第22話 コスクァ5
体が重い。
体内を縦横に流れる精霊通廊に、初めて使った雷転瞬動の負荷がかかり過ぎた。
体の芯が空虚にでもなった気がして、支えも効かない。なんとか呼吸で天と地の気を取り込みながら無理やり足を動かした。
岩と砂利の混じる斜面を、仮面の戦士を追って走った。
方向からして、エナの方に向かっている。
エナとは、山二つは離れていて稜線を走っても合流には時間がかかりそうだった。
結果として、雷転瞬動は使うべきではなかった。使おうとして使ったのではないが、仙術の勢いに引っ張られた。それは、典型的な未熟者の失態だ。
「俺も、大したことねぇな」
エナの隠れ里が襲撃された時、山ごと囲むような包囲網はすでに出来上がっていて、侵入するのも、エナを連れて外に出るのも、そこそこ苦労した。
その後も、追手は続いていて、部隊の一部が牽制しているが、
稜線を走り続け、ずっと先にエナの姿が見えた。白い豹と戦っている。
仮面の戦士も、そこに向かっている。やはり、遠い。
走り続けることで、かえって気が巡り呼吸は整ってきた。体も軽くなり、疾駆の仙術を足にかけて、速度もあがったが追いつくのは無理そうだった。
双方、手負い。エナも豹も傷ついている。どちらも引こうとせず、最後まで戦いそうな勢いがある。
仮面の戦士が、そこに乱入した時、どう動くのか。
見ているしかできない。いくら走っても遠い。
その時、エナの周囲に異変が起きた。渦が巻くように細い稲光りが走り、異様な圧力が放たれ出した。
豹がエナに飛びかかり、エナの姿が消え、落雷のような音とともに豹の胴体が
そう見えたが、なにがどうなったのか理解しかねた。
浮かんだのは、上級仙術の双極という術のことだった。それは落魂拳の奥義とともに失伝していて、伝承の中にも名前しか残っていない。
腕に鳥肌が立って、体の芯が
エナならば将来もしくは、という予感のようなものはあった。
しかしそれは、はるか将来の予感であって、十歳の少女の今では決してない。
豹の四肢と頭部が周囲に散乱し、その中央で真っ赤な血と内臓に
なにかの絵文書の一節のような、神話の一場面のような、コスクァの魂底を揺るがすような、なにか。
心の
大いなるもの。
テスカトリポカであり、ウィチロポチトリであり、トラロックであるもの。
原初の太陽神トナティウであり、万物の
そは、
無数の名を持ちながら、名前のないもの。
その大いなるものの存在を、エナを通して身近に感じた。
仮面の戦士が、エナに追いついた。
エナが、ゆっくり歩いていく。
赤。
血ではない、赤い、なにかの線がエナの体に見える。肌を縦に走る、赤い線だ。頬にも、腕にも、線がある。
豹の鮮血を
エナが砂利を踏みしめて歩く音が、すぐ
仮面の戦士に、エナが
それで戦士は、糸が切れたように倒れて死んだ。即死したのが、離れたコスクァでもはっきり分かった。魂魄が溶けるように消滅したのだ。
なにかの、仙術を放ったのかどうかさえ分からない。
ただ触れただけだった。石砕や虚砲でもなければ、双極でもない。
死閃。
唐突に思い至った。名前のみが残る落魂拳の奥義。
膝が震え、立っているだけのことが辛かった。
エナを中心に、風が、雲が、天と地の気が渦巻き、稲妻走る巨大な積乱雲がコスクァの霊的視覚には
怒涛の勢いで龍脈がうねり、たゆたい、耳に聞こえぬ暴風の音を立てている。
コスクァの精霊通廊にも、それは流れ込んでは流れ去り、魂を揺り動かし続ける。
時が来たことを、コスクァははっきりと理解した。
人生で三度来るという、テスカトリポカの試練の時。
それは選択の時であり、どう生きてどう死ぬかを心の中の自分の神に誓う時。
参考資料
『フィレンツェ文書には、次のように記されている。
テスカトリポカは人々に影を投げかける。あらゆる厄災とともに人々の元を訪れる』
アステカ王国の生贄の祭祀 p111 刀水書房
『道がどこに続いているのか、あなたは知らないかもしれないが、どうしてもその道をたどっていかなければならない。それは創造神への道であり、あなたの前に伸びているのが、一本のその道だけなのだ』
それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラルウィズダム p109 株式会社めるくまーる
『わしにとっては心のある道を旅することだけしかない
どんな道にせよ心のある道だ
そこをわしは旅する
そしてその端までたどりつくことのが唯一価値あることなのだ
その道を目を見張って、目を見張って、息もせずに旅していくのだ』
呪術師と私 二見書房
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