少しずつ加速し、リフテラート駅を後にした。

 試運転と言っても全然通しての試運転が初めてだと言うだけで、部分的な試運転は既に行なっている。なので速度も営業運転の時と同じぐらいだ。


「速いですね!」

「すごいです、街がもうあんなに遠くに…」

 狼兄妹は窓から少し顔を出して、視線を右にやったり左にやったりと忙しない。

「馬を早駆けさせるよりまだ遅いけどな。でもこの速さで大量輸送をしようと思ったら、やっぱり鉄道じゃなきゃね」


 列車は快調に進み、あっという間に最初の駅に到着する。この駅はスタフの管理は行わないが、本来ならここで対向列車との行き違いを行いこの先の閉塞区間のスタフを受け取る。

 スタフは運行の安全の上で欠かせない物なので、列車との受け渡しや確認の際には必ず駅の助役クラスが立ち会う事と決めている。


 やがてリフテラートから30分走り、終点の鉱山駅に到着した。物珍しさからか、非番なのであろう鉱山労働者がちらほらと試運転の様子を見に来ている者もいる。

 機関車はここで"機回し"と呼ばれる、機関車を反対側の先頭に付け替える作業を行う。蒸気機関車には前後の向きがあるので本来は転車台ターンテーブルで向きを変えた方がいいのだが、全長12キロではそこまでする必要もない。機関車は後ろ向きでリフテラートに戻る事となる。


 鉱山駅はホームが1つあり、その両側が乗り場となる1面2線だ。他に留置用の数本の側線があり、一番端には鉱山から運んできた石炭を積むホッパーと呼ばれる貯炭槽兼積み出し設備があり、その下には線路が伸びていてここで貨車に石炭を積み込むというわけだ。


 と言ってもまだまだ構内は閑散としており、数人の鉱山労働者と駅員に見送られて、試運転列車はガタゴトと折り返していった。


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平均速度→距離を、停車時間を含めない純粋に動いている時間で割ったもの

表定速度→距離を、停車時間を含めた所要時間で割ったものです、参考までに。


本格的な鉄道回になってきました、ここからは専門的な話の回が増えると思います。


→追記:読者様より指摘をいただき、一部の文を訂正しております。非自動閉塞では駅の発車許可が無いと発車できないことを失念していました。

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