第49話 天の音

「あ~あ。今日は雨宮君に勇気づけられてばっかだなあ」


 手を組んで前に突きだし、ぐーっと伸びをしながら櫻井は言葉をもらす。


「え?」

「私が西園寺さんにきちんと自分の気持ちを言えたのは、雨宮君のお蔭なんですよ?」

「そうなのか?」

「ええ。だってカッコ悪いじゃないですか。自分のことなのに他の人に怒ってもらいっぱなしなんて」

「はあ。そういうもんなのか」

「そういうもんなんです」


 ふふっとほほ笑む櫻井。

 まあ本人がそう言ってるならそうなんだろう。俺からしたらただ感情のままに憤りをぶつけていただけなんだけど、こうやって誰かの役に立つこともあるんだな。やっぱ六秒ルールはクソだわ。


「……ありがとう。雨宮君」


 吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ瞳で、真っすぐに見つめられながら。そんな言葉を言われてしまった。感謝されるようなこと何一つしていないのに。

 まあでも、ここは素直に受け取っておこう。美少女に感謝されるなんて走馬灯で蘇るレベルの人生のハイライトだしな。


「……どういたしまして」

 何とか声を上擦らせないようにしたものの、改めてこんな台詞を吐くとやっぱり心が少しむずがゆくなる。

 俺はそれを静めるように、残っていたココアを一気に飲み干す。さすがにもう温かくはない。けれど、優しく柔らかな甘さが俺の全身をぎゅっと包み込んでくれた。


「あ! もうこんな時間!」

 櫻井が腕時計に目をやりながら何やら慌て始めた。

「すいません雨宮君。私門限があるのでもう帰らないと……」

「え? まだそんなに遅い時間じゃないけど」


 はっ‼ もしやこれが噂に聞くお嬢様タイムなのだろうか‼ 午後七時以降は深夜に分類されるというあの伝説の‼

 まあ家のルールなら仕方ないな。俺だって家の決まりだけは守ってるし。まあただの飲み会なんだけど。


「よし。じゃあ行くか。お前の家ってどっちの方?」

「……?」

 質問の意味が飲み込めないのか、櫻井は不思議そうに首を傾げている。

「送っていくよ。社長令嬢を夜に一人で歩かせるわけにもいかないだろ」

「え⁉ いやいいですよ‼」

「いいっていいって」

「いや遠慮とかじゃなくてですね。私の家って駅と真逆の方にあるんですよ」

「だから?」

「たぶん雨宮君迷いますよ」

「あ……」


 そういえばさっきまで俺迷子だったんだっけ。……やべー。途端に帰れるかどうか不安になってきた。


「雨宮君の帰りも遅くなってしまいますし、私は一人でも大丈夫ですから。お気持ちだけありがたく受け取っておきます」

 そうきっぱりと言われてしまうと、こちらとしても無理強いするわけにもいかない。


「わかった。じゃ、気をつけてな」

「はい。雨宮君もお気をつけて」

 そう言うと俺たちはベンチから立ち上がり、互いに背を向けて歩きだした。

「あ、そういえば。最後に一つだけいいか?」

「はい?」


 黒髪を夜風に走らせながら櫻井が振り返る。


「西園寺たちと茜高校に行った日って土曜日だったろ? なんで休日なのにあいつらは制服着てたんだ?」

 俺のくだらない問いに、櫻井は苦笑いしながらも答えてくれた。

「白椿の校則だからですよ。白椿女学院に所属している生徒は、外出する際は絶対制服を着ていなきゃならないんです」

「軍隊かよ……」


 何そのワケのわからない校則。お嬢様ってのもやっぱり色々大変なんだな。


「引き留めて悪かったな。じゃ、今度こそ気をつけて」

「はい。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 別れの挨拶を告げ、俺たちは街灯を頼りに夜闇を歩き始めた。

「校則……か」


 お嬢様に限った話ではないが、何かであり続けるというのは実は本当に大変なことなのだと思う。誰しも、自分が自分であるために相当な努力を積んでいる。自覚しているかどうかはさておいて、だが。


 でもそれはときに、人に「変化」を嫌わせる。アイデンティティーを喪失すまいとして、がちがちに凝り固まってしまうのだ。


 告白する時に勇気がいるのも、思いやりの気持ちを飲み込んでしまうのも、素直に謝れないのも、つまりはそういうことなのかもしれない。怖いのだ。自分を変えてしまうのが、他人を変えてしまうのが。


 だからこそ。


 だからこそ俺は、「変化」を望む人を心から応援しよう。一歩が踏み出せないなら背中を押し、心が折れそうならつなぎとめる。そうやって迷える子羊を導ける人間になろう。


「なんてな」


 柄にもなく気障なことを考えてしまった。後から思い出して恥ずかしくなるタイプの奴だ、コレ。

 携帯を取り出し、時刻表を検索する。うん、この時間なら次の電車に間に合いそうだ。


 ふいに、ハシビンと目が合う。相変わらず極道みたいな目してんな、お前。


 ……けど。


「よ~く見たらお前も結構可愛いかもな、ハシビン」


 なんだか少しだけ微笑んでくれてるような気がして。初めてハシビンを可愛く思えた。……ストラップに話しかけるとか今の俺超不審者。


 駅前に近づくに連れ街の明かりが強くなってきた。しかしそれでも空に瞬く星の光は力強く、しっかりと目に届いてくる。


 星と星とを結び付けて一つの星座とみなすことがある。それは今の時代、あたかも一定不変のような顔をして鎮座しているが、もともとは時の流れと共に様々な形に組みなおされてきたものだ。


 だから大丈夫。きっと今からでも新しい星座は描ける。新たな繋がりは結べる。


 アップテンポな第二楽章を奏で始めた天の音色に、俺はしばらく耳を傾けた。

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