乗合馬車開業
第8話 まだ試運転ですからね?
様々な人との折衝を終えてからしばらく時間が経った。
今、ラエルスの目の前にあるのは海沿いの土地に建設された車庫と、そこに並ぶ4台の馬車。ちょうど馬車を作っている工房から納車されたばかりで、木のいい匂いが心地いい。
「また変わった形の馬車にしたんですね」
ジークがぽつりと呟く。確かにこの世界の馬車と比べると、異質な形と言ってもいい物だ。
馬車は両端に乗降りのデッキの付いたもので、同じく両側に御者の立つスペースを確保していた。普通の馬車は前に御者の座る場所があり、後ろが開口部となっていてそこから人や荷物が出入りするようになっている。
「基本的には後ろのデッキで乗降りして、前のデッキは御者用のスペースだな。こういう左右対称の形にしたのは、折り返す手間を少しでも省くためってわけだ」
「なるほど。馬だけ付け替えれば馬車の方向転換は必要無いって事ですね」
「そう言う事だ」
両側に緊締具を設置しなければならないので金は余分にかかるが、折り返しに広い場所を要しないと言う事と狭い道で転回しなければならないという状態に陥った時に素早く転回できるようにする為にこうした設計となっている。
「しかし色もすごいね。馬車には見えない」
続いてグリフィアが感想を口にする。元の世界でもそうだったが、馬車というやつはどうもあまり派手ではない。
もちろん駅馬車みたいな街と街の間を結ぶ馬車があんまり派手だと、山賊に狙ってくれと言っているようなものなので落ち着いた色になるのも頷ける。
しかしこの馬車は安全な街の中を走るものだ。ならばむしろ目立った方がいい。という事で、発注段階で色の指定をしていたのだ。
屋根と側面のラインとして群青色を配し、デッキの手すりの部分に警戒色として黄色。後は全体をクリーム色に塗って、側面のラインには同じくクリーム色で"ラメール"の文字が入っている。
中心街の建物も屋根が青く外壁が白で統一されており、それはリフテラートを象徴する光景ともなっている。まるでリフテラートの家がそのまま走っているかのようだ。
既に御者6名は雇っており、訪れる商人の馬車を借りて購入した馬と共に営業ルートの試運転を始めている。ミゼルは当然貸してくれないので仕方ない。
開業を知らせる宣伝広告は既に営業ルート沿いを中心に張り出しており、時折問い合わせにこの海沿いの車庫を訪れていた。誰でも乗れる馬車と言うのはやはり新鮮な驚きと共に受け止められ、日に日に開業はまだか開業はまだかという声が街でも聞こえるようになってきていたのだ。
「さて、次に馬車に装飾をしたいわけだが…」
「開業を告知するものですね」
ジークとルファは既に業者に頼んで作ってもらっていた馬車の横に貼る開業告知のポスターと、それと糊と刷毛を持って準備万端だ。
「よろしく頼むよ」
「お任せください。ミノさんには使用人修行の傍ら色んな小間使いまで仕込まれましたが、こんなところで役立つとは思いませんでした」
ポスターを張り終えると、いよいよ実車を使っての試運転だ。リフテラートの街には細い道が多く、運行ルートは大きい道を選んだつもりだがどこかで馬車と建物が干渉するような事があってはいけない。鉄道の様に建築限界さえクリアしてればいいという問題でも無いので、ギリギリ大丈夫というのも出来る限り無しにしたいところだ。
「ではよろしくお願いします」
ラエルスがそう言うと脇で作業を見守っていた御者6人が、馬と共に馬車に取り付く。ちなみに御者はリフテラート内でのみ募ったが、求人を出した翌日には希望者が20人ほど集まって逆に驚かされた。
元より国全体で失業者が多く、応募してきた者も軍で荷物運びの馬車を走らせてたという人が多かったが、ラエルスが直々に乗合馬車の難しさを伝え面接し6人に絞ったというわけだ。
とは言え皆が御者の経験者であり、てきぱきと馬と馬車を繋ぎ前のデッキに乗って馬車をゴロゴロと動かす様は頼もしい事この上無い。
「さて、では行きましょうか」
馬車にラエルス達4人と残りの御者が乗り込む。御者は借りた馬車で2つのルートを何度も回っていたが、ラエルス達は初めて回る事になる。グリフィアなんかは期待で目をキラキラさせている程だ。
まずは朝夕がメインとなるであろう通勤線の経路からだ。車庫は街外れにあるとは言え、少し走ればすぐに建物が立ち並び始める。普通の路線バスは回送ルートであろうと免許が要るが、この世界に運行ルートの免許などという概念は無い。どの道を通っても大丈夫ではあるのだが、一応経路は設定してある。
ほどなくして郊外の住宅の並ぶ一角の外郭部に設けられた転回場に着いた。ウリム地区と呼ばれる場所なので、停留所の名前はそのままウリム転回場となっている。中心街は青と白の美しい街並みだが、郊外の住宅地はどこにでも見られる木造家屋ばかりだ。
転回場を出ると住宅地の中に数箇所設けられた停留所に寄りながら、やがて中心街に向かって緩やかに坂を降りて行く。
