第8話 懺悔草2
あまり良くない名前だった。
名前は、“
乱世においては英雄の星であるが、平時においては争乱の火種とされて嫌われる。
マリナリと自ら名乗った娘は、ニコニコとしたまま、エナの返事を待って突っ立ていた。
エナは、ため息をついて頷いた。
「好きにしぃや」
エナの方言に、一瞬だけ整った眉が動いた。
「ありがとう。正直、すごく助かるぅ〜」
エナはマヤ語を話せないので、相手がナワトル語を話せるのは助かることだった。
マリナリはにへらっと笑って、ちょっと右足首を見せるような仕草をした。
履き物は、
「転んだ後、だんだん
水筒と清潔な布を、放り投げて渡した。
マヤ公国の周辺にまで下りてくると、近くに
それは、水売りから水を買うこともあるアステカと比べて驚くべきことだった。
「きれいに、洗って拭きや」
追いはぎのように、直接襲ってこないのであれば、お互い必要以上に干渉せず、助けられることがあれば助け合う。旅人の不文律だ。
「あなた、呪術師なの?」
「まぁ、そんなとこや」
適当に相槌をした。背負い袋から、黒曜石の刃と清潔な布、王樹と呼ばれる化膿止めの葉を取り出す。
マリナリの傷は、
膿の排出口が皮膚にはすでに出来ていて、腫れはまるで
マリナリが足首を洗って布で拭き終わると背中側に回り込み、角度を一発で決めて、体重を親指に乗せて患部を押し込んだ。
「ぐっ」
マリナリの口から出た痛みの声は無視した。背中から抱きしめるようにもしているので、身動きもさせない。
ピュッと最初の膿が飛び出すと後は、赤黒いドロドロとしたものが大量に出てきた。
まるで砂に指が沈み込んでいくかのような手ごたえがある。
膿を押し出しながら水をかけて洗い、黒曜石の刃先で皮膚をわずかに切開して、皮膚の中も徹底的に洗い流していく。
乾いた布で患部をぬぐい、膿の吸い出し軟膏を塗った上に王樹の葉を被せ、さらに布で巻き上げた。
「すごいすごい。一気に楽になった」
エナは肩をすくめた。膿みきった患部は、皮膚の下でほぼ完治さえしていて、膿を出しさえすれば終わるような、治療と呼ぶまでもない状態だっただけだ。
「こんなん普通や。治療家なら誰でもできるで」
「いや、こんな手際見たことないネ!」
はしゃぎだしたマリナリに、蛇肉の串を一本放りつけた。
「ええから、食って寝ぇや」
「いいや、この恩は返さないと
成人の儀式を終えた者には精霊が宿り、その者が死ぬまで共にあり続ける。
誰が見ていなくとも、精霊はいつも人の
「うちは、まだ精霊を得てないから、ええよ」
本当のことを言った。エナは儀式を途中で中断し、精霊に出会うことなく終わった。
もう、五年近くも前のことだ。
儀式の中断は、わざわいの元で精霊を得ていない者はいつまでも忌み嫌われる。
「へー! じゃあ、嫌われ者同士だね!」
面白そうにマリナリが見つめてきた。
「それで、自分で自分の精霊を探しているの?」
エナが探し求めているのは、“
それも言わなかった。
故郷を壊滅させ、祖父を殺した人間に出会った時、エナの心の奥底にいる怪物はきっと表に出てくる。
それが、一体どんな
エナは、それが知りたかった。
連中は、この世を滅ぼすという“
参考資料
『
アステカ文明 白水社 ジャック・スーステル
『医者が求めるヴィジョンを、わしらは「ダマアゴメ」と呼ぶ。普通の人が求めるものは「ディニホウィ」だ。ダマアゴメは、喧嘩好きの嫌なやつで、ディニホウィは、もっとずっとずっとピースフルだ』
カリフォルニアのピット・リバー・インディアンの話
『スペイン人たちが直面した最大の困難のひとつは、メキシコの言語多様性だった。メキシコでは、ナワトル語のほかに、百以上の異なる言語が話されていた』
アステカ王国 文明の死と再生 創元社
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます