第9話 酒と怠惰と男と女

 リビングの扉を開けると、真っ白な皿に盛られた色鮮やかな料理の数々が目に飛び込んできた。


 銀色の光を放つ白米に、瑞々しい音を奏でるサラダ。黄金色の香ばしさに満ちた揚げ物とくれば、もう言うことはないだろう。いかにも祭という名がふさわしいご馳走だ。


「今日はお母さん張り切っちゃったわ。さ、どんどん食べなさい」

 俺が食卓につくと、母親がにこにこしながら促してきた。

「まてまて。まずは乾杯だろ、乾杯。ほら、龍羽もグラスを持て」


 ほろ酔い、というレベルをとっくに通り越した父親が、ほろっとしたカラフルなパッケージの缶をプシュリと開けた。そんなごつい顔してチューハイ飲んでんのかよ。かわいいな、おい。


「ほらほら、お父さん飲みすぎよ。そろそろ止めておいたら?」

「今日ぐらい良いじゃないか。龍羽が無事に一年過ごせたんだ。見守ってくれたご先祖様への感謝の意も込めて、精一杯楽しまなきゃいかん」

 感謝を表現するためにべろべろに酔っぱらうべきだ、というよくわからん論理展開だが、これがこの祭のルールなのだから致し方ない。


「もう、しょうがないんだから」

 それを承知しているからだろう。母親も無理に飲酒をやめさせることはなく、自分も乾杯の準備のためにお酒を用意し始めた。


「それじゃ、乾杯しましょうかしらね」

 そうにこやかに言いつつ、その手に握られていたのは大吟醸……の一升瓶。ねえ、普通乾杯するときってそういうのグラスとか盃に注がない? あなたそんな男らしい酒をラッパ飲みするつもりなの?


 そんな数えきれないほどの疑問点も酔っ払いの目には見えないのか、父親は乾杯の音頭を取り始める。


「よ~し、それじゃ。龍羽の今年一年間の健康に感謝し、新たな身体で迎える次の一年の平和を願って……乾杯ッ‼」

『乾杯~!』


 二人が掲げた缶と瓶、それと俺の手にあった緑茶の注がれたグラスがぶつかる音は、明らかな不協和音だった。

 けれど、誰もそんなことを気にする様子はなく、皆めいめいに液体を身体の中にぐびぐびと染み込ませていく。


『ぷは~~~~っ‼』

 三人が吐き出した息は今度こそきれいなユニゾンを奏で、食卓を彩った。


「さ、龍羽もお父さんもジャンジャン食べてね」

 結局ラッパ飲みするという固い意志を貫いた母が薄緑色の瓶を片手に、料理を勧めてくる。


「いただきます」

 俺は言われるがままに、大盛りのから揚げに箸を伸ばす。ほぼ同時に父親も、クラッカーにチーズやらトマトやらが乗ったこじゃれたおつまみに手を伸ばしていた。女子か。


「うん。美味い」

「あら、それは良かった。龍羽は揚げ物が好きだから、多めに作っておいて正解だったわ」

 口に入ったから揚げの感想は、素直に口からこぼれた。


 うちの母は料理上手だ。大抵のものはプロ並みの腕前で作れるし、それでいて素朴な、いわゆる「おふくろの味」感もしっかりとある。俺が小さい頃から好き嫌いせずに何でも食べられていたのも、そんな母の影響が大きいだろう。


 クラッカーをパリパリしていた父が唐突に問いかけてきた。

「龍羽、最近学校はどうなんだ? 楽しくやってるか?」

「う~ん……まあ、ぼちぼちってところかな」

「ははっ! そうかそうか。まあ学生のうちに精一杯楽しんでおけよ! …………社会人になると本気できついからな」


 お酒持ってきて~! 酔いきれてないから! この人酔いきれずに苦しい気持ちをポロリしちゃってるから!

