第18話 顔の無い人間

 快晴が数日続き、乾いた心地よい風が吹く日・・・

一人の男が戸を少し開けて、顔のぞかせて言った。

「ここは夢解きをなさる竹風さんのお住まいでしょうか?」

「はい。」

その男は扉から入らずに顔だけ出して言う。

「お代は野菜でも構わねぇでしょうか?」

「はい、勿論です。心付けとしてお願いしておりますので。」

それを聞いて安心したとばかりに部屋に入り、土間で野菜を籠から出す。

「私が作っている野菜です。見料の代わりにどうかお納めください。」

「それは有難い。どうぞこちらへ。」

日に焼け、気の良さそうな男は首に巻いた布で手足の汚れをさっと払い、恐縮しながら座した。

「夢解きをお願いしたいのです。」

「はい、では伺いましょう。どんな夢でしたか?」

「ここ最近、見る夢なんですが・・・出会う人、出会う人がみな、顔がないのです。」

「ほう・・・。」(顔の無い人間とは、面白い!)


面白そうな話の時、わたしはいつもこう言ってしまう。

あまりにこちら側が意欲丸出しにしてしまうと、悩んでいる相手に失礼であるし、つい自分の気持ちが先走ってしまう嫌いがあるので、ひと呼吸おく方法。

じっくり引き出すためにはこちらはあえて言葉を少なくする必要がある。

男はぽつりぽつりと話を始めた。

「私が道を歩いておりますと、前にいい女が歩いておりました。ここは少し歩みを速めて近づこうと。すると急にその女が振り返り、見ると顔がないのです。」

「後ろ姿は、誰か知っている人に似ているとか・・・?」

「いいえ。誰にも似ておりません。」

「うむ、それから?」

「驚いて逃げると、今度は幼子が籠に入れられて背負われておりました。可愛らしいので、これまた覗き込むと顔がないのです。」

「ほほう・・・。」

「慌てて家に戻ると、今度は家の者がみんな顔なしでした。不思議なことに会話をしていて、わたしのことが見えるようなのです。向こうは口や目がないのに・・・。」

「それは不思議な夢ですね。」

「不思議というより不気味でした。」

「なるほど・・・。」

その男の言っている事は嘘ではないことも判っているし、それが実に不気味で不安なものかがわかる。

しかし、夢解きはその奥深い本当の意図をくみ取らねばならない。

本人の知らない“何か”や“何故”を見つけなければ、解決したとは言えない。

話のさわりを聞いただけで、何か底なしに深さを感じた。

そう言った場合、まずは、わたしの身の安全を確保しなくてはいけない。

一見、穏やかそうなこの男の奥には恐ろしい“もの”の気配がする。

「では、今から夢解きをいたしますが、少々用意するものがございます。半時ほどしてから再びおいでいただけますでしょうか?」

「はあ・・・、わかりました。ではひとます失礼を。」

そういって出て行った男の後ろ姿は寒気がするほど不気味だった。

さあ、支度をしなければならない。

それも、ただならぬ支度を・・・。


 半時ほどしてから、その男は戻ってきた。

その男の後ろに居る“もの”は、人の気配はするが人ではない、人の想念が人の形をしていて実体のない影と言った方が近い。

手強い相手ほど隠れるのも上手いものだ。

この人の好さそうな男は、とんでも無い“もの”を引き連れてしまったようだ。

「こちらにお座り下さい。」

その位置にはすでに強固な結界がはってあり、ここに入ったら何万年でも結界が破られるまで動けないような代物。

その気配を察してか、急にうろたえる男。

「いや、急に用事を思い出しまして・・・。簡単に吉凶を占って頂くだけで構わないのです。」

半歩ほど後退りしている。

「いやいや、夢解きはそのような簡単なものではございません。こうして問答しているより、早く終わらせた方がよろしいのではありませんか?」

出入り口ににじり寄る男の足元で、

≪早く入るのじゃ!≫

と一声が放たれた。

足元を見た男は、

「亀が、亀がしゃべったぁ~!!」

と、半分腰を抜かしながら、よろけて結界の中へ転がり込んだ。

(これで準備万端!)

