第一章

第1話 幼馴染を序盤に登場させるのはラノベのテッパンである

 昇降口を出ると、見慣れた顔が見慣れない不機嫌な表情で俺を待ち構えていた。


 暖かな日光を優しく反射するふわふわとした明るい茶髪。普段の温和な性格を象徴するような包容力のある胸を組んだ腕で下から支えつつ、俺の幼なじみは壁に身体を預けている。


「も~、遅いよ龍羽。何分待ったと思ってるの?」

「いや、んなこと言ったって……。文句ならあのくそジジイに言えよ……」


 職員室に倫理のノートを届けに行った俺は、結局件の男性教師に説教を喰らう羽目になった。当然あちら側からしたら、それこそが本来の目的だっただろうし、俺としてもそれぐらいの覚悟はしていたのだが。

 

 お世辞にも綺麗とは言えない古びた校舎。巨人の鼻息一つでたちまちに崩れてしまいそうな職員室で、わざわざ部屋一杯に罵声を響かせながら倫理担当のジジイは俺に唾をまき散らしたのだった。

 塗料のはがれかかった外壁から身体を離し、日向虹はこちらに向き直った。

「そもそも龍羽が授業中に寝るのが悪いんでしょ……。なんで四十分も寝るのよ。せめて半分くらいは起きててよ」

「たしなめ方がおかしいと思うんだけど……。なんで〝こいつなら二十五分は仕方ない〟みたいになってるの?」

 あと、正確には俺が睡魔に敗北を喫していた時間は四十二分と十五秒だったらしいぞ。説教されてるときに聞いたが、あの教師、几帳面にもストップウォッチで時間を計っていやがった。……何それ気持ち悪い。今になって冷静に考えるとものすごく気持ち悪い。


 虹はむすりとした表情を崩すことなく歩き始める。普段の癖か、俺も無思考のままにあとを追う。

「とにかく! わたしが人生において貴重な時間を大幅に失ったのは確かなんだから、帰りにアイスか何か奢ってよね」

「なんでだよ……。大体待ってくれなんて一言も頼んでないし」

「す~ぐそういうこと言う! 今までずーっと一緒に帰ってたんだから、今日も一緒に帰るはずだと思うのは当たり前でしょ⁉」

 別に幼なじみで家が隣同士だからといって、毎日肩を並べて帰宅しなきゃならん義務はないと思うのだが……。なんなら今日から別々に帰ってもいい。

「虹……お前に一緒に帰れるような友達がいないのはよくわかったからさ……。ほら涙拭けって……」

「なんでわたしに友達がいないみたいに仕立て上げるの⁉ も~ひどいよ龍羽‼」

 そう言って肩をいからせながら歩くテンポを上げた虹は、しかしすぐに前方の赤信号に気づき立ち止まった。


 横断歩道の向こう側には、これでもかという程のすがすがしい青空と、今にも夏に進化してしまいそうな熱のある初夏が広がっている。

 五月を迎えたばかりとはいえ、この街はとうに春を通り過ぎていた。街路樹は生命の息吹をまき散らし、車通りの多い国道は人工的な暑さを放つ。

 心地よさと多少の息苦しさを織り交ぜたような、そんな気分を味わいながら、俺は生まれた時からの幼なじみである日向虹と共に、いつものように帰宅の途に就いていた。


 信号が変わる。

「そういえば龍羽、もうすぐ誕生日だね~。何か欲しいものとかあったりする?」

 ケロッと怒りを収めた虹が、こちらを振り返りながら尋ねてきた。危ないから前を向け、前を。

「欲しいもの? あーそうだなー……」

 強いて言えば時間だろうか。二年生になって以来、課題が増えたりなんだりでスマホゲームのイベント周回に割ける時間が減ってしまった。少なくとも俺にとって、これはなかなかに由々しき事態である。ソシャゲは俺のほぼ唯一と言っていい趣味なのだ。

「ちなみに言っておくけど、時間とか彼女とかお金で買えないようなものはダメだからね。去年みたいに蓬莱の玉の枝とか言ったら、何も貰えないことも覚悟して」

 なんでだよ。良いじゃないか、蓬莱の玉の枝。

 まあ、ダメだっていうなら燕の子安貝で我慢するけどさ。

「でも欲しいものっつってもなー……」


 と、ここでふいに俺は先ほどの画期的なアイデアを思い出した。そうだ、俺には今一番欲しているものがあったではないか。楽園という名のプレゼントが。

 ただ、ここで俺が「はーれむほしーい」などと言ったら大参事になることは目に見えている。いくら付き合いの長い虹といえども、そんな物をねだろうものなら俺は一瞬で軽蔑されることになるだろう。いや、軽蔑などという生温いものではなく憎悪とか殺意とかいうレベルに達しても不思議はない。

 だとすると――。

「あーじゃあ……虹の周りで何かに困っている子がいたら紹介してくれないか? 最近人助けに飢えてるんだよ。ああいや別にやましい感情とかは一切なくて……だ……な……」


 苦しいっ! 我ながら非常に苦しいっ‼

 普段人助けなんてまるでしていない俺の姿を、幼なじみである虹は当然知っている。怪しまれない方がむしろおかしい。


「ん~……。うん! わかった! 何か困っている人がいたら龍羽に教えるね!」

 あれ? わかっちゃった。もしかしてお前、観察力皆無なの? アサガオとか育ててみたら?

「ということで早速……今、龍羽の目の前にはアイスが食べたくて食べたくて仕方がない女の子がいるんだけど、この悩み当然解決してくれるよね? 飢えてるんでしょ? 人助けに」

 悪い笑みを顔いっぱいに貼り付けながら、虹は俺の顔を覗き込む。

「てめー‼ それが狙いか‼」

「悪だくみしてるのはお互いさまでしょ? ほら、わかったら早くアイス奢って!」

 そう言って虹は俺の袖を強引につかみ、ちょうど通り過ぎようとしていたアイスクリーム店へ引きずり込んでいった。これだから何でもある都内は嫌いなんだよ……。

 虹によって大きく開けられたこじゃれた扉の中に、若葉の風を巻き込みながら俺は渋々入っていくのであった。

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