第48話 その糸は冬を越えて
自分自身の口で謝ることの難しさを知った彼女は、他人を使う道を考えた。
現在の櫻井の友達は――もし、自分と櫻井の過去について知っているような間柄であれば――きっと自分のことを良く思ってはいない。当然、過去の自分の罪を責め、咎め、詰ってくることだろう。
「自分への非難を受け入れることは、西園寺なりの過去の過ちに対する懺悔だったんだと思う。ほら、あいつお嬢様だから今まで他人に謝ったことなんてなかったんだろ」
「それは偏見ですよ……」
「でも、他人とのコミュニケーションが上手とは言えないだろ? きっとどうしていいかわからなかったんだよ、あいつも」
それは、ひどく手際の悪いやり方だと思う。でも彼女なりの精一杯だったのではないかと、俺にはそう思えてならないのだ。
「今の私の姿がどうっていうのは?」
「ああ、それはな。きっと西園寺は櫻井に対して申し訳なく思うのと同時に、すごく心配していたんだと思う」
「心配……ですか」
「ああ。友達がいるか訊いてきたり、わざわざ学校まで見に行ったりさ。今のお前の生活が気になって仕方なかったんだろうな」
「……」
「会話のシュミレーションもその一環。俺が櫻井の友人として相応しい人間かどうか量ってたんだろ。あの挑発じみた発言も、俺と櫻井の関係の深さを知るためのブラフみたいなもんだったんじゃないか?」
だとしてもドブネズミ発言は頂けないけどな。今こそ全世界のヌートリアは断固として声を上げるべきだ。って何の話だよ。
「なんで今の私のことなんか……」
「そりゃ心配もするだろ」
だってそれは、かつて自分が櫻井から奪ってしまったものだから。
友情とか、信頼とか、思い出とか。そんな甘ったるい言葉では済まされないほどたくさんのものを、俺たちは小学生の時に手に入れている。そしてそれらはときに、歳を取ってからじゃ手に入らないものだったりもする。
西園寺は自分のせいで櫻井が手にできなかったものの大きさに気づいたのだろう。そしてそれが自分の力では贖えないものであるということにも。
だから西園寺にとって、自分が櫻井の友人と出会い、断罪されるということに大きな意味があった。自分の過ちを受け止めるだけでなく、今の櫻井を取り巻く環境についても知ることができるのだから。
櫻井はそんな俺の話を聞いている間、じっと夜闇を見つめていた。まるで何かを悔いているかのように、西園寺が消えていった方向から目を離そうともせず。
「私酷いこと言っちゃいましたかね……。もう関わらないで、なんて……」
「いや。あれで正解なんだよ、櫻井」
「やっぱりそうですよn……え?」
素っ頓狂な声を上げる櫻井。いつかの店員を彷彿とさせる目の見開きっぷりだ。
「正解なんだって。あれでいいんだよ」
「え? あの……え?」
語彙力が二歳児レベルまで低下してるぞ。
「お前は緊張してたから気づいてなかったのかもしれないけど、お前があの台詞を言った時、あいつ笑ってたんだよ。すごく安心したような顔してさ」
「……へ?」
「ほっとしたんだろうな。昔みたいにただやられるだけじゃなくて、櫻井が自分の気持ちをぶつけられるようになっていて。きっと西園寺は、櫻井が櫻井自身の意志によって自分との関係を絶つことが、二人にとって最善だと思ったんだろうな」
歩み寄るのではなくゼロにする。それが、彼女が櫻井との凸凹した関係を均すために取った方法だった。
絡まった糸をほどこうともがいた彼女は、しかし自分自身が不器用であることに気がついたのだ。なにせ既に手の付けられない状態であったのに、さらにややこしくしてしまったのだから。
そこで彼女はその糸を切ることにした。絡まった部分を切り捨ててしまえば、また新たな糸を繰り出せる。
ただそれは櫻井の手によって切られなければならなかった。自分が切り落としたのでは、結局何も変わらないから。櫻井の心のしこりを解きほぐすことはできないから。
「だから櫻井、お前は何も間違って……ない……ぞ……」
見ると、櫻井は静かに涙をこぼしていた。
「あ、あれ……? 私……なんで…………?」
櫻井は萌え袖をハンカチがわりに何度も顔を拭う。しかし、拭うたびにそこからまたぼろぼろと雫がしたたり続けていた。
……ああ、そうだった。こいつは本当に優しい心の持ち主なんだった。きっと西園寺のちぐはぐな行動の意味を知った今、彼女を跳ね除けてしまったことに申し訳なさを感じているのだろう。かつて自分の事をいじめていた相手だというのに。
本当、ここ最近は女の子を泣かせてばっかりで弱る。来世はタマネギで確定だな、こりゃ。
「落ち着け櫻井。これはあくまでも俺の憶測だし、絶対にそうだとは言い切れないから。それに――」
俺の言葉をぶんぶんと振った首で遮り、櫻井は震え交じりの声を絞る。
「いえ……きっと雨宮君の言った通りなんです……! 思い返してみれば西園寺さんは私に何ひとつ酷いことをしなくなっていた……いや、それどころかすごく親切にしてくれていたのに……! それなのに……それなのに私……‼」
「落ち着けって。まだ俺の話は終わってないから」
櫻井の両肩をがしっと押さえる。
「しがらみが解けたんなら、その後どうするかは櫻井、お前次第だ」
櫻井はスタンプのウサギのように真っ赤な瞳で俺を見上げる。
「まだ糸は残ってる。この糸を結ぶも捨てるも、全部お前次第なんだよ」
「私……次第……?」
「ああ」
俺は櫻井の目をしっかりと見つめ、大きく頷いた。
人間関係というものは、さながら砂城のようにいとも容易く崩れてしまうものである。だからこそ、ある幼馴染は次の一歩を躊躇い、あるストーカーは純粋な優しさを躊躇した。
けれどそれと同時に、人間はいくらでもやり直すことが出来る。砂の城が波に砕かれたなら、また作り直せばいい。風で削られたなら、そこを埋めればいい。誰かに踏みつぶされたなら、そいつも巻き込んでもっと豪華な城を建てればいい。
そうやって人類の繋がりってのは脈々と続いてきたんだと思う。一度縁が切れたらおしまい、なんていう悲しい生物だったら、たぶんとっくに絶滅してる。
幸いなことにこの国には「雨降って地固まる」という言葉がある。それはつまり砂よりも泥の方が城は建てやすいってことだ。そうだろ?
「……今日」
いつのまにか、櫻井は泣き止んでいた。
「今日帰ったら西園寺さんに電話してみようと思います」
「……おう!」
まだ目元は腫れぼったいけど、そんだけ優しく笑えるなら大丈夫だな。
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