第30話 ギュッとしてダッシュ

 目を覚ますと、丁度授業が終わるころだった。

 寝てるのがナチュラルになってしまっている自分の授業態度が恐ろしい。というかそれを起こそうとしないってことは、先生方ももう諦めてるってことなのでは? やばい。引き返せない所まで来てしまった。これが地平線の向こう側か……。


 などとふざけている場合ではない。授業時間になればどんな環境でも安眠できるらしい脳みそを叩き起こし、俺はどうにか放課後のミッションを思い出す。

 委員長の号令がかかり、授業が終了する。クラスメートたちは、授業が終了した開放感からか、自由を得た小鳥のようにピーチクパーチク騒ぎ出す。良いなあ。俺もそんな感覚を味わってみたいもんだよ。寝落ちした者には、虚無感と雀の涙ほどの罪悪感が残るばかりだ。


 開いてもいない教科書を机から取り出し、リュックに詰める。きっとこのあと、虹が櫻井を連れ立って俺の机に来るはずだ。それまでに帰り支度を済ませておかないと。


「龍羽~帰ろ~」

 案の定すぐさま虹がやってきた。

 しかしその後ろに櫻井の姿は見えず、代わりに見えたのは虹の寂しげな表情だけだった。


「……櫻井は?」

 虹は静かに首を横に振る。

「……今日も忙しいって」

「またかよ……」

 いくらなんでもおかしいだろ。


 あまりにも忙しすぎやしないか。ブラック企業にでも勤めてんのか、櫻井は。あのお嬢様が? 考えられん。そもそもいくら忙しいと言っても、俺達と帰ろうが一人で帰ろうが、帰宅にかかる時間には大差ないだろ。車でも手配しているのならともかく、そんな様子も無いみたいだし。

 それに俺はチャイムマンからあんな話を聞かされてしまっている。そうなると「忙しい」という言葉をそのまま信じる方が難しい。


「虹は何か聞いてないのか?」

「ううん、何も。……龍羽が一人で帰った日あったでしょ? うん、脱皮祭の日。あの時天音と二人で帰ったんだけど、その時に一応それとなくは訊いてみたの。『この間野暮用があったって言ってたけど何があったの?』って。でも全然。適当にはぐらかされちゃった」


 虹は俯きがちに続ける。

「もしかしたら嫌われるようなことをしちゃったかもしれないって思って、その後はその件については触れないようにしてたんだけど……そしたら前みたいに普通に話してくれなくなっちゃって……。わたしももうどうしていいのか……わからないの……」

 ついに虹は涙ぐみ始めてしまった。

「天音に今何が起きてるのかわかんないけど……でも絶対に良くないことだと思うの……。だからわたしには頼ってほしいのに……友達のはずなのに……親友のはずなのに……」


 心の優しい虹のことだ。櫻井が何か悩みを抱えていることにはすぐに気がついたのだろう。そんな親友に手を差し伸べようとして、跳ね除けられた。その心中は察するに余りある。

 ここ最近の虹が時折見せる暗い表情は、もしかしたらこの一件に起因していたのかもしれない。そう考えると今までの虹の振る舞いには、全て別の意味があったのではないかと思えてきた。


「……一番の、一番の親友のはずなのに……そう、そう思ってたのはわたしだけなのかな……?」

 虹は声を震わせている。

 その姿を見て、俺は咄嗟に虹の背中に腕を回した。

「……‼ 龍羽?」

 深く、抱きしめる。

 大丈夫、櫻井にとってもお前は一番の親友のはずだ。お前が弱気になってどうする。


 ――以心伝心、幼馴染の絆だろうか。声に出さずとも俺の想いはきちんと伝わったみたいで、一分と経たずに虹は元の調子を取り戻した。

「ごめんね、龍羽。ありがと。落ち着いた」

 そう言うと、虹はにっこりと笑う。

「じゃあ、帰ろっか」

「いや……悪い。今日はお前一人で帰っててくれ」


 俺の答えが予期せぬものだったのか、虹は目を見張っている。

 俺はすぐに理由を説明した。

「今から駅まで走って櫻井を追いかけようと思う。今日も電車で帰ってるはずだろ? 急いで追いかければまだ間に合うはずだからさ。櫻井が今どんな状況に置かれてるのか知るためには、こうでもしないと」

 そう伝え、俺はリュックを背負いあげる。


「わ、わたしも――!」

「お前自分の持久走のタイム知ってるか?」

 言うと思ったよ。絶対付いて来るって言うと思ったよ。でも運動音痴のお前を連れてたらたぶん間に合わないからな? 朝だってお前が追い付くの待ってるんだからな?

 虹も痛い所を突かれたのだろう。諦めたように大きく息を吐くと、ビシッと敬礼を決めた。


「雨宮龍羽三等兵、櫻井天音追跡の任を命ず!」

 最後にニカッとした笑顔を見せ、虹は俺を送り出す。

「はいはい、了解であります。……ていうかだいぶ階級低いな、俺」


 まあ居眠りばかりの奴じゃ昇格も望めんか。

 そんな事を考えながら身支度を整えた俺は、すぐさま教室を飛びだした。

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