第11話 嬉しい悲鳴と改善点

「いやーまさかこんな結果になるとは」

「ラエルス様、顔笑ってますよ」

「そうか?」


 ラエルスとグリフィア、狼姉妹に6人の御者がルーゲラの大衆食堂に集まって遅めの夕食を摂っていた。手元には集めたアンケートが散らばっている。


 アンケートの意見欄に書かれた大半の意見が、

「乗り切れない事がある」

「本数を増やしてほしい」

「ウチの近くにも走らせてほしい」

 と言ったものだ。特に最後に関しては、馬車の回送ルート近辺の人の意見が多かった。


 朝の通勤線の様子を見に行った際も30分間隔で来る馬車はどれも満員で、デッキにまで人が乗っている有様だった。

 観光メインの環状線も結構な乗車率で、確かに昼間から夕方にかけては1時間間隔では足りないと感じさせる程だ。見た雰囲気では観光客の利用は少なくリフテラートの街の人の利用が目立ったが、それは単に不況から抜け出せないでいる事の証左であろう。

 裏を返せば観光需要を喚起しこの街に賑わいが戻れば、それだけ今の混雑に拍車がかかるという事だ。


「しかし本数を増やすとなると色々と大変だな。新しく御者も雇わなきゃならないし、馬車も買わなきゃいけないし」

「御者は雇えそうですけど、馬車が大変ですね」


 ジークの指摘はもっともで、この失業者が溢れている最中であれば成り手はいるだろう。しかし馬車は時間がかかる。

 用意した4台の馬車も特別なものだったので、リフテラートではなくわざわざオルカルの職人に作ってもらったのだ。それでもラエルスの提出した設計書はこの世界では斬新な発想で、製作段階でも試行錯誤だったという。デッキ付きがそんなに珍しいか?


「取り敢えず馬車と御者を増やして増便だなぁ。1台でも結構な出費になるが…」

 ラエルスが呟くと、御者の一人が手を上げた。


「あの、宜しいでしょうか」

「どうしました?」

「この馬車の設計図は手元にあるのでしょうか」

「ええ。ここに」

 普段は家に保管してあるが、今日は話し合いの場という事で持ち出していたのだ。


 御者は設計図を手に取ると興味深げに眺める。

「どうしました?」

「いや、私は魔王戦線の激化に伴う徴兵で軍に入って輸送馬車の御者をやっていましたが、その前は親戚の家の手伝いをしていたんですよ。親戚は木工大工で、設計図があるのなら作れるかもしれません」


 よくよく話を聞いてみると、その親戚の家はリフテラート郊外にあるのだという。リフテラートで馬車を作れるのであれば、わざわざオルカルの職人に頼む必要は無く費用も少しは安く済む。直ちに設計図を複写し、その大工に預けてみる事とした。


「時刻はとりあえず倍ってところだと思うんだけど、皆はどう思う?」

「通勤線の朝や夕方はそれでいいと思いますが、環状線の方は夕方から夜にかけては20分間隔ぐらいでもいいのではないかと思います」


 成る程とラエルスは首肯する。観光客はやはり昼から夕方にかけて街に入る事が多く、特に日暮れ近くは日没ギリギリで来る人が多く混雑しやすい。しかもそのタイミングで入ってきた人は投宿するなりすぐに夕飯を食べに行くというので、余計に混みやすいのだ。


「それによくお客さんから言われたのが、公設市場の開場に間に合う便が欲しいとも」

 公設市場が開くのは朝6時、しかし今のダイヤでは最初に市場に着くのは6時半だ。確かに間に合わないが、これに間に合わせようとするとかなり早くから馬車を出さなければいけなくなる。

 また公設市場が閉まるのは16時で帰りのお客さんも結構多く並び、乗り切れない人は時間を潰して1時間後の次の便を待つか諦めて歩いて帰っているのだという。


 しかも最終便をもっと遅くという意見もあって、見積もられる勤務時間は長くなる一方だ。日の出と共に働きだし日の出と共に家に帰る、という程の生活でも無いが、だからと言ってそこまで早朝から深夜まで働くという程でもない。

