第7話 それは些細な憧れ

 ミノの宿で皆から出してもらう金額の大きさに驚いてから数日が経った。その間に何度か主要な店の主人と会議をし、支援される巨額の使い道についてもキッチリと話した上で了承を取りつけた。

 やがては鉄道を敷いてという話をしたら皆はまたぽかんとした表情を浮かべたが、それもそのうちにわかる事だろう。


 そんな訳でとりあえずは車庫の建設と、馬車の買い付け。そして引馬の買い付けである。

 とは言っても車庫と併設する事務所の建設はすぐには出来ないし、馬もせっかくなら良い馬をという事でロイゼンを通して遠くの名産地から直接買い付ける事とした。


 馬車はと言えば見栄えと効率を重視したデザインを考え馬車作りの職人に提示した所、こんなのは初めてだと言いながら腕試しも兼ねて作ってもらう事を了承してもらった。

 そんなに速度の出る乗り物では無いが、車内の椅子にまでデザインと安全性を重視し拘っている。1台あたり金貨50枚500万円を少し超えてしまったのは仕方ない。

 さまざまな人から馬車のデザインを聞かれたが、それも出来上がってのお楽しみだ。


 そんなわけでラエルス達はと言えば、準備が整うまでは暇なのである。御者を募集するチラシは街のいくつかの場所に貼っておいたしちらほら志望する人もいたが、人の命を預かる責任の重い仕事でもあるため軽い気持ちで応募している人は全員落とさせてもらっている。


 こういう職は商人なんかと同じで信用商売だ。馬車といい馬といい、実際に運行する御者といい安全を蔑ろにするような事は出来ない。

 運転安全規範の一番最初にも言われる、"安全の確保は、輸送の生命である。"というやつである。


 *


「ねぇラエルス、私にも何か手伝えることって無い?」

 この地に来てからやっとスローライフらしいスローライフを送り始めて数日経った頃、リビングでゆっくりしているとグリフィアがそんな事を言い出した。

 昼下がり、ルファはリビング直結の台所で昼食の片づけをしておりジークは街へ買い出しの最中だ。


「どうしたんだ急に」

「いやー念願のスローライフはいいんだけどさ、なーんか農家の娘だからかこれまで動きっぱなしだったからか落ち着かなくてさぁ」

 グリフィアはそう言って髪を掻く。仕草の一つ一つが可愛く見えるのは多分ひいき目だ。


「グリフィアの口からそんな言葉が出て来るとは思わなかった…」

「私の事なんだと思ってんのよ」

「いや、仕事したくない人間なのかなぁと…」

「うーん、いや間違っては無いけど合っても無いというか…」


 どういうことだよと心の中で一人ツッコミを決めていると、グリフィアがぐいっと覗き込んできた。


「私ね、憧れてたの」

「な、なにに?」

 不意に近づいた恋人グリフィアの顔に思わずどきりとしつつも聞き返す。大胆に寄ってきた割には向こうも小っ恥ずかしくなったのか、少し頬を赤らめて離れるとラエルスの座っていたソファの隣に座ると頭をぽんとラエルスの肩に乗せた。

 その瞬間丁度片づけを終えたのか、ルファがそそくさと部屋を出ていく。よく見てますね流石です。


「いつか好きな人とその…結婚して、旦那さんの手伝いをしながら暮らしていければいいなって」

 グリフィアの頬の赤みが増す。とは言え多分自分の頬も同じなのだろうとラエルスは他人事の様に思った。


「ほら、旅に出たのって14歳の頃だったでしょ?ラエルスがこの世界に来て5年目ぐらいだったよね、私の故郷の村が魔獣の群れに襲われて…」

 グリフィアの故郷は既に地図には無い。魔獣の大量発生に抗いきれず、滅びたのだ。グリフィアの両親もその際に戦禍に巻き込まれ、既に過去の人となってしまっている。


 ラエルスはこの世界に転生してから、最初は師と仰いだ魔法使いの元で生活していたが、師が亡くなると近くのグリフィアの故郷でお世話になっていた。そこでグリフィアと知り合い、一緒に魔法の修行に明け暮れた。そんな平凡なある日に魔獣の大量発生が起こり、まだまだ魔法も半人前だったグリフィアをラエルスに託し両親は他の皆と共に戦場に散った。


