第29話 君のことなら何でもお見通しダゾッ☆
何の変哲もない一週間だった。
結局月曜日以降、本日金曜日になるまで虹は早起きの習慣をつけることはなく、相変わらず朝のランニングは続けられていた。わーい健康的―。
教室に入った後の夫婦漫才や、チャイムマンによる精神への自傷行為も休まず続けられ、「日常」という言葉がベストマッチな日々だったと言えるだろう。櫻井はあのメッセージ以降特に何のアクションも起こさなかったし、そんなやり取りがあったこと自体、水曜日の午後辺りには忘却の彼方に追いやられていた。
変わったことといえば、櫻井と一緒に帰る回数が減ったことくらいだろうか。櫻井は相変わらず忙しいようで、虹が時々寂しそうな表情をしているのが気がかりではある。まあでも、それ以外は櫻井に特に変わった様子は見られないし、そのうちいつものように三人で帰ることになるはずだ。……だとしたら、問題なのはむしろ虹の依存体質のほうだろう。あいつ本当に櫻井以外に女の子の友達いるのか? 毎朝起こしたりしてる親代わりの俺からすると不安にもなるのだが……まあいいか。
教室内は昼休みということもあり喧騒に包まれていた。
他方外に目をくれれば、ここ最近の夏のような暑さを忘れたのか梅雨の空気がのんめりと広がっている。湿度の高さのせいで寝ようにも寝苦しく、俺は何をするでもなくボーっと机に伸びていた。
俺に話しかけようとしている人影に気づくのに時間がかかってしまったのも、きっとその気候のせいだろう。普段俺に話しかける人間がいないから反応が遅れたとか、そういうわけではないはずだ。そう信じたい。
「雨宮! おい雨宮!」
「……ん?」
「何回呼んだら気がつくんだよ。もしかして寝てたのか?」
俺を呼んでいたのは、チャイムマンだった。……本名は知らん。
「あ、いやそういうわけじゃないけど……。ごめん、何か用事あった?」
「ああ。ちょっと訊きたいことがあってさ」
そう言うとチャイムマンは教室をぐるりと見渡して何かを確認した後、小声で問うてきた。
「……お前、櫻井さんと仲良いよな?」
「ん? ああ、確かに他の男子よりは仲良いとは思うけど……それが?」
……まさかお前、俺を使って櫻井とコンタクトを取ろうとか図ってないよな? 無理だぞ、無理無理。毎朝あんな風になってるんだから少しは学べよな。
「なあ、最近櫻井さんに何かあったか?」
「……え?」
真剣な瞳で発せられた予想外の返しに虚をつかれてしまった。
「何かあったってどういう事だ。別に普段と変わらないだろ」
「ああいや、勘違いだったらそれはそれで構わないんだけど……ただ……」
「ただ?」
チャイムマンは一呼吸置き、意を決したように口を開く。
「最近、俺の挨拶に対してのリアクションが殊更に薄くなっている気がするんだよ。……まあ元からたいした反応なんてなかったから、本格的に嫌われ始めたって言われればそれまでなんだけど。……何それ辛すぎ」
勝手に喋って勝手に落ち込み始めたチャイムマン。何と声をかければ良いのやら……。「現実わかってるじゃん」とかかな。簡単にとどめ刺せそう。
「でも、そうじゃないと思うんだよ。いやまあそうじゃないと思いたい俺の希望的観測によるバイアスも無視できないんだけどさ。それ以上の何かがあると思うんだ」
その証拠にほら見てみろよ、とチャイムマンは櫻井と数人の女子がテーブルを囲んでいる集団を指さす。
「女子の友達と話しているときでも、時折暗い表情が出てくるんだよ」
言われて目線を向けるが、特段悲しげな面持ちは見受けられない。
「そうか? 普段通り楽しそうに飯食ってると思うけど」
「お前、本当に櫻井さんと友達なのか? よく見てみろよ、ふとした時に辛そうな雰囲気が出てるだろ。今だけじゃない。授業中もどこか物憂げだし、絶対何かあったんだと思う」
そう自身満々に言われてもだな……。ただただ気持ち悪いという感想しか出てこないんですけど。何お前授業中もチラチラ櫻井のこと見てるの? いやあれだけの美少女だからわからんでもないが、にしても「僅かな感情の機微も読み取ってますよ」感が鳥肌レベルで気持ち悪い。