 だが嫌がられるだろうと思いつつその事を提起すると、御者たちからは意外な言葉が返ってきた。


「構いませんよ。元々半日働くのが普通だったのに、ここに来たら拘束時間が半日ってだけで2、3時間ぐらいは休憩じゃないですか。少しぐらい朝が早くなって夜が遅くなるぐらいなんでもありませんよ。街中で働く分には遅くなっても安心ですからね」

 拘束時間が半日では長いかなと思いつつ勤務表を作ったラエルスにとっては意外な言葉だったが、御者の方からそう言ってくれるのは有り難い事だった。


 そうと決まればダイヤを作らねばならない。取り敢えず頭の中で想像するつもりで、ラエルスは家から持ち出してきた一枚の紙をテーブルの上に広げた。


「なにそれ?」

 脇から覗き込んだグリフィアがそんな声を上げる。狼兄妹も御者たちも、いつの間にかテーブルを囲むように座っているルーゲラさんも、どこから来たのかミノさんも頭にハテナマークを浮かべていた。


「これは…って、なんでルーゲラさんにミノさんもいるんですか」

「いやぁ。ラメールの面々が顔を突き合わせて何かやってるんだから、出資者としては気になるじゃないの」

 ルーゲラはそう言ってカッカと笑う。ミノも似たり寄ったりの理由だろう。


「んで、それはなんだい?」

「これはダイヤグラムと言ってですね…要するに乗合馬車の時刻表ですね」

「これが?ただの縦横斜めの線にしか見えないけどなぁ」

 当たり前である。読み方が分からなければ、ただの謎の線の集まりだ。


「まずですね。この縦の線、上に数字が書いてある通りこの縦軸が時間です。1時間当たり12本の線が引いてあるので、これは"5分目ダイヤ"と呼ばれるものです」

 早速訳が分からないといった表情を皆で浮かべているが、ラエルスは構わず説明を続ける。

「そして横の線、これは停留所の名前が書いてある通り横軸は停留所を示しています。そして最後に斜めの線、これが走っている馬車を表しています。この1本1本が全て現在走っている馬車という訳です」


 そこまで説明して、初めてジークが声を上げた。

「すると…この"6"から伸びる縦線と"ウリム転回場"から伸びる横線が交わる所から出ている斜めの線が、ウリムを6時に発車する馬車という事ですか?」

「さすが呑み込みが早いな、そう言う事だ。その便が6時20分にカザン・クミ教会、6時30分に公設市場、そして6時40分に終点の漁港に着くという訳さ」

 指差しながらそうして説明する事でようやく何人か意味が分かったようだ。


 ダイヤグラムはまたは山ダイヤと呼ばれる事もあるが、鉄道やバスの現場ではよく使われるものだ。一般のお客さんの目に触れる事はほぼ無いが、都心の通勤電車のダイヤグラムなどはそれはもう斜めの線だらけで凄い事になっている。

 ところで九州は西日本鉄道では、そのダイヤグラムをお客さん向けに平然と配っていると聞く。何故なのか。


 さて寄せられた意見を大雑把にまとめると、

 ・本数を増やしてほしい

 ・新路線の開設

 ・運行時間の拡大

 ・公設市場の開場と閉場に合わせたダイヤ

 と言ったところだ。


 現状では馬車が4台で朝は予備無しの状態だが、これも解決しなければならない。馬車の購入と御者の増員、そしてここまで来るとそろそろ経理担当や点呼を行う運行管理者も欲しい所だ。


 そして新路線を開業となると馬車も人も要るし、まずそれ以外の3つを先決させるべきだろう。嬉しい悲鳴とはよく言うが、それも行き過ぎればただの悲鳴である。


 *


 翌日からは増便の為の準備に忙殺された。大急ぎで新しいダイヤを作り検証する。鉄オタのまとまった数は通る道であろう、架空鉄道に一時期凝っていたラエルスにとってはダイヤ作りももはや娯楽である。


