第33話 過去とヒーロー

「……雨宮君は知ってます? 私がどうして白椿から転校してきたか」


「え?」


 意外な切り口からの返しだったので少々面食らってしまった。

 軽快な駅メロと共に、電車は再び動き出す。

「虹から聞いていません? どうして私が虹と出会い、そして親友にまでなったのか」


 脈絡をどこかにぶん投げてきたかのような発言だが、櫻井的には至って本気らしい。彼女の瞳はそう語る。

 過去を語る多くの人のように遠い目をすることも無く。櫻井は淡々と語り始めた。


「私……いじめられてたんです。小学生の頃。ええ。白椿女学院に通っていた時のことです」

 語り始めた内容の悲しさとは裏腹に、全く悲壮感を感じさせずに彼女は続ける。

「入学したての頃は良かったんです。初めの頃は、ほぼほぼ幼稚園生みたいなものですし、皆ピュアだから。でも……女子校の定めなんですかね。学年が上がるにつれてスクールカーストみたいなものが出来上がっちゃって……」


 女子の精神の発達は同年代の男子よりも数年分早いと聞く。小学校高学年の女子ともなれば、いくら子供といえども上下関係の一つや二つ生まれるのは当然だろう。

「そしたら、力のあるグループに睨まれちゃったんですよ、私」

「え? なんでだ? 櫻井ぐらい勉強も運動もできれば、そのカーストのトップになっても良さそうなものなのに」

「まさにそれですよ。それが裏目に出たんです」


 櫻井はどこか自嘲気味に笑う。

「自分で言うのも何なんですけど、私小さい頃から運動も勉強も人並み以上に良くできてたんですよね。だから賞とかも色々頂いたし、先生方からの評判も良かったんです。それこそ低学年の頃は周りの皆も凄い、凄いって褒めてくれてたんですけどね」


 でも、と彼女は続ける。

「やっぱりお嬢様の集まりみたいな学校ですからね。家では自分が一番なのに、学校ではなんであの子ばっかり、ってなったんでしょう。だんだん私はハブられるようになっていきました。調子に乗ってるとか、何様なのとか……。それはそれは陰口を叩かれたものです」

 なるほど。まあ小学生なんて構ってほしいの盛りみたいな時期だ。その時に先生を含む周りの人間皆が特定個人ばかりを褒めたたえていたら、確かに面白くはないだろう。


「思い返せばたいしたことない内容なんですけどね。それでも幼かった私にはこたえたんです、結構」

「だから公立の中学校に転校してきたのか。一貫教育の白椿から抜けて」

 櫻井はコクリと頷く。

「耐えきれなかったんです。だから両親に頼んで公立に転校させてもらいました。私の両親は優しい人たちなので、気づいてあげられなくてごめんねって泣きながら謝ってくれましたけど……今思えば正直それが一番キツかったですね」


 櫻井はふぅと息を吐く。

「……大変だったんだな」

「まあそれなりには。あ、でも別に当時の彼女たちのことを恨んだりはしてませんよ? 彼女たちのお蔭でこうして雨宮君や虹に出会えたのですから」

 そう言って彼女は笑う。ただそれだけで場の空気が和やかになるのは、もう魔法としか思えんな、こりゃ。


「それでも中学校に入りたての時は、ちょっぴり後悔もしたんですけどね。周りは知らない人ばっかりだし、その人たちは皆お互いに顔見知りみたいだし。結局独りぼっちならどっちの学校にいても同じなんじゃないかって」

「あー、確かにうちの中学はほとんどが一つの小学校からの持ち上がりだったもんな」

「ええ。でもその時に私に声をかけてくれたのが、他でもない虹だったんです」

 櫻井は懐かしそうに目を細める。

「同じクラスになってすぐに虹は話しかけてくれたんですけど、始めは私も戸惑っちゃってどう返事したらいいのかわからなかったんです。ほら、あの子ってガンガン話しかけてくるような熱があるから。その困惑のせいで、私にも話しかけにくいオーラみたいなのがだいぶ出ていたと思うんですけど、それでもめげずにずっと声をかけてくれて……嬉しかったなあ。今でもはっきり思い出せます、あの頃の事」


 うっとりとした表情を浮かべる櫻井。確かに良い話だ。良い話ではあるんだけど……。

「ちょっと待て、櫻井。君の生い立ちについては良くわかったが、肝心のお悩みの内容が全然伝わってこないんだが……」

「今の話で結構ヒントは出したんですけどね。……でもこれ以上は教えられません。だって私の悩みは雨宮君にはどうしようもできないことだから」


 目的地が近づいていることを知らせるアナウンスが車内に広がる。車窓からはいかにも高級そうな住宅がぽつぽつと見え始めていた。


 櫻井は立ち上がり、電車から降りる準備を始める。

「虹にも頼るつもりはありません。あれ以来空気が悪くなっちゃったし、虹が居たところでやっぱりどうしようもないと思いますし。それに――」

 あれ、というのは虹も言っていたように俺抜きで二人で帰っていた時のことだろう。


 電車は完全に停車し、扉が開いた。俺も慌ててドアの方に向かう。


 プラットホームに降りた彼女は、その背中で付いて来るなと語っていた。


「――これ以上ヒーローの手を煩わせるわけにもいきませんから」


 穏やかに、されど力強く。

 そう言い残した櫻井をただ見つめ。


 静かなホームに、俺は一人取り残されてしまった。

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