第35話 こいつずっと走ってんな

 雲に覆われた湿り気のある空は、時間と共にその薄暗さを確実に増している。


 その淀みとは反対に、左右に目をやれば地中海の島を彷彿とさせるような真っ白な外壁の一軒家が立ち並んでいる。槍のように鋭い豪奢な黒門とそこから覗く青い芝生。館の玄関へは、しっかりと舗装された道が一筋の線を描いていた。


 正直、ここまで苦戦するとは思っていなかった。

 豪邸の立ち並ぶ街中を、少し気後れしながらも走っていた俺は、いつのまにかその迷路に飲み込まれてしまっていた。お金持ちの趣味嗜好は大概似たようなものなのか、この街の建物は皆似たり寄ったりだ。良く言えば統一感のある、悪く言えば代わり映えの無い景色が延々と続く。


 始めの方はどの角を曲がったのかとかを気にしながら走っていたのだが、この白い風景の中にいつまでもあの黒髪が見つからないことに段々と焦りを覚え、ついには迷子になってしまった。我ながら情けない。

 もう既に何度か見たような気さえする豪勢な門の前を曲がり、とにかく俺は懸命に足を動かし続ける。


「……あれは……」

 話し声が聞こえたような気がして顔を上げると、数メートル先に白椿女学院の生徒と思しき二人組の姿があった。

「あのー! すいませーん!」

 彼女たちの後ろから駆け寄り、話しかける。もしかしたら何か情報を得られるかもしれない。


「きゃあっ! 何ですの⁉ あなたは!」

「突然お声がけしてすみません。驚かせるつもりは無かったのですが……」

 振り返ったその人たちは、明らかにこの街に不釣り合いな俺の姿に心底驚いているようだった。

 ゆるく巻かれた髪の毛が可愛らしい二人組。上品ながらも華やかで整った顔立ちは、いかにも白椿っていう感じがする。……というか〝ですの口調〟って本当に存在したんだ。ぜひジャッジメントしてほしい。


 俺はそんな欲望をぐっとこらえ話を進める。

「この辺りで茜高校の制服を着た女子生徒を見かけませんでしたか?」

 そう問うと、二人は顔を見合わせ首を傾げる。どうやら櫻井の姿は見なかったようだ。

「茜高校? 聞いたことのない学校ですわね。白椿女学院以外でこの辺りに学校があるなんて知りませんでしたわ」


 あ、そっち⁉ え、何この付近じゃ学校=白椿なの? ……鎖国?


「あー、えーとじゃあその、白椿じゃない制服を着た女学生は……?」

 もうしどろもどろである。

「そういえば先ほど西園寺様達が、見慣れない制服を着た女性と話していらしたような……」

 今まで喋っていなかったほうの子が口を開いた。


「ああ! 確かにそうでしたわね。大変仲睦まじい様子でございましたけど、それがどうかなさいまして?」

 仲睦まじい? おかしいな……。櫻井がいじめられているのだとしたら、どう見てもそんな風には見えないはずだが……。別人かもしれんな。

 いや、しかしここは藁にでもなんでも、とにかくすがるしかない。

「ちなみにそれ、どこで見かけました?」

「あちらの公園の方です」


 そう言って彼女が指さしたのはちょうど俺の背後の方。

「さっき通りかかったときにお見掛けしましたので、まだそこにいらっしゃると思われますわ」

「ありがとうございます! 助かります!」


 俺は礼を述べその場を後にする。とにかくその公園とやらを見つけなければ話にならん。口ぶりからするとそう遠くはないはずなので、通り過ぎてしまわないようにしないと。

 そういえば、さっきの人たちは男の俺とも普通に話せてたな。白椿だからといって皆が皆男性恐怖症というわけではないらしい。


 まあそりゃそうか。男の兄弟持ちの奴だっているだろうし、この近辺に住む父親の方々は娘が万年反抗期みたいになってたら精神が持たないだろうし。

 櫻井の場合は単に男が苦手なだけじゃなくて、いじめを受けた経験から対人関係に不安を抱いていたのも原因であそこまで極端な形になったんだろう。


 そんなことを考えているとすぐに、緑の芝生が目に美しい公園が見えてきた。

 公園といっても遊具などがあるわけではなく、だだっ広い土地に所々トピアリーや噴水が設置された上品なタイプの公園だ。


 その一角、等間隔に並んだ街灯の下にいくつかベンチが置かれている。端っこの方から順々にそのベンチに目を走らせていき――見つけた。雪のように真っ白な白椿女学院の制服がいくつか並んだ姿、そしてそれと対照的に澄み渡るような黒髪を。


 ベンチの中央に腰かけているのが櫻井のようだ。左右を囲むように白椿の生徒たちが数名座っている。その様は一見すると本当に友達同士の会話にしか見えない。正直俺も虚を突かれたような気分だ。


 いや、いくらいじめといえどもさすがにお嬢様学校の生徒だから、オラオラな武闘系いじめではないと思ってたけどさ。でもこう、何というか陰湿な嫌がらせのようなものが繰り広げられているのだろうと想像していたのに。例えばこのベンチをぶん投げて「おめーの席、ねぇから‼」みたいな。……いやそれはだいぶ武闘派だな。

 とにかく、今俺が見ている状況はさっきの女子達のように「仲睦まじい」と形容するに相応しいものだった。


 しかしだからといって、ここで手をこまねいている訳にもいかない。何はともあれいじめの有無を確認しなければ。ただの誤解ならばそれはそれで良いことだし、あとで適当に謝っておけば済むだけの話だ。


 空はまだそこまで暗くない。頭上の街灯に灯りが点くまでには、まだしばらく時間がありそうだ。

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