第27話 隣同士あなたと私
――結局、放課後までに俺が話した女子は虹と櫻井だけであった。
舐めてた。正直自分のコミュ力の低さ、舐めてた。
そもそも新しいクラスになって以来、その二人以外の女子との会話なんて数えるほどしかなかったのだ。そんな状況をいきなり打破するなんて到底無理な話だし、ましてや悩みを聞きだして解決に導くなんて今の俺にはペンギンが空を飛び始めるくらい不可能に近い。
まずはクラスの女子と打ち解けるところから始めなくては……。うわぁ、果てしねぇ……。
「龍羽~帰ろ~」
放課後の教室特有の弛緩した空気感の中、俺の第一彼女、もとい第一信者が机に駆け寄ってきた。
「ん。帰るか。……あれ? 今日は櫻井、一緒じゃないのか」
「うん。何か最近忙しいみたい。今日も用事があるからって先に帰っちゃったよ」
虹が少し表情を曇らせる。
「そっか。じゃあしょうがないな。今日も二人で帰るとするか」
俺はリュックサックを手に取り立ち上がる。
昇降口に向かって歩き始めると、虹がニヤニヤと形容するに相応しい笑みを浮かべながら口を開いた。
「ねえ龍羽、今日とっても暑いと思わない?」
「うん? ああ、まあ確かに夏っぽい感じはするけど……」
五月も半ばとなれば、大きな夕焼けが見える時間は五時半を大幅に超え、日の長さや夕方の暖かさは真夏のそれと比較しても遜色ないような時期だ。今日はほぼ一日中太陽が全力疾走だったし、衣替え前の服装で過ごすのが少し苦しいほどだった。
「アイス! アイス食べに行こうよ! ほらこの間行ったところあったでしょ? あそこのお店で新作フレーバーが出たらしいの。ね? 行こうよ!」
お願い! とばかりに彼女は手を合わせる。
「それは別に構わないけど……」
「ほんと⁉ やったー!」
虹は天真爛漫な笑みを弾けさせる。
その笑顔のせいで、〝けど〟の後に控えていた言葉が一生ベンチを温めることになってしまった。こんな状況で自分の財布の心配なんぞしようものなら男が廃るからな。
というか世の中の彼女持ちの皆さんは毎回こんな目に遭っているのか。いくら所持金が虫の息だろうとこんな風におねだりされたら断りようがない。女って怖いな。
そして虹はとどめとばかりに、その表情のまま耳元に口を近づけ、
「……放課後デートだね」
なんて言いやがった。もうATMで良いや。
まあ虹の場合は、全力で男に貢がせるような下心は無くて、純粋な食欲によるものだからまだマシな方だ。その食欲が旺盛すぎる所にはいったん目を瞑っておこう。……現実に対する視力が下がる魔法とか無いかな。
虹はあえなく陥落した俺を引っ張り、早々と校外にまで連れ出す。俺は虹の放つ残り香と、これから虹の食費のために使うことになるだろう金額のシュミレーションにクラクラしながら、いまだ高い日差しの中を連行されていくのであった。
甘く、それでいて爽やかな空気が口いっぱいに広がる。
「ん~この期間限定さくらんぼ味おいしい~‼」
対面に座る虹はご満悦の表情だ。
テーブルに二つ並んだカップは、それぞれ桜色のアイスクリームで満たされている。今日は俺も自分の分のアイスを購入したのだ。財布にはちときついが、この前みたいに食べさせられたりすると大変だからな。恥ずかしくて背筋のあたりがこそばゆくなる。
まあ、ここのアイスは美味しいから普通にちゃんと食べたいというのもあるんだけど。
「うん。確かに美味い」
味の感想を述べると他に話すこともなく。二人で黙々とスプーンを口に運び続けた。
相変わらずこの店は学生カップルでにぎわっており、爆発してしまえと思ったのも束の間、自分達もそれを構成する一員になっていることに気づきもはや自爆テロではないかと思い始めた頃、俺のスマホが唐突にメッセージの受信を告げた。
緑の吹き出しをタップして確認する。
虹≫ねえ
送り主は目の前に座っている人間だった。
虹≫喋ることなくなっちゃったんだけど……。
俺もまさしくその事を危惧していたところだが、直接言えば良いんじゃないですかね……。
そう思って面を上げると、虹がぶすりとした表情でこちらを見ていた。まあ四六時中顔を突き合わせていれば、話すネタが底をついてしまうのも致し方ないだろう。ものがものだけにお得意の隠し味トークも難しいだろうし。
「ねえ~龍羽~何か面白い話して~」
「無茶ぶりするなよ……。大体俺の持ちネタは大概お前に話したことあるだろ」
なんならでっちあげるか? 何だろう、パクチー大食い大会に参加した話とか、銭湯にハッカ油混ぜまくった話とかなら膨らませられるかな。
「あ、龍羽それ!」
俺がパクチー大食い大会の様子を脳内クリエイションしていたところ、テーブルに置かれた俺のスマホを虹が指さした。
「使ってくれてるんだ、そのカバー」
「ん? ああ、本当に気に入ったからな」
「ふふっ、そっか。嬉しい」
そう言って虹は照れくさそうに微笑む。
相も変わらず「You can do it」と俺を鼓舞してくれるスマホケースを手に取る。よーし、それじゃ頑張ってハッカ油混ぜちゃおうかな! 犠牲になるのは駅前のオンボロ銭湯だ!