 さてこれまでのダイヤでは、通勤線が1日16.5往復、環状線が1日11本であった。それを区間便も含めて通勤線を1日22.5往復、環状線を1日25本とする。


 通勤線は朝の通勤時間帯を20~30分間隔とし、昼間を30分間隔。帰りの時間に公設市場の閉場時間に合わせて増便し、閉場後は人の往来が減っている為1時間間隔だ。

 環状線はほぼ終日30分間隔とした。どちらも運行時間をそれぞれ1時間ほど拡大している。

 これでダイヤを組んでみると、それでも必要な馬車は1日5台となった。増車する分は2台発注すれば、予備も含めて上手く回る筈である。


 また御者からの意見の中に、毎回運賃として銅貨20枚を受け取るのは大変だという意見もあった。

 ミリウス硬貨は白銀貨を除いて全ての硬貨に穴が開いている。まとまった支払いをする時はその穴に紐を通して支払うのが一般的で馬車の支払いもその方法が多かったのだが、いかんせんその度に小銭が増え続け用意した鞄がいっぱいになる事もしばしばあったようだ。


 本当はワンコインで乗れるのが理想なのだが、運賃を改定するわけにもいかず、だからと言ってまさかこの為に新しい硬貨を作るわけにもいかない。いくら領主とて、流石に貨幣制度にまでは介入できない。


 そうなると俄然、回数券の必要性が高まってくるわけだ。街の人が使う分は回数券、観光客には正門前で切符でも売ってみるのがよさそうだ。その為に詰所と作り人を雇わなければならないが今更である。


 環状線の反対周りをという意見もあったが、これはなかなか難しいので却下とした。中心部には馬車がすれ違える道はほとんど無く、環状線の通る道はそんなところばかりだからだ。

 改善点は山ほどあって、なかなか手が付かない事も多い。それはそれで面白くも思うが、やはりなかなか疲れる仕事である。


「あんまり気を詰めすぎないでね」

 アンケートをまとめた書類を相手にあれこれ考えていると、カップを2つ持ったグリフィアが横に座った。


「いや、考え出すと色々あってさ。やっぱり一筋縄じゃ行かないなって」

「当たり前でしょ、客商売なんだから。でもよかった」

「何が?」

「ラエルスが楽しそうで」


 グリフィアのその言葉に一瞬ドキッとしたが、すぐに妙な罪悪感に襲われた。乗合馬車だ鉄道だ言っているが、所詮自分のわがままに過ぎずグリフィアに付き合ってもらう義理は無い。


「いや…俺こそ、こんな訳の分からない事に付き合わせちゃってごめん。グリフィアも色々とやりたい事とかあるだろうに」

 ラエルスの言葉にグリフィアは一瞬きょとんとした表情を浮かべて、やがてぷっと噴き出した。

「何ソレ、ラエルスの世界の価値観?」

「あぁっと…そうか、そうだっけね。そう。俺の元居た世界じゃ、女性だって社会に出るし国の運営にだって参加する。女性は家を守れなんて考え方は古い考えだからさ」


 そう…とだけ一言呟いて、グリフィアは天井を見上げる。そしてまたラエルスの方を見ると笑って言った。

「でも、もしこの世界がそうだったとしても、私はあなたラエルスの手伝いをするんじゃないかな」

「…ありがとう」

 ラエルスは胸にこみ上げる物があって、それしか言えなかった。そんないい雰囲気になった瞬間…


「はいはーいお二人様、昼食の時間ですよ」

「ルファ、せめてあと5分待ってほしかった」

「待ちません、流石に昼からやめてください」


 ルファのジト目に慄いていると、グリフィアにぽんと頭を優しく叩かれた。

「ほらお昼だって。ラエルスも食事の時ぐらい仕事を忘れてゆっくりしなさいよ、私はどこにも行かないから」

「…おう。そうだな」


 グリフィアに続いて立つと、体を伸ばしてダイニングに向かう。いい匂いが漂ってきてつられて腹が鳴った。腹が減ってはなんとやら、公共交通が先の長い事業であるように自分もゆっくりとやれる事をやろう。そう心に決めた。


 ――――――――――


 色々と運行本数やら運行間隔を細かく描いているのは、実際にoudiaというソフトでダイヤグラムを作っているからです。Twitterの方には掲載するので、気になる方やこの小説を読んでいる鉄オタの方(いるかどうか知りませんが)は、是非ともプロフィール欄からTwitterにアクセスしメディア欄から見てみてください。

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