第44話 決着

 きっとこれは、彼女の初めての拒絶だったのだろう。


 膨らみ切った水風船が割れるように、整列したドミノが倒れていくように、画用紙に色が乗っていくように。


 初めての変化というものは、いつだって力強くて、不可逆的で、インパクトに溢れていて。


 だからだろう。しばらくの静寂の後に西園寺がこくりと頷いたのは。


「……言うようになったじゃない」


 西園寺はいつもの毒を取り戻しながら、どこか安心したような笑顔を浮かべて呟いた。

「櫻井さん、あなたに声をかけるのはやめてあげる。別にわざわざあなたなんかに話しかけるメリットもないし。せっかくのおもちゃを失うのは勿体ないけど、最後くらいはわがままをきいてあげるわ」

 ……こいつなんでこんなに偉そうなの? お前は許していただく側だろうが。奥歯抜いて背骨に突き刺すぞこら。


 まあでもこれは櫻井と西園寺、二人の間の話だ。櫻井が自分の気持ちをきちんと言葉にできるようになった以上、俺は口を挟むべきではないだろう。

 西園寺は俯きがちだった顔をしっかりと上げ、ふわりとした巻き髪を夜風にはためかせながら続ける。


「ただこれだけは言っておきますけど、櫻井さん。今ので私を助けたなんてゆめゆめ思わないことね。雨宮さんを止めないと困るのはお互い様ですもの」

 お互い様? どういう意味だ?

 そう思って櫻井を見るも、彼女はわかっているとでも言いたげに頷いているだけだ。


「清水、橘行きますわよ」

 それを見て西園寺も満足したのか、取り巻き二人を連れて俺たちに背を向けた。……何この蚊帳の外感。ねえねえ俺にも教えてよぉ。


「あ、最後に一つ」

 くるりと振り向く西園寺。巻き髪が街灯に煌めく。

「櫻井さん。そのドブネズミみたいな彼氏、絶対に手放してはいけませんわよ。見た目はアレでも、写真には写らない美しさはあるみたいですから」


 それじゃ、と言って片手を挙げつつ白い制服は夜闇に溶けていった。

 ……ん? 俺は今、褒められたのか? いや、ドブネズミとか言われてるから貶されてるのか。ま、どっちにしろ今まで吐かれた毒の分も加味したら余裕で赤字だけどな。

 少し眺めているだけで、西園寺達の姿は全く見えなくなった。どうやら夜はだんだんとその濃度を上げているようだ。


「ふぇ~~緊張した~~……」

 黒髪の美少女が、凛とした普段の姿からは想像もつかないような情けない声を出しながらもたれかかってきた。だいぶ気を張り詰めていたらしい。

 まあそりゃそうか。長年自分をいじめ続けていた相手とやりあったんだからな。


「とりあえず、そこ座るか?」

 俺は櫻井を支えながら、ベンチに誘導する。櫻井は返事をする気力もないのか、なすがままだ。


 櫻井を座らせ、俺も隣に腰かける。

 ふと空を見上げると、星々が光のオーケストラを奏でていた。梅雨じみた重い空気はいつのまにか吹き飛んでいたようだ。


 とにかく一件落着か……。櫻井に聞きたいことはまだ残っているけど、それは彼女がもう少し落ち着いてからにしよう。

 隣に座る櫻井は未だ少しふらふらしており、話が聞けるようになるまではもうしばらく時間がかかりそうだ。


 俺は握りこぶし一個分ほど彼女との距離を詰めると、天の音色に耳を傾けるために、再び夜空に目を向けることにした。

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