第17話 狼兄妹の過去
この世界には奴隷が存在する。アムダス王国では公式には存在しない事になっているが、こういった闇の稼業とも呼べるものは政界との癒着が普通であり、王国政府も見て見ぬふりをしている。
奴隷となるのはこれが不思議なほど獣人やエルフが多く、ドワーフは少ない。ラエルスは人間が無意識的に一番偉いと思ってるんだろうと考えていたが、単に美しさや労働力、従順さといった商業価値で判断されてると知った時は余計に憤慨したものだ。
逃亡奴隷は確かに存在するようだが、その数はかなり少ないのだという。運良く逃げ出せてもその首には奴隷の証である首輪が付けられており、魔法で施錠されているそれは鍵を持つ者かもしくはかなりハイレベルな魔法を使えるものでないと外せないようになってる。
そしてラエルスが剣を突きつけるこの男、先ほどジークとルファの事を"奴隷"だと言った。
奴隷が主人の元から逃げる事は罪ではないが、誰かが奴隷を持つ。あるいは売り買いする事は罪である。そしてそれ以前に2人の事を奴隷と言ったそれだけで、ラエルスとグリフィアにはこの男を殴る十分すぎる動機だった。
「お、おーおー怖い怖い。あんたがこの狼の主人か?」
男はたじろぎつつ、両手を上げて抵抗しないアピールをする。
「まぁ、主人かと言われればそうなるな」
「そうか。だが
一々癪に触る言い方をするなと思いつつ、ラエルスは努めて冷静に言い返した。
「この2人は奴隷じゃない、首輪が無いだろ。経緯は省かせてもらうが、この2人がお前の奴隷であるという証拠が無い筈だ。どうしても逃亡奴隷だと言い張りたいのなら、証拠を見せろ証拠を」
「証拠だと?言わせておけばこのガキ、何をしてそんな奴隷を持てる身分にまで成り上がったのか知らんが、大人を舐めると痛い目を見るぞ?なぁジーク!ルファ!テメェらの主人はこの俺だろ!?」
「2人とも覚えておけ。コイツみたいに困った時に、すぐ年齢とか身分を出して優位に立とうとする奴は大体ロクなもんじゃないぞ」
「なんだとテメェ!!」
ラエルスは剣を突きつけられているのに威勢だけはいい男に再び向き合うと、敢えてドスの効いた声で脅すように語りかける。
「この国では奴隷を売り買いする事も持つ事も犯罪だ。それを分かっていてもお前は商売をしているし、その高圧的な態度も奴隷を持ってる人の
だがこの2人は奴隷ではなくウチの使用人だ。それでなお返せと言い張るのであれば、ここでお前の首を刎ねる事も吝かじゃない」
その剣幕に一歩後ずさった男にラエルスは畳み掛ける。
「奴隷商人と言うならエゲルゼ=フィルデスという名前に聞き覚えがあるだろう、あいつを捕らえたのは俺たちだ」
ラエルスがそう言うなり、男の顔は見る間に強張った。
エゲルゼとはラエルス達が冒険者だった頃に捕らえた、当時奴隷商人の王とまで呼ばれた人物の事だ。
1人
そんな絶対的な王を一晩で壊滅させたのが、当時のラエルス達のパーティーだった。
ラエルスと
首輪の魔法などエルフの中でも魔法を極めていたミアナにとっては易しいもので、次々と壊しては援軍で駆けつけた兵士に引き渡していたほどだ。
エゲルゼの逮捕により奴隷市場は大きな打撃を受け、その後しばらくは積極的な売買は行われなかったという。だがこの男のような者がいるという事は、再びこの地では奴隷売買が行われているという事だろう。どうせ領主に賄賂でも送って懐柔しているに違いない。
「あ、あんた…もしかしてラエルスか!?」
「よくわかったな。やはり奴隷市場の中でも有名人か」
「い、いのち、命ばかりは…」
「おう助けてやるとも。お前の奴隷がいるところと、他の奴隷商人の場所を洗いざらい憲兵に吐けばな」
「な、仲間を売れって言うのか!?」
「嫌なら死ぬまでだ」
脅しつつ切っ先を首筋に押し付けると、男はブンブンと頷いた。
*
「ありがとうございます、ラエルス様。グリフィア様…」
「私も、本当にありがとうございます。本来お二人を守る役目の私たちが、逆に守ってもらうなんて…」
男を憲兵に引き渡し郊外の宿に投宿すると、狼兄妹は揃って深く頭を下げた。
「いやいや、皆んなに怪我が無くて良かった。あの男も捕まったし、しばらくはマグラスも安全だろう」
「でもジークとルファがあの時あの中にいたなんてね」
道中で狼兄妹に話を聞いた所、ラエルスのパーティーがエゲルゼを襲った際に囚われていた奴隷の中にジークとルファもいたらしい。
ラエルス達にとっては大勢いた奴隷の中の2人に過ぎなかったが、ジークとルファにとっては命を救ってくれた恩人だ。
その後とにかくマグラスから離れたいという一心でリフテラートへと逃げ、そこでミノに拾われ育てられたのだという。
奴隷時代に給仕の仕事を覚え込まされた事もあり職を得る為に使用人としての訓練をしていたが、そこにラエルス達が領主として赴任する事を知りすぐに応募したのだという。
