第26話 動物園3
「まさか、こうしてお前と会う日が来るとは、夢にも思わなんだ」
静かにヴィオシュトリは話し始めた。
灰色に染めた貫頭着に身を包み、杖に両手の平を乗せて切り株に座っている。
髪はすべて白く、長い髭も白い。情報を
チマルマは、ふらりと密林の中に歩いて行き、コスクァはヴィオシュトリの横の切り株に座っている。
円形の広場になった場所で、見上げれば青空も見えた。地面には、死体を引きずった跡が黒い道になって、まだ先の奥に続いているようだった。
ヴィオシュトリの年齢は、現在の国王よりはるかに高齢だというが、初めて会った時からずっと同じ年寄りの顔をしているよう見える。
初めて会ったのは、いつの日だったか。
確か、五歳か六歳のころで、以来数年に一度、祖父を訪ねて来ていたのを覚えている。
最後に会ったのが、隠れ里が焼け落ちた日で、その日のうちにエナはコスクァに引き渡された。
それ以上の印象はなく、好きでも嫌いでもなく、普通だった。
インカへの亡命途中でエナが死ぬように手配したことも、外へ出た雷一族を殺す使命を帯びたコスクァを利用したことも、特に何も思わなかった。
今も普通で、感情の中に格別なにかが沸き上がってくることもない。
どこか、いつの間にか、感情のようなものが希薄になってしまっていた。特に里に関わる事柄は他人のことのように遠い。
それなのに、心のずっと奥深くには溶岩のような灼熱が眠っていて、仙術の力はいつもそこから湧き上がってくる。
「私には、今日この日、この瞬間のことしか見えませんでした」
他所行きの言葉。祖父には、そういう言葉も叩き込まれていて、使おうと思えば使えた。
エナの標準語を、初めて聞くコスクァはちょっとだけ眉毛を上げて驚いた顔をしている。
「長かったような、短かったような、振り返ってみると色々なことがあった十年でした」
「その色々なことの、どこかで普通に幸せに暮らす選択肢はなかったか?」
インカやマヤの、どこかの集落で普通に暮らす日々。心に、ふっと浮かんでくる瞬間は確かにあった。
おそらく、ヴィオシュトリはエナにそういう未来を選んで欲しかったのだろうと思った。
しかし、なぜか選べなかった。
もし選べたとしたら、それは遠い昔、隠れ里で祖父や村の人たちと暮らした、何もない日々を選びたい。
もう決して手の届かない、遠い故郷。忘れてしまった記憶も多いのに、覚えているのはどれも色鮮やかな風景だった。
「私の進む道は、いつも一つで、これから先も一つです」
ヴィオシュトリが目を
「よくない道だ。お前が進む道は、よくない道なのだ」
エナも目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、故郷の野原一面に咲き誇った
そよ風に揺れ、花粉が舞い、日の光を全身に受けて輝く太陽の花。
もう一度、そこに向日葵を咲かせたい。すべてを終わらせ、今は亡き故郷に帰って向日葵の種を植えたい。
願い事があるとすれば、それだ。かくもささやかな、取るに足らない、叶わぬ願い事。
心の、ずっと奥に潜む
今は、そう思う。
そこにたどり着くためには、他人よりもちょっとだけ大きな壁がある。
最後の試練を前に、心の奥にあるものが澄んできたように思う。
「私の道が、よいか悪いかは私が決めます。あなたに、そう言いたくて私はここに来ました」
「そうだな。石の心を持つ戦士とは、そうであるべきだ」
今、話すことは全部終わった気がした。隠れ里が襲われた詳細や、アステカ王国の現状など、それこそ
もはや、大人たちの思惑はどうでもいい。
ヴィオシュトリに対しても、敵意は沸いてこない。
自分がすると決めたことを、やり遂げることが出来るのかどうか。
向き合うものは、いつも自分の中にある。
「最後の試練を始めていただけますか?」
また、コスクァがぴくりとだけ動いた。目は、足元だけを見ていてエナの方を見ようとしない。
「もし、お前が試練を乗り越えれば、儂はお前の友として協力者にならねばならぬ。だから、決して乗り越えられぬ試練を用意した」
頷いた。
成人の儀式を終えた者は、大人の一員であり、年齢や立場に関わりなく対等の友になる。
友を助けるのは、当たり前のことだ。
「それでは、遠路よくぞ来られた
ヴィオシュトリは右手をあげ、死臭と瘴気が漂う動物園の最奥を指さした。
エナは、七個目の突撃錠を口に放り込んだ。体内の総摂取量は一般人の致死量を、もう超えている。
心拍数は跳ね上がり、体が熱い。
目を開けた。進むと決めた道が、今、目の前にある。
「行ってきます」
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