中心街が低地にあり郊外に向かうに連れて台地になるリフテラートでは、放射状に大きな通りが伸びそれぞれに坂の名前が付けられている。通勤線はその一本であるロムランダル坂通りを下りながら中心街に入り、カザン・クミ教会の脇を通った所で環状線のルートと交差する。
そこからは中心街の中、とりわけ商店や大きな商会の出張所が集まっている場所を通り、海産物から農産物まで一通り扱うリフテラート公設市場でもう一度環状線と交差。その後は観光地化されていない海岸線の方へ進み、漁港へと進んでいく。片道40分の道のりだ。
ちなみに時間の単位やら月やら、言い方こそ違えど距離までおよそ元居た世界と変わらない。この世界の誰がグレゴリオ暦を考え出しメートル原器を作ったのかは知らないが、時々ここは地球なのでは無いかと錯覚する事がある。やはり地球ではないと思わせる事の方が多いが。
「この距離を40分でしょ?歩いたら倍以上はかかるって言うし、そう考えると速いねぇ」
グリフィアがポツリと呟いた。確かに港町という性格上、漁港や市場で働く人の朝は早く、季節によっては真っ暗な中港の方へ向けてぞろぞろと仕事に向かう人が歩いて行くのは馴染みの光景となっている。
港や市場の近くに居を構えられるのは昔から住んでいた一部の人だけで、後から移住してきたものは皆が郊外住まいだ。それ故にこうした時間のかかる徒歩出勤をしなければならなくなる。
「しかしラエルスさんの考えたこの馬車は良いですなぁ。私も始発のウリム地区に友人がおるんですが、そいつも市場で働いててこの馬車の話をしたらいつ出来るんだって最近は顔を合わせる度に聞かれますよ」
御者の1人がそんな事を言う。リフテラートの人達の声はそれだけにとどまらず、長距離歩けずに街に出られなくなった老人がまた街に行けるとか、子供と安心して出かけられるようになるとか色んな話が聞こえてきていた。
また値段も
バスの祖先である5ソルの馬車は、兵士や近習、その他の労働者は乗れなかったのだという。その利用条件が災いして最初のブームが過ぎるとあっさり人が乗らなくなったのだそうだ。
しかしもちろん、リフテラートの馬車にはそんな制限は設けない。営業規則上お断りする人もいるが、そういう人はようは物乞いなどを指している。そしてリフテラートにはそう言った人はあまりいない。
馬車は港から今度は街の入口の門へと回送する。門から伸びる街道は王国南街道と呼ばれ、海岸線沿いに伸びた後に丘を越え、国の主要軍港があるマグラスを通ると進路を北に取る。
そこから途中、バサル峠と呼ばれる山道を穿つマグラス川沿いに街道は伸び、アッタスワル盆地に入って少し進めば王都オルカルだ。
門の前には中心街ほどでは無いにしろ、何軒かの宿や飲食店が軒を連ねている。朝早く出立したい人は中心街に泊まらずこういった場所に宿を取るからだ。
門の近くに設けられたリフテラート正門前と名付けられた転回場を出ると、街道からそのまま続く中心街への道を真っ直ぐと進む。門の近くに居を構える貸し馬車屋からミゲルの禿げ頭がのぞきこちらを睨んでいたが、そこは気にしたら負けである。
少し進めばすぐに青い屋根が特徴的な中心街の、細く曲がりくねった道に突入する。この道は王都オルカルへと通ずる、との意味合いで名づけられたオルカル坂通りだ。
事前に行った普通の馬車での試運転で接触しそうな部分などを炙り出し、道に出っ張った看板を撤去してもらう代わりに広告を格安で出せるようにするとか折衝した結果、馬車は安定して道を進む。
流石に中心街というだけあって人通りは多く、御者は据え付けの鐘を鳴らしながら道行く人への注意喚起を怠らない。しかし歩く市民は意外と順応しているのか、鐘の音が聞こえるとすぐに脇に避けてくれる。試運転と宣伝を兼ねているのでルファとジークが後ろのデッキから開業告知を配っているのだが、ちらっと見てみれば結構な頻度で配っている。関心が高いのは有り難い限りだ。
やがて通勤線と交差するカザン・クミ教会を過ぎると、いよいよ毎年宿に帰れなくなる人がいるという飲食店や宿の連なる一等地だ。
この街にある2軒の大衆食堂は外せない。手ごろな価格で街の人だけではなく旅行客の腹も満たしてくれるこの食堂は、公設市場がリフテラートの台所ならばさしずめリフテラートのダイニングテーブルと言ったところだろうか。
「おう!それが噂の馬車かい!また派手だねぇ、まるで中心街の家がそのまま走ってるみたいだ」
声を掛けてきたのはルーゲラだ。第三者の目から見てそう見えているのだから、やはり見た目のインパクトは絶大なのだろう。
「せっかくの美しい街並みを使わない手は無かろうと思ってこの配色にしてみたんですが、どうですかね?」
「いいんじゃないかい?この街も入口のあたりは質素な木造家屋だからねぇ。外から来た人から見たら、早速噂に名高い美しい街並みのような馬車がいるって、驚くんじゃないかい?」