「あ、しかもハシビンまで!」
俺が虹に聞かせるための創作武勇伝を考えていたところ、さっきまでテーブルの下に垂れていた奴の姿に虹が気づいた。
「ほら、やっぱり気に入ったでしょ? 段々可愛く思えてきたんでしょ⁉」
「いや……こっちは別にそういうわけじゃ……」
これは虹がくれたから使わないのは悪いと思ったからで、別に可愛いとかそんなんじゃ……って怖い怖い‼ ハシビンがギロリと睨んできたんですけど‼ 何お前意志持ってんの⁉
たまたま目が合っただけのはずなのにハシビンからの圧倒的なプロパガンダを感じた。神社とかでお祓いしてもらおうかな。
「またまたー。そんなこと言っちゃって実は気に入ってるんでしょ? ツンデレなんだから~」
可愛いと言え、と強要していそうなハシビンをもう一度見てみる。ああ、確かに何度も見ているうちにキュートさが感じられてくる……とはならない。ダメだ。お前にそんな噛めば噛むほど的スルメティックな魅力は感じられない。むしろ謎の恐怖心が募るばかりだ。もう……外しちゃっても……いいよね?
「そういうお前はこいつどうしたんだよ?」
「わたしももちろん連れて歩いてるよ、ほら」
そう言って虹は自分のスマホを取り出して見せる。カラフルな筐体とケースの中で、一人だけ華やかさの無いハシビンが揺れていた。
「お前はストラップを携帯につけることを連れて歩くと表現するのか……」
「だってハシビンはもうペットみたいなものだし」
ペットを携帯につけないでくれ。動物愛護団体からクレーム来るぞ、それ。
「それはそれとして、今回の新作フレーバーも美味しかったな~」
虹は紙ナプキンを手に取り、口を拭き始めた。
いつの間にか彼女のカップは空になっており、仕上げとばかりにお冷をグイと呷ると、少しだけ何かを憂うような声で呟いた。
「……また、一緒に来れるかな……」
「え? 来ようと思えばいつだって来れるだろ。家から遠い訳じゃなし」
虹が二杯目を頼む前にと、急いで残りのアイスを掻きこんでいた俺は、適当に虹の呟きに応える。
「……うん。そうだよね。きっと来れるよね」
再び顔を上げた時に見えたのは、いつも通りのにこやかな虹と眼光鋭いハシビンのみで、さっきの冷たい声はもしかしたら赤の他人の言葉だったのかもしれないとさえ思えるほどだった。
――結局、虹がおかわりを頼むことはなく、俺たちはそのまま店を出た。
空は先ほどよりもオレンジさを増し、ライトをつけて走行する車も増えてくる。
「じゃ、帰るか」
「ん。帰ろう」
虹はそう応えると、自然に手を繋いできた。もう、拒否する気も起きないね。その必要もないし。
西日を背にして歩きだす。
二人の影が歩道に描き出される。その姿は手を辿っていくとやがて繋がり一つになる。それこそ、まるでさくらんぼのように。
口腔に残る甘酸っぱさが、世界を染めていた。
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