亀様が、わたし以外の人間に言葉を発するのは、今回が初めてではなだろうか。

これにはわたしも驚いた。

男が結界に入ったので、早速、その“もの”との対峙が始まる。

「人の夢で貴方は一体何をなさっているのですか?」

「な、なんのことでしょう?」

男は先ほどのわたしの口調が、急に強くなったことに驚いている。

「貴方ではなく、後ろの方に申しているのです。」

すると、男は自分の後ろを振り返った。

勿論、何も見えない。

そして、更にもう一度言う。

「人の夢で好き勝手何をしてもいいとお思いですか?」

『お前に分かるか!!』

気のいい男の口を借りて、野太い声が答えた。

温和な男の表情は消え、白目を剥いている。

「無駄な抵抗はおやめなさい。なぜこの男に憑りつくのです?」

『・・・。』

(簡単に答えないのも想定内)

「居心地が良いからといって、人の夢の中に入って好き勝手するのは感心しませんね。出て行ってくれますか?」

『出て行かぬと言ったら?』

「もし…何かの理由があるというのなら、伺いましょう。それも言わず、この男に憑りついたままというなら、残念ですが、強硬な手段を使うしかありません。」

『ならば、やってみるがいい・・・。』

「では、遠慮なく。」

やってみろ・・・と挑戦状を受けたからには、遠慮するつもりはない。

陰陽道では、【急急如律令~】と、この主旨(律)を理解して急々に行え、従えという一種の命令書の効力を込めた護符を用いることがある。

その正体が理解や考えを改めることで、その魔を転じていく事を促し、従わなかったらひどい目に遭うぞ!という、命令形式の警告。

符を書きながらも話しながらキリキリと締め上げ、段々と追い詰めていく。

「人の顔を剥いで何が楽しいのですか?」

わたしはその所業の確信をつく。

『人の顔ほど憎々しいものはないのじゃ~!』

締め上げが強まり、その怨念がすさまじくなってくる。

「いくらこの男の夢の中で人の顔を剥いだところで、貴方の恨み人は現れませんし、顔を奪ったところで恨みは晴れますまい。貴方の大切な人はかえってきませんから。」

締め上げの反撃とばかりに、怒りの念がわたしに容赦なく飛んでくる。

『たとえ戻らずとも、恨みをはらさなければ浮かばれぬ。笑いながら人を殺めるような人間を許しはしない!』

「笑いながら人を殺める?」

この男がそのような非道な事をしたと思えず、この夢の中に登場する“もの”の更なる怒りの正体を探る。


目を閉じたわたしの頭に、田舎の平和な村の様子が浮かぶ。

ある時、役人がやってきて村のこの男の家族に因縁をつけた。

見た目優しそうで、一目で気の弱そうな役人だ。

役人は溜まりに溜まった自分の中の怒りを誰かにぶつけたかった。

誰でもよかった。

たまたま目に入った男が、この男だったという不幸。

始めは男に執拗に向けられた怒りが、やがて物足りなくなり、役人は男が必死でかばう娘に目を付けた。

男は、幼い自分の娘を助けるよう必死に懇願したが、その懇願空しく、娘は優しそうな笑顔の役人に笑顔のまま惨殺された。

村への見せしめだった。

小さな亡骸を抱きしめ、嗚咽が止まらず、亡くなった娘と同じように男の魂の一部が死んだ。

娘を惨殺した後も執拗に男を棒で突いた挙句、娘の亡骸にまで無礼を働く。

役人の眼は完全に楽しんでおり狂気の魔物になっていた。

魔物に魂を売り渡しているこの役人は、人間ではない。

優しそうな顔の仮面をつけただけの魔物。

自分の命にも代えて守りたいと思った一番の宝を奪われた男は、魂が凍り砕けた。

その砕けた破片は長い年月の間、深淵を彷徨い、復讐の時を待つ。

溜まりに溜まった怨念がやがて固まり、その怨念は強い復讐の意図をもって、あの役人の顔を探すために人の夢の中を彷徨い続けることとなった。

人の夢を彷徨いながら、これからもあの役人の顔を捜し続けるという。

夢の中で、“この顔か?この顔かぁ~?”と人の顔を貪っては捨てている。

夢の中に出てくる顔の無い人間は、顔をはぎ取られてしまい餌食となった気の毒な人々・・・。

顔をはぎ取って貪る様子など、見ているだけで気分が悪い。

夢の中を彷徨う男の魂には同情はするものの、この復讐方法は大いに間違っている。

自分の肉体が無くなり、復讐するにも肉体が必要なために、農夫の身体に乗り移り、夢の中で生きている。

他人の肉体を使って、この様な悲しい復讐を永遠に続けさせてはいけない。

悲しく、哀れで、痛々しい所業を止めさせ、あの世で娘と再会を果たす方がこの男はどんなに幸せで、娘も成仏できることか。

娘も会いたがっているはずだ。

「今からでも遅くない。顔を奪うことなどおやめなさい。あの役人を探す悲しい所業でなく、娘との再会を果たして幸せな転生を果たしてはどうか?」

悪霊と呼ばれるものを払う事は、一種の説得術だとわたしは思う。

