第9話 人は美の女神たりえるだろうか

 最初に一言。

 ほぼイチャイチャ回です。イチャつけ!カップルなんだから(以下略)


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 試運転を行ってから10日程経ちいよいよ開業日を告知するポスターが貼りだされ始めると、リフテラートの街は奇妙な興奮に包まれ始めていた。

 張り出したのは7月の初めで、開業日は同月の最後の日とされた。8月の10日ぐらいからリフテラートでは"夏の大祭"と呼ばれる祭りが催され、それに間に合わせた形だ。


 それまでは半信半疑だった乗合馬車も、実際に試運転で街を馬車が走り出し開業日の告知までされては期待を膨らませるには十分だ。

 しかも観光協会理事長のカルマンや宿屋では有名なミノ、そして食堂では有名なルーゲラが試運転に立ち会いお墨付きをしたともなれば尚更である。


 街の人々は今や遅しと開業を待ちかね、試運転の馬車が鳴らす鐘を聞いて子供が飛び出してきて手を振るなんて光景も見られるようになって来た。大人も一旦作業の手を止め馬車の方を振り返り、行き過ぎればあの馬車が出来るとどうなるとかこうなるとかいう話に花を咲かせる。


 何度も試運転を繰り返し微調整を繰り返すうちに、ついに開業前日となった。既に各停留所には洒落た木のポールが立ち、据え付けられている時刻表の下には誰が書いたか「待ってました」「おめでとう」の文字が躍る。色々と祝辞が書かれているのは知っていたが別に下品な落書きという訳でも無いので、ラエルスはあえて消さずにいたのだ。


 開業式は環状線と通勤線の交差するリフテラート公設市場の前にて執り行われる事となっているので、既に薬玉くすだまが用意されていたり椅子が並べられている。しかも市場側の計らいで、その日は出店も行うとかで開業式というよりちょっとしたお祭りのよう。夏の大祭の前夜祭みたいな雰囲気だ。


「…よし、こんな所じゃない?」

「おぉ…変われば変わるもんだな」

 服屋で仕立ててもらったばかりの燕尾服に身を包み、ちょうどグリフィアに襟の付けリボンを付けてもらったラエルスは、全身鏡に写る自分の姿が改めて自分じゃないような気がして一瞬変な感覚に捉われた。


 転生してすぐの頃は鏡を見るたびに自分が自分でない気がして変な感じがしたが、流石に十年も経てば慣れたと思っていた。だがこうして不意にその感覚が戻ってくるのは、やはり元々この世界の人間じゃないからなのか、あるいは一緒に写る人があまりに可愛いから脳が勝手にファンタジー判定しているからなのか。


「やっぱり主役なんだから、このぐらいシャキッとカッコよく決めた方がいいわね」

 グリフィアが皺を直して立ち上がる。本来はジークかルファがやるような仕事だが、本人たっての希望でグリフィア自身が着付けを行なっていたのだ。


「いやー経験もどこで役立つか分からないねぇ」

 しみじみと語っているのは、駆け出しの冒険者だった頃に金稼ぎの為にとある街に滞在していた頃の話だろう。


 ギルドに貼り出される初心者向けの依頼なんてものは、大概が薬草摘みとかの単純な作業でしかも報酬も安い。

 なので駆け出し冒険者は冒険を一時休業して、住み込みで雇ってくれる所に身を寄せる事がある。ラエルスとグリフィアにもそんな時期があった。


 ラエルスは体力を鍛えるのも兼ねて人力車の仕事をしていたが、グリフィアはその時は服屋で働いていた。それも催事の時によく駆り出される名の知れた所だ。そこで男性女性問わず色んな人の晴れ着の着付けを学んだとかで、本職程ではないにしろ多少は出来るというわけだ。


「じゃ今度はグリフィアだろ?」

「そうね。楽しみにしてて、ラエルスが燕尾服を着てカッコよく変身したみたいに、私もおしゃれに変身してくるから」

 そう言って今にも鼻歌が聞こえてきそうなぐらいるんるんなグリフィアの背中を見送ると、改めて明日の予定表を確認する。


 9時から公設市場で開業式、あんまりこういった場には出たくないのだが発案者であり実際に動いた中心人物なのだから仕方なかろう。

 その後は…それだけだ。自分とカルマンとが少し喋って、後は通勤線と環状線の馬車をそれぞれ迎えて花束贈呈。以上。シンプルで結構、お堅い行事が嫌いなラエルスにとってはおあつらえ向きだ。


 グリフィアの着付けはルファがやってるので、ラエルスは同じく燕尾服を着たジークとのんびり待っていた。狼兄妹は自分達はあくまで使用人だからと固辞したのだが、2人にも色々と手伝ってもらったしと押し切って参加する事になったわけだ。最初はしきりに恐縮していたが、今では開業式と言う名のお祭りを心待ちにしているようだった。