最初にラエルスとグリフィアの使用人の募集があった時に真っ先に手を挙げたのも、時折見せる物憂げな様子も合点がいったというわけだ。
「申し訳ございません。今まで隠していて」
「いや、2人が気に病むような事じゃない。別に過去についてあれこれ言う気は無いし、むしろ話してくれて良かったよ」
ラエルスがそう言うと沈んでいた2人の顔に、僅かに光が差した。
「ほんとですか…?」
「もちろん。一応これでも主人だ、守る義務がある。2人の過去にどんな事があったとしても、今は今だ。もし今後の2人の事を奴隷だなんだと言う人がいるなら、俺とグリフィアとで責任持って黙らせに行く」
ぽろぽろと涙を零す2人に、ラエルスは「最後に」と言って頭を撫でた。
「これだけは約束してくれ。もう隠し事をするな、何があってもジークとルファはもう家族だ。いいな?」
「はい…」
「ありがとうございます…」
ラエルスやグリフィアの辿ってきた道のりで言えばちょっとした事件程度のものだったが、狼兄妹にとっては一つの禍根が断ち切られた瞬間だった。
*
リフテラートに戻れば、待ち受ける仕事は数知れずだ。オルカルまで往復するがてら鉄道敷設の難所となりそうな地形や川などを地図にピックアップしたが、これをいかにして越えるかが大変なのだ。
この世界では庶民が地図を持つ事はあまり一般的ではなく、値段も高価だ。と言うのもどの国でも他国の地形を見る事ができる衛星が存在するわけでは無いので、軍事的な意味が大きいからだと言う。
それでも冒険者や商人は普通に地図を持っているし、ラエルスも冒険者時代はよく頼ったものだ。販売箇所が限られてかつ高価であるが、必要無いから庶民が買わないだけで流通していないわけでは無い。
だがオルカルで鉄道を建設する沿線の地図を買おうとしたところ、身分の確認を求められたのだ。これは冒険者時代には無かった事だ。ラエルスは一応は侯爵であり、それを抜きにしても有名人である事には間違いないのであっさり買う事は出来た。
だが買った地図を確認してみてラエルスは再び驚いた。マグラスの軍港が一部縮小されて描かれていたり、バサル峠の道も一部が違って描かれている箇所があったのだ。グリフィアや狼兄妹はそんな事あるんだと言いつつ深くは考えていないようだったが、ラエルスの脳裏には日本での記憶が蘇っていた。
鉄オタたるもの、地図にも一定の関心はあったし、そもそも鉄道趣味は地図との睨めっこになる事も多い。
日本では第二次世界大戦中、軍の施設などを爆撃されないように地図内の軍の敷地を果樹園や畑に偽装していた。もっとも情報戦で勝ち制空権を握っていたアメリカ相手にあまり意味は無かったというが、この世界では話が別だ。
飛行機は存在せず、地図上の欺瞞を暴くのは難しい。魔王軍との戦いではそう言ったことは無かったが、今あえてこのようにしなければならない理由は一つしか無い。
国家間での戦争だ。
戦争において鉄道は時代や国を問わず、大量に兵士や武器弾薬を運ぶ重要な輜重隊だ。そして同時に、敵国から真っ先に狙われるインフラでもある。湯の花トンネル列車銃撃事件、大山口駅列車空襲、筑紫駅列車空襲、第二次世界大戦中の日本だけでも鉄道が被害に遭った事例は多い。
魔王軍との戦いに終止符が打たれ、次は国家戦になるだろうというのは薄々考えていた事だ。だが世界を支配せんとする魔王との戦いに本気を出そうとも、国家間の争いに介入する気はさらさら無い。その為に力を付けた訳でも無ければ、その為に鉄道を作る訳でも無い。
「どうしたの?難しい顔して」
グリフィアが地図とラエルスの顔とを覗き込む。
「いや、この地図がな…」
そう言って先ほど考えていた懸念を教える。国家間での戦争の可能性という事にグリフィアは驚いていたが、愚かなのは決して魔王軍だけでは無い事を二人ともよく知っている。魔王という共通の敵がいた時でさえどこの国の軍を出すとか出さないとか、どの国のお陰で勝ったとか負けたとか覇権争いが絶える事が無かった。
元より敷設に際しては海岸線沿いではなく少し内陸の方に作る予定ではあったが、それは日本の鉄道が当初中山道ルートで計画されたように戦争の際に艦砲射撃を避ける為ではなく、単に王国南街道沿いの大小の街に寄る為だ。
「私はイヤよ、今更国と国の戦いに巻き込まれるなんて」
「俺だって真っ平御免だ。戦うのは貿易だけにしてもらいたいものだ」
「全く未だに残る奴隷商人と言い戦争と言い、魔王を倒したからって世界は平和にならないのね」
「ままならないな」
「ホントね」
ラエルスは深くため息を吐く。まだ戦争が始まると決まった訳では無いし、今はとにかく鉄道を完成させる事が先決だ。
ともすれば沈みがちな気分を振り払うために2階に上がって海を見る。いつも通り海に沈む太陽とオレンジ色に染まる空を、しばらくの間眺めていた。
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