 何よりも説得力のある言葉をくれた父は缶チューハイをぐいと呷り、ほんのりと真剣さを交ぜた瞳で再びこちらを見る。


「お前も明日で十七歳になるわけだが……。どうだ? 何か悩みとかはあったりしないか?」

「特にこれといってはないかなぁ。……ああ、でも進学するか就職するかは少し迷ってるかも」

「なるほどな。……一応、親としては大学まで行ってほしい気持ちはあるかなあ。お前は一人っ子だから学費の心配もあんまりないし」


 けれど、と言って父は一度言葉を切る。

「あくまでそれはお前の人生だ。好きなだけ悩んでゆっくり答えを出せばいいさ。なんなら進学も就職もしないで家でゴロゴロしてても良い。ハッハッハ!」


 何その魅力的な提案。二つ返事で受け入れたいんですけど。というかむしろこちらからお願いしたいくらいだし、むしろ前向きに検討させていただきたいというか、むしろ気が変わらないようにというか、むs…………要約するとニート最高。


 だらけた未来予想図を描くあまり黙り込んでしまった俺を見て心配になったのか、母が食卓の雰囲気を変えようと声をあげた。


「まあまあ、今日は宴会なんだから暗いことは考えないの! ほら、お父さんもお話はそれぐらいにしてどんどん飲んで」


 そういって母は自分の手に持つ大吟醸を、父の飲んでいたチューハイの缶に注ぎ始めた。文字通り酔狂だな。……というかさらっと言ってましたけど、何で俺の将来の話が〝暗いこと〟になるんですかね。お先真っ暗てか? やかましいわ。


 とまあ、そんな風にツッコみたいことはあるのだが、結果的に食卓に笑い声は戻ってきたので今回は不問にしよう。


「お父さん、ちゃんと野菜も食べないとだめよ。もう歳なんだから」

「大丈夫大丈夫。さっきから焼き鳥もねぎま選んで食べてるし。超健康」

 そんなくだらない会話に、自然と俺も笑みをこぼしてしまう。


 ……思えば、こんな風に家族と将来について話したり、どんちゃん騒ぎしたのっていつ以来だろうか。それこそ、俺の去年の脱皮祭や父や母の脱皮祭の時ぐらいしか思い当たらない。


 ――あ、そうか。ようやく合点がいった。これこそがきっとこの祭が先祖代々伝わってきている意味なんだ。


 この脱皮祭とかいう謎の儀式はたぶん、家族の絆とか繋がりとか、そういったものを再認識させるためにあるのだと思う。

 家族の誰かが歳を取るということは――ささやかな変化ではあるものの――家族のありようもまた、何かしらの変容を遂げるということだ。


 そういったいわば「家族の節目」となる瞬間に、宴会を開き一家団欒のひと時を過ごす。


 やっていること自体は言ってしまえばただの飲み会だし、たいしたことはない。

 けれど、そんなたったそれだけのことで、家族の結びつきというものは格段に強くなるのだと思う。現に今俺と両親が、幸福な空間を描いているように。


 そんなことを考えているうちに、母にもだいぶ酔いが回って来たのだろう。ふらりふらりとしつつ、料理の盛られた皿を俺に差し出してきた。


「龍羽~あんたガリガリに痩せてるんだから、もっともっとじゃんじゃん食べなさい」

「別に痩せてねぇよ。平均だよ。これで痩せてる判定なら、世のおデブさんが全員泣きながら喜ぶレベルだわ。 ……というか俺もうだいぶ満腹なんだけど……」


 そう苦笑しつつも、決して箸を止めないのはなんでなんだろうな。


 サクリとした音が耳に心地よいてんぷらをほおばる。


 まあ、対外的にはあんまり誇れるような行事ではないかもしれないけど。

 それでも、この変な祭も案外悪くないかもしれないな。


 そんなことを思いながら、俺は咀嚼していたてんぷらを飲み込んだ。

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