第50話 彼女は電波を乗りこなす
虹隊長への電話報告を終える頃には、時計の針は十時を回っていた。隣の家にいる相手に電話をするのもなかなか珍妙ではあるが、押しかけて行って虹の家族に迷惑をかけるわけにはいかないのでしょうがない。
ふかふかのベッドで疲れた身体を癒しながら虹に報告すること三十分。ようやく話の終わりが見えてきた。単に何があったかを伝えるだけならこれほど時間はかからなかったのだが、なにぶん当初虹がかなり取り乱していたので、なだめすかすのに時間を要してしまったのだ。
『うん。そっか。怪我とかはしてなかったんだね。うん。うん。良かった』
電波に乗って届く声はくぐもっており、時折鼻をすする音と震え交じりの言葉がそれに重なる。通話中の虹は終始そんな感じで、櫻井の無事を知った今になって、ようやく落ち着いてきたようだ。
『じゃあもう大丈夫なんだよね? ……またいつも通りに戻れるんだよね?』
「ああ。心配しなくていい」
『そっか……。あ~これでようやくぐっすり眠れるよ~』
虹は徐々に普段のテンションを取り戻していく。聞き飽きるほど聞いたはずの抜けるような明るい声が、何だか新鮮で心地よい。
「じゃあきっと寝起きも良くなるんだろうな。つーことはこれからはわざわざ俺が一緒に学校に行く必要は無いな。うんうん。これが成長ってやつかー」
『すぐそういうこと言う! もー、龍羽のバカ』
やっぱりいつもの調子が戻ってきているようだ。良かった、良かった。
『ね……龍羽……?』
「んぁ?」
『ありがとね。天音のこと、助けてくれて』
「いやいやさっきも言ったろ? 俺は何もしてないって。全部あいつが自力で成し遂げたことなんだってば」
『ううん。嘘だよそれ』
柔らかくもはっきりした口調でそう言われた。おいおい、なんでお前が嘘だって決めつけるんだよ。何、テレパシーでも使えんの?
『そんなわけないでしょ。そうじゃなくてただ龍羽の癖からそう思ってるだけ』
え、嘘。もしかして俺って虚言癖あるの? ……やったぜ。明日から詐欺師として生きていこう。
『龍羽って昔からいつもさ、なんかいいことしたときカッコつけてそれを隠そうとするんだよね』
「うぐふっ‼」
槍のようなするどい指摘に、思わず喉の奥から変な音が洩れた。うわ、恥ずかしい~。こういうのが筒抜けだから幼馴染ってやつは嫌なんだよ。
というか、そういうことは本人に言わないでくれよ。男の子的思考回路でいえば、こういうのはバレずにサラリとやってのけるのがカッコいいのであって……まあいいや。既にバレてしまっている以上、ロマンを語っていてもどうしようもない。
「じゃあ何? お前は俺が今までカッコつけてたとき、滑稽だと思ってそれを見ていたわけ?」
『ひねくれないで。別にわたしはそういうことが言いたいわけじゃないんだから』
そういうこと、って……結構大事なことだぞこれ。俺が今までの人生でどれだけカッコつけてたと思ってんの。今すぐ通話を切って枕に顔をこすりつけて「うわぁぁ‼」ってしてやろうか。そういうレベルだからな。
「まあけど実際、今日に限って言えば俺はほとんど何もしてないぞ」
『はいはい。わかったわかった。そういうことにしといてあげるから』
「いや本当に――」
『あのね、龍羽。わたしは龍羽のそういうところ、好きだよ』
スマホを介しているのに、まるで強引に唇を奪われたかのような気がした。
『わたしは龍羽のそういう優しい所が好きなの。いつも憎まれ口を叩いてうじうじ言ってるけど、でも、なんだかんだ助けてくれる。毎朝起こしに来てくれたり、おぶって帰ってきてくれたり、わたしのわがままもいつも聞いてくれるでしょ?』
耳が熱い。さっきと何も変わっていないはずなのに、さっきよりも虹の息遣いが近くに感じられる。
『わたしはそういう龍羽のカッコつけた優しさ、カッコいいと思うよ』
こうも素直に褒められると反応に困る。なんだよなんだよ急にどうしたんだよ、お前。いつもみたいに脳みそからっぽな発言をしていてくれよ。調子狂うだろ、おい。
そんな軽口もなかなか前には進まず、結局俺の口からはほんのお飾り程度の声が漏れ出てしまう。
「お、おう。そうか」
『うん、そうだよ』
もうダメだな、こりゃ。撤退撤退。これ以上話してると俺の精神が保ちそうにない。
「じゃ、じゃあな。おやすみ」
一方的に電話を切ろうとすると、虹はくすくすと笑いをこぼす。
「な、何だよ」
『ううん。何でもない』
そう言いつつもくすくす笑いはひっこむことを知らず。こちらの気持ちなどお見通しだと言わんばかりに虹は笑い続けていた。
「じゃあ切るからな」
『うん。おやすみ』
「ああ。おやすみ」
『ね、龍羽?』
「ん?」
すっ、と息を吸う音が聞こえてきた。
『愛してるよ』
クッソ‼ てめぇやっぱ確信犯じゃねぇか‼ 俺をおもちゃにしてんじゃねぇ‼
俺が何の反応も示さないことに味をしめたのか、虹は再び口を開く。
『ん? もしかして聞こえなかったのかな? あ・い・し・て――』
「俺もだ‼ バカ野郎‼」
言葉の勢いそのままに通話を切る。……ふぅ、もうこれ以上相手をしてやることはないな。あいつを調子に乗らせるとろくなことがない。さ、今日はもうソシャゲだけやって寝ちゃおう。
……。
…………。
「あぁぁぁぁぁぁやってしまったぁぁぁぁ……! 後悔しか生まれない行動を取ってしまったぁぁぁぁ……!」
なんで通話をブチぎった⁉ なんで最後にあんなこと言った⁉ 馬鹿か⁉ 俺はもしかして馬鹿なのか⁉ 脳みそからっぽなのはどっちだよ‼
枕に頭をこすりつけ、押し寄せる後悔の波をかき消そうと試みる。しかしそんなことで消える後悔ならそれはもはや後悔ではなく、つまり何が言いたいかというと十秒前に俺が犯した罪は重いということだ。あーもうこれダメだわ。断言しよう。二週間は残る。絶対二週間は悔い続ける。
脳内の記憶に禁固二週間が言い渡されたところではたと気づく。そうだ。メッセージを打てばまだ逆転の目はある。もう一度かけなおすほどのメンタルはないけど、文字だけなら何とかなる。突然通話を切った理由と、最後の言葉を上手く誤魔化すんだ。
俺はスマホの画面に目をやり、見慣れた緑の吹き出しをタップする。
通話を切ったのは充電がちょうど切れたということにしよう。ベタではあるがその分効果はテキメンのはず。……で? 俺が誰かと電話すると、必ず相手側の充電が無くなるのは一体どういうことなんですかね。
問題は最後の発言だ。肝腎なのは〝俺も〟という部分の解釈だろう。〝俺も〟何であるかは明言してないしワンチャンなんとでも騙くらかせ――。
「……? 櫻井?」
虹の名前に手が触れる前に俺のスマホはブルリと振動し、通知音が部屋に響いた。画面を見ると、どうやら櫻井からメッセージが届いたらしい。
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