しかし、これだけ振り切ってると逆に信憑性も出てくる。今まで関わりなんてほぼ無かったのに、わざわざ俺に訊いてきたくらいなのだ。チャイムマンの目から見れば相当なものなのだろう。
「わかった、わかった。仮にお前の言う通り櫻井の身に何かがあったとしよう。でもそれってここ最近のことなんだろ? そんな短期的なものっていったら、ほら、アレなんじゃないか? 女の子にはあるだろ、いろいろと」
「いや、櫻井さんのアレの日はまだ先のはずだ。一年生の頃から観察してきた俺が言うのだから間違いない」
お巡りさん、こいつです。
え、待って待って。いよいよ本格的に気持ち悪くなってきたぞ、お前。なんでクラスメートの最重要機密ともいえる情報をお前が握ってるんだよ。捕まれよ、マジで。
ていうかそんなことしてるんだったら、お前が冷たくあしらわれる原因は百パーお前にあるに決まってんだろ。何櫻井の体調が悪いみたいに仕立て上げてんだ。張り倒すぞ。
ドン引きしている俺を尻目に、チャイムマンは続ける。
「とにかく、櫻井さんは今何か悩みを抱えているはずなんだ。でも俺が話しかけてもまともに会話にならないと思うし、他の女子にこんな話をしても俺が気味悪がられるだけだし……。頼む! お前しかいないんだ! 櫻井さんが辛そうにしている理由を探ってみてくれないか!」
探るも何もお前の存在そのものこそが原因だと思うけどな。
そう思ったもののチャイムマンの瞳は真っすぐで、想像以上に真剣さで満ちていた。
「何か力になりたいんだ。それがたとえ、俺にどうこうできる問題じゃなかったとしても」
不覚にも、少しだけかっこいいと思ってしまった。直前までのキモい発言を思い出せばそんなこと思うはずもないのに、チャイムマンの真摯な想いが俺の心を震わせた。
本当はこんなキモい奴の頼みなんか聞いてやる義理はないのだが、櫻井は俺にとって大切な友人の一人だ。もしこいつの言う通り本当に悩みを抱えているとしたら、俺の方こそ何か手助けしたい。
それに今思い出したことだが、ここ最近忙しそうにしていることも何か関係があるかもしれない。虹も気にしているようだし、櫻井の今の様子を探るには丁度良い機会といえるだろう。
だからまあ、訊いてみるくらいはいいかもしれないな。
「ああ、わかったよ。一応訊いてみる。ただ、それで何か得られるかはわからんぞ?」
「おお! ありがとう! 是非頼んだ!」
そう告げるとチャイムマンは俺の肩を叩き、いつもの元気さで教室を飛び出していった。話はもう終わり、ということらしいが、あんまり扉を乱暴に開けるなよ。立て付け悪いんだから。
ふむ……。櫻井の悩み、か……。
いや、こんな事を考えるのはものすごく不謹慎で申し訳ないのだが、俺は「悩み」という言葉を聞いたとき咄嗟にある考えに結び付けていた。
そう、ハーレム計画のことである。
もう俺の思考回路は女子の悩みと聞けばすぐにハーレムと関連付けるようになってしまった。我ながら恐ろしい。チャイムマンにキモいとか言ってられないレベルだろ。
しかし、これはチャンスかもしれない。
櫻井は男性恐怖症の気があるから、今までハーレム候補に入れていなかったのだが、櫻井が悩み持ちとなれば、一考の余地はある。
悩みの規模や種類にもよるが、そもそも俺が普通に会話できる女子が限られている以上、櫻井は候補に挙がって然るべきだったのだ。チャイムマンのお蔭でハーレム計画の新たな方向性が見えてきた。そこに関しては、まあ感謝しておこう。
とにもかくにも、櫻井が悩みを持っているのか確かめなければ話は始まらない。
「今日の帰りにでも訊いてみるか……」
小さく呟き、先ほどと同じように机に伸びる。うん、やっぱり寝づらいな、この気候。
え? 何で今すぐ訊きに行かないのかだって? 考えればわかるだろ。女子の集団のなかに割り込んでいく勇気なんて俺にはない。そんなもんがあったら、今頃ハーレム計画なんぞ立てるほどこじらせてないわ。
教室内は相変わらず騒がしく、安眠するには非常に難易度が高そうである。
しかし放課後に向けての英気を養うため、俺は半ば強引に瞳を閉じた。
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