第31話 Run Run 龍羽
学校から駅まではたいした距離ではない。
毎朝半強制的にハードなランニングをこなしている俺からすれば、息切れを起こすほどでもなく、今のところ一定のスピードを維持したまま走れている。雲が多いおかげで暑さという枷が少ないのもありがたい。
櫻井と帰るときのいつものルートをひた走る。駅まではあと少しだが、現時点で櫻井と思しき姿は見えず、俺は多少の焦りを覚え始めていた。
「車でも呼んだのか……?」
もしくはその辺でタクシーでも捕まえたのか。お嬢様だから財布の心配はいらないだろうし、それぐらいはありえそうだ。
櫻井に電話をかける、というのも一つの手ではあるが……あそこまで虹を突っぱねているほどだしな……。望みは薄いだろう。
というか今更だが、駅までに見つからなかったらどうすりゃいいんだ? 普段は駅まで見送ってさよならバイバイだからな。その後どの電車に乗って帰ってるのか知らんぞ、俺。住所も聞いたことないから路線すらわからないし……。
まあその時はその時だ。今から先のことを心配していてもしょうがない。
角を曲がる。
駅はもう目の前だが、そこで丁度信号に引っ掛かってしまった。無情に灯る薄黒い赤が腹立たしい。
呼吸を落ち着け、前を見やる。駅前の広場には人がごった返しており、櫻井の姿を見つけようにもまず個人を判別するのが難しいレベルだ。加えて、目の前を通っていく車が視界を妨げるのも良くない。
あ~もう、赤信号のせいで! くそ、今日から日本の法律が変わって赤も「進め」にならないかな。あ、もちろん青も「進め」のままで。わーい。刺激のある毎日のできあがりだ。
などとふざけていたら幸運にも――見つけた。綺麗な黒髪を持つ、見慣れたうしろ姿を。
櫻井は相変わらず暴力的なまでに美しく、一度その姿を見つけてしまえばそこから溢れ出るオーラのお蔭で見失わずに済むのがありがたい。
車の流れが止まり、もうすぐ信号が青に変わることがわかる。ただそれと時を同じくして、櫻井は今にも駅舎に入らんとしていた。ここから全速力で走っても間に合うかどうか……。
櫻井が先に改札をぬけてしまうことも考慮して、念のためICカードだけは取り出しておこう。残高いくら入ってたっけな。あれって知らず知らずのうちに使っちゃうんだよなー。スイスイお買い物できちゃって問題ないからさ。
青。
足に力を込め、全力で蹴りだす。アスファルトの感触が脚を伝わる。
信号を渡ってしまえば、駅舎はもう目と鼻の先。虹隊長に命じられた任務もなんとか遂行できそうだ。
櫻井の姿はまだ見えている。だがしかし、駅前広場までたどり着いてしまうと、人だかりのせいで前に進むことが難しくなってしまった。
スーパーのタイムセールに通い慣れた歴戦のおばさ……もとい猛者達ならともかく、一般人の俺には人込みを分け入って進んでいくという行為はあまりにハードルが高く、当然スピードを緩めることになる。
さらに悪いことに、俺よりも背の高い奴らが櫻井を視認することすらも阻んでくる。俺も決して背が低い方ではないが、それでもなお高身長の奴らがこれだけいるというのは驚きだ。全員がヒールを履いているのだと信じたい。もしくは変なキノコを食ったことによる一時的な巨大化だとか。
そんな益体も無いことを考えつつも、身体を必死に動かし前に進む。櫻井の姿は今やとっくに見えなくなってしまっているが、ここで止まるわけにはいかない。
どうにか人垣を抜け、ついに改札のあたりにでた。
「――っ!」
しかしそこに櫻井の姿は無く、ピーンポーンというあの謎の音だけが虚しく響いていた。立ち止まってしまった俺の横を、サラリーマン風の男性やかしましい女子高生達が邪魔くさそうに避けていく。
くそ、見失っちまった。だがここまで来ておめおめと引き下がるわけにもいかない。勘の勝負ではあるが、いちかばちか改札の先で見つけられることに懸けよう。
この駅を通る路線は三つ。ホーム間の距離と電車が来る頻度から考えると、櫻井が電車に乗る前に探せるホームはせいぜい一つか二つだ。虱潰しに全部を探していられるだけの時間的猶予はない。
ならまずは、櫻井の住んでいそうなところからアタリを付けるしかあるまい。虹に電話をかけて確かめるのが最も確実だが、正直この騒がしさでは正確に聞き取れる自信がない。それに俺は難聴主人公を目指してるからな。あれでしょ? 耳が遠いとなぜか知らんけどモテるんでしょ?
