第42話 他人の痛みは知りえない

 西園寺は身を捩るが所詮は非力な女子高生。男子の力の前に為す術はない。


「清水! 橘! 何をしてるのっ! は、早くこの男をっ!」


 すると西園寺の呼びかけに応じ、先ほどまで黙って突っ立っていた取り巻き二人が、俺を引き剥がしにかかってきた。


「くっ――!」

 さすがに三対一じゃ分が悪い。おまけに取り巻きの奴ら(清水と橘とかいったか)は普段から用心棒のようなこともしているのか動きも機敏だ。


 これは敵わないと思い、俺は西園寺の襟元からさっと手を離した。


 ほんの数秒間の出来事なのに、頭に血が上るような感覚はとっくに鳴りを潜め俺は冷静さを取り戻していた。……六秒ルールもバカにしたもんじゃないな。

 西園寺は乱れた襟元を直し、埃を払うかのように胸元をはたく。こちらを睨み付ける瞳は先ほどまでの覇気に加え赤みがかった潤いを帯びていた。


「正当化? 何も……何も知らないくせに勝手に知った口を利かないでもらえるかしら⁉」

 西園寺の口から飛び出た言葉は直前に俺がはたらいた狼藉に対する非難ではなく、あくまでも俺の発言に対する反論であった。


「何も知らないのは西園寺、お前の方だろう? 一人の人間を傷つけ続けたことの罪の重さ、孤独の痛み……お前は何も知らない! 何も知らないからこうやって、のうのうと櫻井に話しかけたりできるんだろ⁉」


 喉の奥がくっと痛くなってくる。込み上げてくる熱いものを無理に押しとどめている証拠だ。瞼に水滴がまとわりついて視界がぼやけている。


 ふっと、走馬灯のようにいつかの思い出が蘇ってきた。

 櫻井と初めて出会った時の記憶だ。同じクラスに絶世の美女がいると、男子たちが沸き立っていたことをよく覚えている。誰だよ、この子は。どこの小学校から来たんだ。え? マジ? 白椿から来てんの? どうりで誰も知らないわけだよ。おい、お前ちょっと名前聞いて来いって! 

 そんな風に周りに騒がれているのに、櫻井はもの憂げな表情を崩すことなく、ただぼんやりと黒板を眺めていた。今思えば彼女が見つめていたのは、その時まで背負ってきた重荷とこれからも抱えなければならない記憶だったのだろう。そしてそれは白椿から俺たちの街までの数駅分の旅路で捨てきれるようなものではなかった。


 櫻井は今までそれにずっとずっと耐え続けてきたのだ。

 だから。

 だから何も知らない西園寺に、何も知らないなどと糾弾されたくはなかった。俺が全てを知っている訳でもなく、むしろ最近まで本当に何も知らなかった身であるというのに。


「……知らないわよ」


 西園寺は俯きながらも静かに呟いた。

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