 ろくに旅装も整えられないまま旅に出た2人は、教え教えられながら魔法技術を上達させていった。そうしてラエルスと共にグリフィアも一流の魔法使いとなるに至ったのだ。


「そうだったなぁ。最初に会ってからもう10年以上経つのか」

「でもそれ以来ずっと一緒だったじゃない?一緒に冒険して一緒に戦って、一緒にご飯食べて一緒に寝てさ。でもあなたは強くて私なんか到底叶わなくて…」

「そんな事無いよ。グリフィアはとっても頼りになる大事なパートナーだ」

「いや。ラエルスは強いし賢いよ、こんな乗合馬車なんて発想無かったし」


 その発想は元の世界に裏付けられた物なのだが、今それを言うのも野暮なので黙っておく。

「だからこれからは私も何か手助け出来たらなって思ったのよ。リフテラート乗合馬車の頭たるラエルスの頼れる副官になれたらなって」


 グリフィアがそう言いだしてくれたことが予想以上に嬉しくて、ラエルスはその事に自分で驚いていた。鉄道もバスもこの世界からすれば異質な存在で、その知識は自分にしか無い。だからこそ一大事業になる事は分かってはいたが、極力自分で様々な問題を解決しながらやっていこうとしていたのだ。


 それがこんな申し出を受けて嬉しくないわけが無い。気が付けば隣に座っていたグリフィアを掻き抱いていた。

「ふぇっ!?ど、どうしたの?」

「いや…なんか予想以上に嬉しくてさ」

「そう…そうなの?じゃ、私頑張るからさ。何かできる事無いかな」


 胸元に感じる恋人グリフィアの温かみを感じながら、ラエルスはどうせ自分の知識では解決できないのでそのうち誰かに頼もうとしていた事に思い当たった。


「食堂車…いや、駅弁でもいいのか」

「なんて?」

「グリフィアって料理得意だったよな」

「得意って程でも無いけど多少ならできるよ。それがどうかした?」

「ちょっと出来るかどうか考えて欲しい事があるんだけどさ…」

 そう言ってラエルスは自分の考えを話し出した。


 今の街と街の間を結ぶ馬車にしろ建設予定の鉄道にしろ、職業や身分の貴賤に関わらず古今東西悩まされるのは一日三度の食事だ。

 王族の移動には専属調理人が付き、立ち寄った街で食材を買って途中の食事を賄うのだという。原則として露営するような危険は冒さないようなので、朝と夜の心配はしなくてもいいらしい。

 隊商の移動も似たり寄ったりで、必ず一人は料理の出来る者がおりその人が途中の街で食料を買って皆の食事を賄うのだ。


 そして冒険者はと言えば、誰か料理が出来る者がいないと地獄である。ラエルス達のパーティーではグリフィアとエルフのミアナがその役割を請け負っていたが、そうでなければ料理が不得手な人が作る事になり結果として魔獣との戦い以外で戦闘不能になる事もあるそうだ。


 さて鉄道はと言えば、これは万人が必要なお金さえ払えば乗れる交通手段である。しかしいくら馬車に比べて早いとは言え、新幹線並みの速さでもなければリフテラートと王都オルカルを食事の必要が無い程早く結ぶのは不可能だ。

 すると必然的に列車に食堂車を連結するか、もしくは駅で駅弁を供する必要が出て来るわけで、そのメニューをグリフィアに任せてみようという訳だ。


「成る程ねぇ…確かに食事は問題になるか」

「そうなんだよ。駅で売る方はどうにでもなるけど、問題は列車の中で売る方だ」

「列車?」

「あぁごめん。鉄道ってものはだな…」


 考えてみれば鉄道という概念自体がこの世界で初めてのもの。常識と思っていた単語は何一つ通じない。


「で、列車は揺れるからその中で調理出来て、かつ安定して食べられるものじゃないといけないってわけよ」

「難しそうだねなんか。そうなると冒険の時には鉄板だった鍋料理は…」

「無理だな。そもそも列車に乗り合わせるお客さんはパーティーじゃないんだし、一人一人に個別に食事を出さなきゃ」

「うーん、それって何人分ぐらい用意すればいいの?調理場とかある?あと…走りながらってなると、水はどうするの?」


 グリフィアの質問にラエルスは絶句していた。食堂車の大雑把な概要だけ説明したのに、すぐに真水の確保の問題へ切り込めるのはすごい。十分にグリフィアだって賢いじゃないか。