そこまで考えてはたと気づく。メッセージを送信しておけばまだ可能性はあるのではなかろうか。もし仮に返事が来なかったとしてもマイナスは無いし、返事が来たらそのメリットは計り知れない。一分一秒も惜しい今、メッセージを打ち込むのに時間をかけるのは痛い気もするが、得られるものから考えれば投資に値する程度の時間だろう。
俺は急いでアプリを立ち上げ、スカスカな虹とのトーク画面を開く。
龍羽≫櫻井の住所を教えてくれ
相変わらず味付けの薄い文章で用件を伝える。果たして返事が来るかどうか。……とりあえず通知音は最大にしておこう。
虹に訊いておいてなんだが、櫻井の住所に全くの手がかりが無いというわけではない。
櫻井はもともと超が付くほどのお嬢様だ。だとしたら、その家も高級住宅街にあると考えるのが自然だろう。
この辺りでそういった富裕層に人気の土地は、数えるほどしかない。その中でも最も規模が大きいのはあの町なのだが……果たしてここを通る路線がそこの最寄駅に止まるかどうか。
改札脇に掲げられた路線図を見上げる。
「……あった」
最も確率が高いと思われる駅は、この駅と数駅程の距離で繋がっていた。
目星をつけた路線目がけて再び走り出す。改札においては使い慣れていないICカードを心持ち慎重にかざす。小さな電子音の後にゲートが開いた。
まるで発車までのタイムリミットを表しているかのような残高の少なさに多少の焦りを感じつつ、それを振り払うように足を進める。
目指すホームは改札を抜けてすぐに左へ曲がった先。あまり駅を利用しない俺は、柱や壁に描かれた矢印を盲目的に信じながら進んでいく。この案内板によって実は遠回りさせられてるとかだったら死ぬまで許さん。下手したらどんな詐欺よりも悪質だろ、それ。
ホームへの階段を駆け上る。途中に見えた電光掲示板の表示を見るに、次の電車が出るまではあと一分。もし櫻井がこの路線を利用しているのならば、今ホームに止まっているこの車両に乗っているとみて間違いないだろう。
車両の窓を覗きながら、櫻井の姿を探す。
顔を横に向け、身体は前に。傍から見たら不審者にしか見えないが、そんなことを気にしている余裕はない。
いない、いない、いない、いない。
あれだけオーラのある女の子だ。少しでも視界に入ればすぐに気づけるはずなのに……。
発車を告げるアナウンスが鳴り始める。
しかし、それと同時に聞き慣れたメロディが手の中から響いてきた。
スマホの画面を開くと、虹からの返信がある。
「……ビンゴ」
画面に書かれた土地の名は、俺の予想とピッタリ合致していた。
なら十中八九、櫻井はこの列車に乗っているはずだ。
発車メロディがホームに鳴り響き始めた。
考えるより先に身体が動く。
気づくと俺は、閉まりかけたドアの隙間から電車に飛び乗っていた。そんな俺を責め立てるかのように「駆け込み乗車はお止めください」というアナウンスが聞こえてくる。違うんだよ。俺は電車に乗ったんじゃなくてプラットホームを走って離れただけ。たまたまその先に電車があったのが悪い。俺は無実。
屁理屈をこね、自分を正当化しておく。これが俺流の精神健康法だ。責任転嫁こそストレスの多い現代社会に最も求められているものだと思う。皆が皆他人のせいにして生きてれば、誰のせいにもならない。平和な世界の完成だ。
息を整えつつ、つい余計なことを考えてしまった。
まあしかし、電車に乗ってしまえばこっちのもんだ。目的地までの数駅の間で車両内を移動して櫻井を探すもよし、恐らく櫻井が降りるだろう駅で彼女に話しかけるもよし。時間に追われることが無くなった今、心の余裕も出るというものだ。……ま、それもこれも櫻井がこの電車に乗っているっていう前提のもとでの話なんですけどね。
車内はスカスカではないが満員という程でもなく、探せばすぐに座席を見つけられそうだ。目的地までの間、座って落ち着こうかな。
座席を探すために左右を見渡したまさにその時、俺は見つけた。
壁際に立ち驚いたようにこちらを見つめる、彼女の姿を――。
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