「出来たよー!」

 ややあって隣の女性陣の試着室から声がする。はいはーいと努めて冷静に返事したつもりだが、足は自然と早足になっていた。

「ラエルス様、急がなくてもグリフィア様は逃げませんよ」

「何を言ってるジーク。可愛い妹ルファも晴れ着なんだぞ、見たくないのか」

「…見たいです。一刻も早く」

「よろしい、行くぞ」


 我ながら馬鹿な会話だなとは思ったが、誰だって可愛い人の可愛い姿は見たいだろう。早足になったとて何の問題があろうか。


 大きく息を吸って試着室の扉を開ける。全身鏡の前に立ってこちらを見、どうよとでも言いたげな顔をしているグリフィアに目をやって一瞬息が止まった。


 艶やかな茶髪によく似合う、透き通る海のように青いドレス。

 いわゆる舞踏会のような催しでは無いのでフリルのような物は無いが、それがかえって華奢なボディラインを際立たせている。


 端的に言えばエロティックだ。


 ちなみにこの世界、昔の欧米のように女性の身体にコルセットを巻いてとか骨組み付きの専有面積が広いドレスとかそういうモノは無い。片手あたり10個以上もボタンが付いてるやたらゴテゴテした手袋なんて物も無い。単にそこまで複雑な衣装を作る工業力が無いだけかも分からないが。


「ちょ、ちょっと。何か言いなさいよ」

 閑話休題。あまりに凝視し過ぎたのか、グリフィアも頬を染めて目を逸らす。この世の全ての美しさと可愛さを集めた化身にすら見えるのは、真実なのか恋人補正なのか。


「いや…いや何というか、めちゃくちゃ可愛いなって…」

 これがいわゆる"尊死"ってやつなのかとまるで別の事を考えながら、ようやくそんな他愛のない言葉を捻り出す。


 するとそれがかえって効果覿面てきめんだったのだろうか、グリフィアはそれこそヤカンでも載せたらお湯が湧くんじゃないかというぐらい顔を真っ赤にして、ラエルスの方を見るやら目を逸らすやら髪を触ってみるやら忙しなく照れ隠しする。


「な、何言ってんのよ!当たり前でしょ!?」

 わざと大きな声でそう言うのも照れ隠しだ。10年付き合ってればわかる。

 ゆっくりとグリフィアの元に歩み寄り、座っている隣の椅子に腰を落とした。ちなみに狼兄妹はいつの間にかどこかに行っている、相変わらず目敏いことで。


「確かに元が可愛いんだし、当たり前なのかもしれないけどさ。ビックリしたよ、女神様でも地上に降りて来たのかと思った」

「な、何よそれ…それ言ったらラエルスだって、そんなにカッコよくなっちゃって!目のやり場に困る!」

 着付けたのはグリフィアだろうに、という言葉は野暮なので言わないことにする。


「目のやり場に困るってなんだよ。グリフィアもそんなに綺麗に返信しちゃうと、なんか明日の式に出席させるの嫌になってきちゃうなぁ」

「どういう事よそれ」

「だって開業式には色んな人が来るわけだろ?そんな綺麗な格好してたら絶対色目で見るヤツいるだろ?なんかこう、腹立つ」


 結構恥ずかしい事言ってるなという自覚はあったが、それもまた本心だ。グリフィアは俺の嫁だ、異論は許さん。色目も許さん。


「え、なに?嫉妬?嫉妬しちゃった?」

「嫉妬もするだろそりゃ。絶対言い寄るヤツとかいそうだし」

「ふふ、そうかもしれないね。でも…私はラエルスのものだし、ラエルスも私のものなんだからね」


 そう言って丸椅子を寄せると、ラエルスの方にポンと頭を載せる。思わず手をグリフィアの頭にやると、端正な口からふぁあという間の抜けた声が漏れた。


 撫でるだけでは満足できずそのままの勢いでかき抱くと、髪の匂いが鼻をくすぐった。何度同じ事をしても、それは堪らなく甘美でこれから先に行う事業の不安や問題も全て溶けていくようだった。


「あの…水を差すようで悪いのですが…」

 開けっ放しだった扉からそんな声が聞こえてきて、2人して冒険者時代顔負けの速さで離れる。扉から顔を覗かせていたのはジークだ、いつの間に燕尾服を脱いで普段着に戻っている。


「そろそろ次の予定の時間が迫っておりますので…」

 言われて壁に掛けてある時計を見てみると、確かに次に予定していた開業式を主催する観光協会との最後の打ち合わせの時間が迫っていた。

 余談だがこの世界の時計、だいたい1日5分はズレるらしい。


「お、おう。そうだな。ほらグリフィア、着替えるぞ」

「う、うん。遅れちゃったらよくないもんね」


 いそいそとラエルスは部屋を後にして、入れ替わりにルファが部屋に入る。

 少しして普段着に着替えたグリフィアと狼姉妹を連れて、最後の打ち合わせに向かったのだった。


 *


 そしていよいよ当日の朝、早起きしたので眠い目をこすりながら朝食を摂る。パンを齧りながら開業式の段取りを頭の中で確認していると、ふとグリフィアが口を開いた。


「腰痛い…」

 今しがた口に入れたパンが変な所に入って思わず咳き込んだ。


「いやぁ、何と言いますか…」

あなたラエルスのせいでしょ?」

「いやいや、グリフィアだって結構…」


 ゴホンという咳払いが聞こえて慌てて会話を打ち切る。狼兄妹がジト目で、大事な日の前日に何やってるんですかとでも言いたげな目でラエルスとグリフィアの事を見ていた。


 ジークとルファは狼の血が混ざった人だ、本当の狼ほどではないにしろ鼻が利く。

 まぁその、なんと言いますかですね、ごめんなさい。

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