「どうしたの、固まっちゃって」

「いや、グリフィアの賢さと言うか頭の回転の速さに驚いてた」

「な、何がよ…」

「水の問題にまで切り込んでくるとは思わなかったからさ」

「だって…馬車で走りながら、中で調理しろって言ってるのと同じだよね。何を作るかにもよるけど、やっぱり水は欠かせないしどうするのかなって」


 疑問にラエルスは一つ一つ答えていく。

 まだあまりしっかりと考えていなかったが、想定していた1列車あたりの定員は約230人、50人乗りの普通車を4両と30人乗りの特別車を1両の計算であとは貨物車だ。

 そうなれば値段設定も考えれば60食ぐらいが妥当だろうか。


 調理場や水に関してはやはりある程度のスペースが必要なので、そこだけ二軸ボギー台車にして大型車にするのもアリかもしれない。客車は二軸車だが、ある程度の広さと水のスペースを考えると大型客車の方がいいだろう。


「あの…そのボギーなんちゃらって?」

「えーっとねぇ…ほら、どこの街だったか忘れたけど馬車に車輪増やして全長を長くしてさ。これで沢山の人や荷物が運べるって豪語してた商人がいたでしょ」

「あーいたいた!ガリスの8輪馬車だ!」


 ラエルスが引き合いに出したのは、旅の途中に立ち寄った街で話題になっていた、馬車同士を連結して4つの車輪を持つ細長い馬車を作ったガリスという男だ。


「でもガリスは結局失敗したじゃん?」

「そうそう、真っ直ぐ走る分にはいいけどカーブで曲がれなかったんだよね確か」


 確かに見ただけでは沢山のものを運べる新時代の馬車といった風体ではあったが、いざ走ってみるとカーブで曲がらないという致命的な弱点が発見された。

 真ん中の2つの車輪が地面を横に擦りながら走る事になってしまい、それが大きな抵抗になってしまうのだ。


「じゃあれを解決するにはどうすればいいと思う?」

「どうって…どうにもならないんじゃない?」

「普通に考えればね。だけど普通の二軸の馬車が走れるのならその車輪と固定する枠を台車として、枠の中央に穴を開けて自由回転できる頑丈な芯を通す。それを2つ用意して軸の上にさらに大きな箱を載せたら?」


 喋りながら紙に図解していくと、グリフィアは「あぁ」と納得したような声を上げた。


「確かにこうすればカーブも曲がれそうだね」

「これがボギー台車ってやつさ。とは言ってもこれを馬車でやると制御が大変なんだろうけど、鉄道ならその心配は要らないからね。ここに調理場と真水を積み込めば良かろうってわけよ」


 一通り説明を終えるとようやくグリフィアは話を飲み込んだような顔になった。

「ま、とにかく揺れる列車?の中で作れる範囲での料理を考えてほしいってわけね」

「そう言うこと。俺は料理はからっきしだしさしあたってリフテラートの飲食店にでも頼もうかなって思ってたんだけど、グリフィアがそう言ってくれるならと思ってさ。好意に甘えちゃう感じになると思うんだけど、いいかな?」


 そう尋ねるとグリフィアはラエルスから離れて、胸をどんと叩いた。

「まっかせなさいよ!言い出しておいてアレだけど、数字が絡む事だとちょっとって思ったけどそういう事なら得意なんだから!」


 ふんすとそう言うグリフィアはどこまでも頼もしく、なんなら魔弓の長距離射撃を任された時よりよっぽど張り切ってるんじゃないかと内心で思っていたラエルスだった。


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イチャつけ!カップルなんだから少しぐらい!

といったお気持ちです。 by作者

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