力で抑え込んだり封じたりするよりも、時にはより良い成仏の道を示したり、願いを全うするにはどうしたいいかを、根気よく話すことが解決の道につながることもあるのだ。

ただでさえ苦しみや悲しみの中にいる魂に、さらなる力技で苦痛を与えることが時にためらわれる。

今のこの男の場合は特に・・・。

『あの役人の顔を食らうまでは止めぬ!』

強い意志の漲(みなぎ)る男の魂の説得には、やはり娘にきてもらうしかなさそうだ。

≪おとう・・・。どうしてこんなに怖い顔をしているの?≫

その声に、はっとした“顔を食らうもの”は、動きが止まった。

黒い人型に顔がついている。

やっと“顔を食らうもの”が自分の顔を現した。

その声は幼い子供で、赤い地の着物を着ている。

≪おとう・・・だよね。ちいはずっと向こうの世界で待っていたの。≫

ちい・・・というのは娘の名前のようだ。

怖い顔といわれた顔はたくさんの涙がこみ上げ、娘にすり寄った。

『ちいをひどい目に遭わせた、あの男をどうにかせねば…と、おとうはずっと探しているんだ。』

≪そんなことはもう、いいんだよ。ちいは早くおとうに遭いたかったの。≫

幼子が自分の敵を捕ろうとしていた父親を不憫に思い、迎えに来た事を告げた。

≪それに、あの人はもう生まれ変わっているの。ものすごく可哀想な目に遭ってる。だからもう、やめて。≫

娘を永い時間待たせたこと、自分が子供に哀れな姿を見せていることを悟った“顔を食うもの”は、深い後悔と自分の愚かさを悟った。

≪この人がね、おとうが苦しんでるから助けてほしいって教えてくれたの。≫

そう言って、娘はわたしを指さした。

わたしの方を見た“顔を食うもの”は、今は温和な顔をしている。

その温和な顔は、夢を乗っ取られた男にも似た、優しそうで人の好さそうな顔立ち。

「もう、お二人の行く世界はわかりますね。」

そう言うわたしの言葉に、二人はうなずき、手を取ってすう~と消えていった。

結界の中の白目を剥いたまま倒れている男を介抱する。

少し休ませていたら目を覚ました。

「一体、何が起こったのか・・・」

「今から、夢解きの解説を致しましょう。」

そう言うと男は座り直した。

「貴方の夢の中の人が顔が無かった理由は、一言で言うならそのお顔でしょうね。」

「・・・といいますと?」

「貴方の様な温和な顔立ちの方は、人にいいように使われがち。なんでも許してもらえると相手がなめてくることもあるでしょう。どうです?」

「はあ・・・実はそうなんです。貸した農具をいつまでも返してもらえなかったり、お金を誤魔化されたり。頼みごとを引き受けたのにお礼も無い。そんなことばかりで。」

「そうですか・・・。貴方のような、人の良い優しいお方が味わった悲劇と、その復讐の哀しい物語です。夢の中で顔をはぎ取っていた存在は、もう復讐を止め、幸せな世界に旅立ちました。もうご安心ください。今夜からはぐっすり眠れるでしょう。」

哀しい男の話に、目の前の男は他人の事とは思えず涙をこらえていたが、袖で何度も目元をぬぐった。

話を聞き終えて、しみじみと男はいう。

「今の自分ととても重なるところが多くて、何だか涙が止まりませんでした。うちにも娘がおります。本当にわたしが行くところにはどこにもついてきたがって・・・可愛い娘です。その夢の中の方も、ほんに心残りだったでしょうな。」

「はい。しかし人の顔をはぎ取る・・・という恐ろしい所業はこれ以上続けさせる事はできません。顔を奪われた人々もお気の毒ですしね。」

涙をぬぐって、何か解き放たれたかの様なきがするといい、その男は帰って行った。


≪竹風、術合戦の世界から逃げたお主が、術を使うとはな。≫

眷属の亀様は、事の成り行きをずっと見守っていて、やっと口を挟んだ。

「いえ。身を守るために用意しただけのことです。使わず済むなら越したことはないのですが。術の掛けあいをしたところで、最後には共倒れで虚しいだけですよ。」

≪判っておるならばよい。≫

亀はそういって部屋のすみの寝床に向かって歩く。

「あっ、それと・・・勝手に話すのは、今後やめてくださいませんか?」

≪ああ、今日のことじゃな。あれは、わたしなりの協力じゃ。有難く思え。≫

「左様でございましたか・・・。それはそれは、ありがとうございました。」

事実助かったのだから、素直に言っておこう。

≪この前、琵琶湖の主から良い話を聞いた。近々、会ってくる。≫

「琵琶湖の主とは?」

≪鯰(なまず)じゃ。≫

「琵琶湖まで行かれたのですか?」

≪うむ。琵琶湖の湖底とここらの池とはつながっておるからな。≫

「・・・・。」

亀は不意に姿を消したり、何日も戻ってこなかったり、かと言えば、お清に井戸の水を甲羅にかけてもらいながら、優雅に水浴びを楽しんでいたりもする気ままなお方。


気が付いたら、亀と普通に話している・・・竹風


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