成る程とラエルスは頷く。木目に腐り止めを塗っただけの単調な色彩は嫌だからと中心街の街並みをそのまま配色に使わせてもらったが、外から来た観光客にとってはそれすらも観光気分を盛り上げる一つになり得るというわけだ。
確かに観光地に向かう電車やバスなんかは現地の主な観光地の写真をラッピングしたりしている。それを見れば観光地に行くんだぞという期待やワクワク感が高まる…の、かもしれない。
旅行と言えばカメラを振り回し、観光客が絶対降りないような駅でばかり降りていたラエルスにとっては、あまり縁の無い話ではあったが。
「まだ乗れないのかい?」
「ええ。今は試験的に走らせて問題が無いか確認してるだけなので…」
「そうかぁ、残念だねぇ」
年柄も無くルーゲラがしょげるのでグリフィアはいたたまれなくなったのか、ラエルスの袖を引っ張って聞いた。
「ね、お世話になった人ぐらいは乗せてあげてもいいんじゃない?もう普通の馬車で何度も走ってるんでしょ」
「うーん、そうだなぁ。そのぐらいはいいか」
「話が分かるねぇグリフィアちゃん!」
許しを得たとなればルーゲラは意気揚々と馬車に乗り込んでくる。とても大衆食堂の主人には見えないはしゃぎっぷりだった。
「いやぁ馬車なんて何十年ぶりかねぇ。ここで今の亭主を捕まえる前はよく馬車に乗ってたのに」
「ルーゲラさんってここの生まれじゃないんですか?」
「そうさ。両親が行商でねぇ、よく隊商の馬車に乗って国中旅したもんさ」
今では肝っ玉母ちゃんと言うのが一番似合っているルーゲラさんにも若い頃があったんだなぁ、なんていう失礼な感想を抱きながら馬車は進む。
中心街は道が入り組み、馬車は右へ左へカーブしながらやがてミノの宿の前を通る。ミノの宿は高層ながら宿泊料金も安価らしく、旅行者もよく泊まるのだという。上の階は見晴らしがいい分高いかと思いきや値段はあまり変わらないらしい。理由を聞いてみると階段で上がるしか無く、荷物は宿の従業員が持つにしてもいちいち出入りが大変だからなのだという。確かにエレベーターなんて便利なものは無いので、そうならざるを得ないのだろう。
「おう、やってるねぇ!」
またまたタイミングよく、主人が出て来る。ルーゲラさんと言いミノさんと言いタイミングの良い事だ。
「慣らし運転ってとこか?」
「そうです!よかったら乗ってきますか?」
顔を出したルファがそんな事を言っているが、既にルーゲラは乗ってるんだし今更一人ぐらい増えてもいいだろう。
「お、ラエルスくん。久しぶりだね」
ミノの後を追って宿から出てきたのは、観光協会理事長のカルマンだ。
「カルマンさん、お久しぶりです。馬車の上からすみません」
「いやいやいいんだ。だが良ければ是非、私も乗せてくれないか」
申し出を断る理由も無い。どうせ公式試運転となればリフテラートの重役を招いて乗せる事になるのだから、それが少し早まっただけの事だ。まだその段階に至らない試運転だが問題は無かろう。
そうしてミノとカルマンも乗せ、再び馬車は動き出す。
少し進むとリフテラート公設市場を通り、中心街に残る旧市街と呼ばれる住宅地を通る。この住宅地は昔からここに住んでいた人達の街であり反対の声もいくつか上がったが、カルマンが中心となり交渉を重ねて路線を通すことに許可を貰った場所でもある。
だがただの住宅地と侮れない。ここにはそれこそこの街が出来た頃から営業している老舗の店が何件かあり、新たな観光資源としての潜在的可能性は高い。その事も交渉に織り込み、反対意見を抑え込んだという訳だ。
旧市街を抜け青と白の街並みが終わると、終点のリフテラート正門前である。こちらも1周40分、実際の運行では案内人の人に乗ってもらい簡単な観光案内も行ってもらう。
「いやーよかったよ!これが毎日走るんだろう?間違いなくリフテラートの新しい名物になるな」
「ウチも客増えるだろうし、忙しくなりそうだ!」
「全くだね。少しは上の階も埋まるようになってくれればいいんだが」
同乗した3人は口々にそんな事を言いながら馬車を降りる。
特にカルマンの言葉は心強かった。観光需要などは門外漢のラエルスだったが、その道のプロに保証されれば多少は気も楽になると言うものだ。
「さて、あとは試運転を重ねて開業にこぎつけるだけだ。皆さんよろしくお願いします」
ラエルスはそう言って御者に頭を下げる。口々に任せてくださいとか頑張りますとか返ってくるのを聞くと、胸の内にわだかまっていた不安が溶けていくようだった。
――――――――――
そもそも作者が鉄オタなので、前の話であったようなボギー台車をはじめとして鉄道回に入るともっと様々な専門用語が出て来ると思います。なるべく噛み砕いて説明するつもりなので、よろしくお願いいたします。
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